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2011-07

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ドクター中松の歌 - 2011.07.31 Sun





ドクター中松の歌はすばらしい!
松本人志より、ぜんぜん面白い!

《原-芸術》だけはあるのです。
もちろん《超1流》から《第6400次元》まであります。
ただし《第1次元 社会的理性領域》
から《第6次元 自然領域》、そして《第7次元 ビジネス領域》はありません。
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グロ!閲覧注意!! 自殺画像 - 2011.07.30 Sat

たまたま偶然に見つけた衝撃画像です。
拳銃自殺です。
有名なものだそうです。
衝撃的なので、見たくない人は見ないでください。
血が大量に出て、その量に驚きます。

アメリカのペンシルベニア州上院議員であるバド?・ドワイヤー氏が、
公衆の前でピストル自殺をします。
バド?・ドワイヤーは、 ペンシルベニア州上院議員、州財務長官。収賄罪で有罪を宣告されたのを受けて行った記者会見で、改めて自らの無実を訴えた直後、テレビ中継されるなか拳銃自殺。1987年のことです。

グロ!閲覧注意!! 自殺画像



情報出典:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ロバート “バド” ドワイヤー(Robert "Budd" Dwyer, 1939年5月28日 - 1987年1月22日)はアメリカ合衆国の政治家であり、テレビ中継されている記者会見でリボルバーを口にくわえて自殺した。

バド・ドワイヤーはペンシルベニア州ミードヴィルのアレゲニー大学を卒業した。彼は教育に関する修士号を得てケンブリッジ・スプリングス高等学校で社会科を教え、アメリカンフットボールのコーチをした。共和党員として、ドワイヤーは1965年から1970年までペンシルベニア州下院議員を、1970年から1980年までペンシルベニア州上院議員を務めた。上院議員としての任期を終えた後、ドワイヤーは州の財務官に就任、その死まで務めた。

論争と有罪評決

1980年代前半、州の職員は数百万ドルの連邦保険分担税を余分に払っていた。結果、州は各職員への払い戻しを計算するために入札を行った。

この入札はハリスバーグに住むジョン・トルクァート・ジュニアが所有する、カリフォルニア州を本拠とする会社、コンピュータ・テクノロジー・アソシエーツ(CTA)が落札した。トルクァートは、自身の地域のコネクションと460万ドルとも言われる賄賂を使った。この入札に絡む汚職事件を告発する匿名のメモがペンシルベニア州のディック・ソーンバーグ知事の下に届いた。

1986年後半、バド・ドワイヤーは30万ドルの賄賂を受け取ることに同意した容疑で告発された。司法取引がトルクァート、共和党ドーフィン郡委員長のウィリアム・スミス(トルクァートの弁護士)とその妻によって行われた。司法取引は彼らにドワイヤーに不利な証言をすることを要求していた。これは、この事件において起訴されなかった共謀者たちを明らかにすることに対する政府の拒否とあいまって、ドワイヤーが抗弁することを困難なものとしていた。起訴されなかった共謀者たちはドーフィン郡共和党の職員と思われる。この間、州検事長は賄賂を受け取ったという訴因を認める答弁書、財務官からの辞職、そして捜査への協力の代わりに最大5年の禁錮をもたらす司法取引をドワイヤーに提案した。ドワイヤーは辞職を拒み、彼に近い他の人間がそうしたように、後に有罪判決を宣告されても自身の無実を主張し続けた。州法では、ドワイヤーは服役まで州財務官を続けることが出来た。ドワイヤーが直面した判決は最大55年の禁錮と30万ドルの罰金だった。しかし、彼の共同被告人であるロバート・アッシャー元州共和党委員長は禁錮1年となった。アッシャーは後に政界に戻り、ペンシルベニア州の共和党全国委員となった。

衆人環視下の自殺

収監前日の1987年1月22日、ドワイヤーは「状況の最新情報を与えるため」の記者会見を開いた。多くはドワイヤーが辞職することを発表すると予想していた。

記者会見において、興奮し苛立っていたドワイヤーは再び自身の無実を主張し、州財務官を辞職しないことを宣言した。それから、出席者たちは以下にある彼の最後の言葉を聞いた。

“ 私は神に刺激的な挑戦と経験、多くの幸せな時があり、そして何より、あらゆる男が望むであろう最高の妻と子供たちのいた47年を神に感謝する。
現在、私の人生は変わってしまった。はっきりとした理由も無くである。私を応援し、私に投票してくれた人々は激怒し、無力感を感じていることだろう。彼らは私が無実であり、助けを求めていることを知っている。しかし、世界で最も偉大な民主主義国家であるところのこの国には、彼らには私が犯していないとわかっている罪によって私が罰せられるのを防ぐ手立てはないのである。私を応援してくれる人の中には、私を現代のヨブである、と言う人もいる。

(マルコム・)ミュア判事はまるで中世のそれのような判決においても特筆されるべきである。私は無実の罪によって最大55年の禁固刑と30万ドルの罰金という刑罰に直面している。ミュア判事は有罪判決を下したときに爽快感を感じたと、そして他の公務員への抑止力として私を投獄するつもりであると記者団に語っている。しかし、それは抑止力とはならないだろう。なぜなら、全ての公務員は私が無実であると知っているからだ。また、それは正当な刑罰とはならないだろう。なぜなら、私は何も悪いことはしていないからである。私が政治上の迫害の犠牲者となった後、この国の監獄はアメリカのグラグと成り果てるだろう。

私は、私の現在と未来の家族が、私に対して行われた不当な扱いによって傷付けられないように、私が交友と私の家族への祈りを続け、この合衆国に真に公正な体制を創造するためにたゆまず働き、汚名を晴らすための努力を押し進めるものであると信用するのか君たちに問おう。



ここで、ドワイヤーは用意していたメモを読むのを止め、三人の職員を呼び寄せ、彼らに封筒を一通ずつ渡した。一つ目の封筒には彼の妻に対する遺書が入っていた。二通目の封筒には臓器とその他の器官のドナーカードが入っていた。三通目の封筒にはこの日のわずか二日前に就任したペンシルベニア州のロバート・P・ケイシー知事に宛てられた手紙が入っていた。

三通の封筒を渡した後、ドワイヤーはマニラ封筒を開け.357マグナム回転式拳銃を取り出し、出席者に「もしお気に障られるようでしたら部屋を出てください」と忠告した。出席者の中にはドワイヤーに叫び、銃を下ろすように訴える者もいた(「バド、止めろ!」「バド、間違っている!」「バド、話を聞け!」といった声が画面の外から聞こえるのが確認できる)。彼に近寄ろうとする者もいた。彼は「やめろ、やめろ、誰も傷付けないから」と警告した。「バド、バド、バド!」と叫ぶ声に囲まれながら、銃身を口に入れ、引き金を引いた。彼は座っていた場所の壁にもたれて倒れ、彼の鼻と頭頂部の傷からはおびただしく血が流れた。5台のテレビカメラの前の全ての人々は、衝撃のあまり、鋭く叫び、品のない言葉を口にしていた。ドワイヤーの死は現地時間の11時31分に確認された。

ドワイヤーが自殺した痕跡は今も財務官のオフィスに残っている。ドワイヤーが引き金を引いた場所にある壁には明白な弾痕がある。弾痕はパテで接合されてペンキを塗られたが、それでも後がはっきり確認される。1989年から1997年まで財務官を務めたキャサリン・ベーカー・クノールは1996年に「私は毎日あの弾痕を見てきました……」と言った。

ドワイヤーはペンシルベニア州ブルーミングバレーのブルーミングバレー墓地に埋葬された。


影響

ペンシルベニア中のテレビ局の多くが白昼の視聴者に対し、その場面を放送した。その日、ペンシルベニア中を大吹雪が襲い、多くの学校が休校して子供たちが自殺を目にした。しかし、続く数時間、ニュース編集者たちはどぎつい映像を放送するかその場面を夕方のテレビ番組で放送することに切り換えるかの選択を取った。

結局、WCAUを含む多くのテレビ局が発砲の直前の瞬間までを放送した。グループWが所有するKYWとKDKAを含む他の局は、引き金が引かれるその瞬間に画面の動きを止めた。KDKA-TVとKYW-TVは両方ともこの取り上げ方を選び、静止画像のままで自殺シーンの音声を放送することを許可した。グループWの報道カメラマンであるウィリアム・L・マーティンとデヴィッド・ソレンバーガー記者―――州都ハリスバーグの特派員室を取材の拠点としていた―――は記者会見においてカメラをセットアップしており、実際の場面を放送することを選ばず、代わりにドワイヤーが口に銃をくわえている静止画像とともに音声を放送した。一部の局のみが記者会見の一部始終を無編集で放送した。フィラデルフィアのWPVIは自殺場面の全貌を午後5時から午後6時にかけて再放送することを選んだ局である。アクション・ニュースは視聴者に警告せずに放送された。現在コピーされてインターネット上に流布されている映像は、この局の放送に基づいている。ピッツバーグのWPXIは、早い段階でニュース番組でありのままに自殺シーンを無検閲で放送したことでことでアソシエーテッド・プレスに報道された。放送するという決定について説明する中で、WPXIのバイ・ウィリアムズ報道局長は「重要人物」の「重要な出来事」であるとこの事件を形容した。ウィリアムズは夕方のニュース番組で放送しないことを選んだことを「誰しもがその時彼が自殺したことを知っている。子どもたちは学校が休みだったのだから」と説明している。

自殺シーンの放送はペンシルベニアの教師たちにとってにとって話題になり、公立学校の環境におけるニュース放送での生放送の妥当性について質問がなされることとなった。この問題はスペースシャトルチャレンジャー号の爆発の際にも直面することとなった。この爆発事故の際、クリスタ・マコーリフが宇宙空間に飛び立った初の教師となったため、多くの教室で生で視聴されていた。

しかし、子供たちはチャレンジャー号爆発事故が起こってから広がったそれのように、ブラックジョークの作品群を創造するという反応をこの出来事に対して示していた。これらの冗談が言われた確率の研究によれば、こういった冗談はペンシルベニアの中でも記者会見が無検閲で放送された地域のみで見られるものであった。

対照的に、少なくともドワイヤーの自殺に居合わせた記者の中では、最初の目撃者となったことによって少なくとも一人が病気を患った。トニー・ロミオはドワイヤーが引き金を引いた時彼から数フィート離れたところにいたラジオ記者であり、この出来事によってロミオは鬱病を発症し、ジャーナリズムの世界から一時身を引くこととなった。

彼の自殺はアソシエーテッド・プレスの写真に関する慣行も変えた。フィルムは安く、写真はデータ送信に時間がかからないため、その時AP通信のカメラマンは最も多くの写真を白黒で撮った。また、ほとんどの新聞社はその当時まだ一面が白黒であった。カラーフィルムはその当時全国ニュースのトップを飾ることが予想されていたカメラマンのみに渡された。この記者会見はペンシルベニア以外ではほとんど関心を持たれないことが予想されていたので、白黒のフィルムが使われた。ところが、いったん世界の耳目を集める話となるやいなや、AP通信はカラー写真を求められた。その後、AP通信は即座に全ての写真をカラーでとることにした。カラー写真が送信の遅れをもたらさないように伝送技術が改善されるまで写真のほとんどはまだ白黒で送信されていた。

収監によって免職になる前に現職のままドワイヤーが死んだため、彼の未亡人ジョアンは合計128万ドル以上の遺族の給付を全て手にすることが出来た。彼の自殺の直後、ドワイヤーのスポークスマンは裁判費用で財産を失った彼の家族が州から支給される年金を失わないようにするために自殺したのかもしれないとほのめかした。

ドワイヤーの法的な闘争は彼の死によって終わったのかもしれない。しかし、彼の自殺は今日まで人を引き付け続けている。自殺シーンのコピーはインターネットを通じて流布され、「ローレン・カス」、「トレーシズ・オブ・デス」シリーズやマイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」などの、様々な映画に現れている。ロックミュージシャンたちもまた彼らの作品の中にドワイヤーの自殺を取り入れていった。例えばアメリカのノイズロックバンドのレイプマンは「バド」という表題のEPをリリースし、オルタナティブ・ロックバンドのフィルターは1995年に同様にドワイヤーを引き合いに出しているシングル「ヘイ・マン、ナイス・ショット」をリリース、そして2003年にはカオティック・ハードコアバンドイオン・ディソナンスは「バド・ドワイヤー効果」(The Bud Dwyer Effect)という歌が収録されている「ブレッシング・イズ・イレレバント」というアルバムを出している。

2003年、バドとCTA疑獄についての長編ドキュメンタリー、「オーネスト・マン」の製作が始まった。映画では彼のかつての同僚や友人に加え、ウィリアム・スミス、ドワイヤー家(ロバート・ドワイヤー、ジョアン・ドワイヤー、ダイアン・ドワイヤー)、バリー・オコンネルに対し、インタビューしている。また、作家のロレイン・ユハッツとウィリアム・キースリングもこの製作に際してCTA疑獄の専門知識を提供している。


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現代芸術草稿 - 2011.07.29 Fri

非公開のものです。
ブロマガの購読者は、少ないので、そういう意味では限られた人々への生の思考を伝えられます。

多くの人が有料で見る必要は無い事です。それは私自身もそう思います。しかし情報を発信して行く側で言えば、多くの人に向かっては書けない内容も多いのです。その意味で、ブログと、有料ブロマガの使い分けは有効であると言えます。
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伊良部秀輝、中村とうよう/2人の自殺 - 2011.07.29 Fri



伊良部秀輝が自殺をした。42歳。
男の厄年だから、意外ではないとも言えるが、日本人投手で最速の球を投げた男らしい短い人生だった。
合掌。






もう1人、音楽評論家の中村とうようさんが自殺。
享年79歳。
私は、ミュージックマガジンで書かせていただいた事もあって、自殺には驚いた。
たいへんに立派な方だった。


ご冥福を祈ります。


訃報:伊良部秀輝さん42歳 自殺 元ヤンキース投手


伊良部秀輝さん=2003年撮影
 【サンフランシスコ堀山明子、ニューヨーク小坂大】米大リーグ・ヤンキースや日本プロ野球の阪神、ロッテなどで投手として活躍して日米通算104勝を挙げた伊良部秀輝(いらぶ・ひでき)さんが米カリフォルニア州ロサンゼルス近郊の自宅で亡くなったことが28日、わかった。42歳だった。地元警察などによると、遺体は27日夕に発見され、首をつって自殺したとみられている。

 伊良部さんは兵庫県出身。香川・尽誠学園高から1988年ドラフト1位指名でロッテに入団し、日本最速(当時)の158キロの速球を武器に最多勝(94年)、最多奪三振(94、95年)のタイトルを獲得するなど活躍した。97年に大リーグ・ヤンキースに移籍。エクスポズ、レンジャーズでプレーしたのち、03年に阪神に入団して日本球界復帰。03年のリーグ優勝に貢献したが、04年に戦力外となり現役引退した。通算成績は、日本が72勝69敗11セーブ、大リーグは34勝35敗16セーブ。

 引退後は08年8月に大阪市内の飲食店で酒に酔って暴れて暴行容疑で現行犯逮捕された。09年に米独立リーグで現役復帰し、四国・九州アイランドリーグでもプレーしたが、昨年1月に自身のブログで2度目の引退を表明していた。また、昨年5月にはロサンゼルス近郊で飲酒運転の疑いで逮捕されていた。


音楽評論家の中村とうようさん、自宅から飛び降り自殺か

中村とうようさん
 21日午前10時15分ごろ、東京都立川市柴崎町2丁目の10階建てマンションの敷地内で、8階に住む音楽評論家の中村とうよう(本名・東洋)さん(79)が頭から血を流して倒れているのが見つかった。中村さんは市内の病院に運ばれたが、まもなく死亡した。警視庁は自宅の腰高窓から飛び降り自殺をしたとみている。

 立川署によると、中村さんは一人暮らし。署員が駆けつけた時、自宅玄関には鍵がかかり、室内に自殺をほのめかすメモがあったという。

 中村さんは「ミュージック・マガジン」の元代表取締役で、武蔵野美術大の客員研究員を務めていた。

 21日に複数の知人に「それではみなさん、さようなら」などと書かれた手紙が届いた。


【毎日配信】J-CAST がおススメするニュースは、これでチェック!
モノウォッチコラム音盤見聞録
中村とうようさん自死の意味 「音楽評論家」もういらないのか?
2011/7/27 11:53


音楽を評論することは無意味なのか?
音楽評論というジャンルは、すでに20年も前に枯死している。音楽を評論するということの無意味さをリスナーが声高に言い始めた時があった。「好き嫌いで良いじゃないか」と。それはその通りで、ことに音楽という嗜好品に近い表現はそれ以外の存在意義もみいだせないほど。ただ、評論の対象になリうる音楽というものも存在するのは確かだ。
中村とうようさんは、音楽評論という表現の場が失われたことに絶望したわけではないだろう。無理矢理にそうした場をこじ開けることだって、中村さんならできたはず。本当に何があったのだろう?
自死することの意味は、限りなく重い。例えどんな場合であっても、決して選んではならないと、多くの宗教は戒める。それを敢えて選ばなければならないほど切迫した状況とはどんな状況だったのだろう?
ただ、ご冥福を祈るしかないが、その意味を考えざるを得ない。
中村さんの死で音楽評論という表現が、決定的に死滅したように思う。
                     加藤 普
情報出典:http://www.j-cast.com/mono/2011/07/27102555.html?p=2

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南相馬のプラン - 2011.07.29 Fri

南相馬の被災者住宅の建築が進んでいます。
その写真を芳賀沼整さんから頂きました。
とは言っても、五十嵐太郎研究室の設計した集会場と塔の建築は、
まだまだです。

五十嵐太郎さんの建築は納期が、福島県管理の住宅ではないので、
締め切りが緩いのです。

南相馬写真 1


南相馬写真 2

南相馬写真 3

南相馬写真 4

さて、その五十嵐太郎研究室の集会場の実施図面です。

南相馬集会室2-1ブログ

南相馬集会場図面5ブログ

南相馬集会場図面4ブログ

南相馬集会場図面3ブログ

南相馬集会場図面2ブログ

さてさて、私が描く壁画のプランです。
何を描くかは、最初は、相変わらずの彦坂尚嘉流の抽象がだったのですが、
次に花の絵になりましたが、
これもまずい。
つまりキリスト教美術とか、仏教美術とか、イスラム美術というふうに、
美術というのは、何かにくっついて成立します。
今回は福島とか、復興とかにくっつくべきではないのか?
という訳で、「復興」とか「福島」という文字を描こうというので、
「福島アート」を描こうということになりました。

彦坂尚嘉。南相馬/全図2-3ブログ

彦坂尚嘉。南相馬/復活絵文字ブログ

彦坂尚嘉。南相馬/福島絵文字ブログ

こんな簡単な、いたずら書きのようなもので、良いのか?
という疑問の声が上がりそうですが、
彦坂尚嘉の《言語判定法》では、これは《超1流》から《第6400次元》の作品です。
さらに《原-芸術》《芸術》という概念梯子が存在します。
というわけで、本人の芸術観では成立するプランなのです。

ここで重要なのは、この壁画は、それまでの伝統的な意味での「絵画」という言葉は、使用を禁止されているという事です。近代になると「神」という言葉の使用を禁止したように、1991年以降、インターネットが成立した時代以降は、伝統的な意味での「絵画」「彫刻」という用語は使用を禁止されて考えるというのが、新しい美術史?の領域でのルールなのです。「美術史」という用語も、伝統的な意味では禁止されているかもしれないので、?を付けたのです。

ペインティングする次期は、8月の4、5、6日くらいになりそうです。
ボランティアを募集しています。
下記にメールください。
hikoアットマークja2.so-net.ne.jp



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マウリツィオ・カテラン2 - 2011.07.28 Thu

マウリツィオ・カテランの第2弾です。

多くの人は、マウリツィオ・カテランを重要な作家だとは思わないでしょう。
彦坂尚嘉の《言語判定法》による芸術分析ですと、《原-芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》という芸術概念の梯子があります。にもかかわらず、多くの人は、たんなるジョークの作品くらいにしか思わないのだと思います。

そうではなくて、インタネットが成立した1990年代になると、伝統的な意味での「彫刻」や、「絵画」という言葉が、「」にいれられる事態になったのです。

それは明治維新に似ています。

明治維新になると、江戸時代までは武士は刀を「武士の命」と言って大切に持っていましたが、廃刀令がでて、刀を捨てることになります。おまけに、これも男のシンボルであって髷(まげ)が切られます。

この2つの喪失によて、明治の時代は始まりますが、これと似て、1990年代になると、国際展から、伝統的な意味での「絵画」や「彫刻」が消えたのです。

この事象を、表現論的に言えば、近代になると「神」という言葉が、論理的な文章では禁止されたように、「絵画」「彫刻」という単語の使用が禁止されたのです。

しかしここで議論をしようとしているのではありません。従来のように絵画を信仰している人は、それは信仰の自由というものであって、かまわない事なのです。彫刻も同様であって、人はそれぞれ自由に生きるのでよいのであって、彫刻というものを信じる人がいても、それは信仰の自由として尊重するしか無いのです。

つまり私が言っているのは、芸術の現実の状況の動きを、信仰の問題ではなくて、科学的な観察の中で見つめて、事実を事実として見つめる努力の中で議論をし、そして理論化をしようというのです。

日本の現状はリスク回避にしか動いていないにもかかわらず、破綻しています。それはそれで良いのであって、ひとそれぞあり、自由なのです。

ですから他人の自由を侵犯しようと彦坂尚嘉はしているのではなくて、科学者として、学問として厳密に芸術の現状を分析するなかでの制作を追いかけているのです。それだけであって、それ以外ではありません。

そういう視点で見ると、マウリツィオ・カテランの人形インスタレーション作品は、非常にすぐれた《芸術》作品なのです。しかも《超1流》から《第6400次元》まであるのです。

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マウリツィオ・カテラン1(加筆1) - 2011.07.27 Wed

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日記7月26日2011年(加筆1) - 2011.07.26 Tue

2週間ほど東京にいて、昨晩夜の8時45分藤沢のアトリエを出発して京都に向かって走って、朝の4時半に着きました。
24日の日曜日の夜の8時から、南相馬の壁画の打ち合わせをして、帰宅したのが最終電車であったこともあって、疲れていて、走るのはかなりたいへんでしたが、事故を起こさない、死なない、という意志を確認しつつ走ると言う作業でした。もっとも栃原比比奈さんがたいへん頑張って運転をしてくださって、交代しながら走れた事で、なんとか無事に京都に帰れました。


maurizio-cattelan-1.jpg

このブログは、ベニスビエンナーレの《超1流》作家シリーズで、マウリツィオ・カテランを準備中ですが、画像をたくさん集めたので、加工作業の時間がかかっています。個人作品集レベルにせっかくたくさん集めたのと、この手の作家としては芸術的にたいへんすぐれているの、しっかりブログを作りたいと思います。ご期待ください。とはいっても良い画像を集めるのには検索能力がいりますし、画像加工が手間です。これを文脈で並べるこういう作業は時間がかかります。見るのは簡単ですが、情熱が無いと出来ません。なによりも私自身が見たいのです。
 
というわけで、今日の夕方にはアップしますので、お待ちください。
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パンテラ Cowboys from Hell  - 2011.07.25 Mon

下のYouTube画像が、アマチュアの少年バンドがコピーしているパンテラのカバーの演奏で
上手いものです。



こういう演奏を聴いた方が、パンテラという下層音楽の構造がよく分かると思ったから、
ご紹介したのです。
この種の音楽は、現代のプラズマ音楽の代表的なものです。

聞きやすかったと思うのですが、これは『アートの格付け』で言えば《第8次元 信仰領域》です。
ご本尊のパンテラは、《超次元》~《第6400次元》あるので聞きにくいと思うし、何よりも下品です。
というわけで、本物のパンテラの《第6400次元》の音楽を聴いてみてください。



もう一つ、「Cowboys from Hell 」という同じ曲であるギター教本の演奏です。
私はギターを弾かないし音楽的教養もたかが知れているのでので、細かい演奏テクニックは分かりませんが、なかなか知的ではあるのです。

この演奏も《第8次元 信仰領域》です。《第8次元》というのは、こういうものであるとご理解ください。何かを模倣していけば《第8次元 信仰領域》になるのです。それが悪いわけではないですが、聴きやすいかもしれないですが、《8流》であって、ほんものの音楽ではないのです。




リズムパターンの反復が行われるのですが、リズムの執拗な反復だけではなく音程や和声も反復されます。特に低音およびその上の和声進行を特定のリズムパターンとともに反復する技法を、オスティナート・バス と言うのですが、これはバロック音楽にはたくさん見られるものなのです。つまりこういうスラッシュ・ロックというもの自体が、バロック音楽の現代的な復活と言う面をもっているのです。

というわけでヘンデルの水上の音楽を聞いてみてください。
ヘンデルというのは《第6次元 自然領域》の作曲家です。



バロック音楽というのは、プラズマ音楽ではなくて、固体音楽です。H20の水の状態の変化で言えば、バロック音楽は水という液体状の音楽ではなくて、氷のように固まった固体の音楽なのです。つまり同じオスティナート・バスの音楽でも、バロック音楽とスラッシュロックとでは、固体とプラズマという様態の差が大きくあるのです。



スラッシュメタルの中で、パンテラはローアートの音楽です。
同じスラッシュでもメガデスですとハイアートになります。
メガデスの演奏は格段に高度なものです。
メガデスもまず、コピー演奏です。その方が高度さが分かると思います。
この人の演奏は《第1次元 社会的理性領域》です。



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マリアナ・カスティーヨ・デバル(加筆1) - 2011.07.24 Sun

ベニスビエンナーレに参加している《超次元》?《第6400次元》をもっているアーティストの紹介の第2弾です。画像数26枚。

言うまでもなくベニスビエンナーレも《第6次元 自然領域》《第8次元 信仰領域》の作品がたくさん出ています。日本に紹介されるのはこうしたものですので、私が選んでいるのは、紹介されないか、されても見過ごしてしまう様なアーティストである《第6400次元》までの多重性のある作家に限っています。

日本の現代アートの異様に閉じたガラパゴス的な美意識に違和感を持つ人は見てください。


マリアナ・カスティーヨ・デバルは、1975年、メキシコシティ生まれ。
ベルリンとアムステルダムに在住。
2000年代の最初に登場した女性アーティストです。

高学歴の人です。
メキシコ国立大学でファインアーツを勉強して、
メキシコのイベロアメリカ大学で哲学を勉強したようです。
その後、オランダのーマーストリヒトにあるヤンファンエイクアカデミーで大学院に行っています。

人相を見ても、彦坂尚嘉の言語判定法で分析すると《超次元》から《第6400次元》まであるトータルで知的な女性です。なかなかすごいですね。写真をこの「ブロマガ前書き」にも載せたいのですが、このFC2というブログシステムでは無理なのです。

昨日紹介したイランのアーティストも、このメキシコの女性アーティストもそうですが、ハイアートだけの作家です。つまりローアートとの統合はされていません。」
ヨーロッパは階級社会なので、上流階級がしっかり存在しているので、日本のような大衆社会とはちがって、ハイアートの重要があると言えます。

だからといって昔のモダンアートのように《超次元》?《第50次元》までというものではなくて、《第6400次元》まであるというところが今日的です。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
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Nairy Baghramian - 2011.07.23 Sat

昨日までは映画と、古典美術の中で《超次元》から《第6400次元》まであって、プラズマの様態の《真性の芸術》を探しましたが、今日からしばらくベニスビエンナーレの出品作家の中から、今日のプラズマ表現をさがします。同じ《超次元》から《第6400次元》でも、全然違う印象のものです。

Nairy Baghramianは、イランのアーティストで、1971年生まれの40歳。ドイツのベルリンに拠点を置く女性アーティストです。今回のベニスビエンナーレに出品しています。

彦坂尚嘉の『アートの格付け』では、《超次元》から《第6400次元》まであって、《真性の芸術》です。

日本の現代アートは《第6次元 自然領域》ばかりですが、海外では別のタイプのアーティストもたくさんいるのです。その辺のことを理解していただければと思います

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中国古典絵画に見る気体化/キリスト受難の絵画におけるプラズマ化(加筆修正1) - 2011.07.22 Fri

今回の『中国古典絵画に見る気体化/キリスト受難の絵画におけるプラズマ化』のブロマガ記事は、キリストの受難美術を、やたらに書き込んでしまって、大変でした。

芸術論の中心にキリストを置く事は、今日の福島原発事故以降の時代の芸術を考える上では、必須であると考えました。

新聞によると政府は、福島原発を10年で廃炉にするというプランを発表していますが、それは《第6次元 自然領域》の人々が考えることに過ぎません。《超次元》から《第6400次元》の人格を持つ人は、事実を事実として見ることができます。事実を直視すれば、福島原発の処理は絶望的な作業であって、100年をこえても、決着はつかないと思います。廃炉すら出来ないだろうという見方は、海外からは出ています。

そういう規模の破綻をした日本社会の限界を超えて行こうとする人々を、私は探しています。

ブログと、ブロマガというのは、メディアとしては違うものです。

また一人、参加者がありました。

すでに書きましたが、一年で入会すると、一日約85円です。100円ショップ以下の世界なのです。
(※この度、ブロマガの価格を少し改定しました。長期入会者により安く読んでいただこうと思ったからです。ご了承ください。)

ほぼ、毎日書いて行きます。

次回は糸井重里を取り上げます。

【『中国古典絵画に見る気体化/キリスト受難の絵画におけるプラズマ化』はブロマガ会員記事になります】

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サイモンとガーファンクル - 2011.07.21 Thu

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サイモンとガーファンクルについて、あるブロガーは次のように書いています。


S&Gのファンになり、アルバムを買い揃えていくうちに、当然お気に入りの曲というのが出来てくる。そうすると当然、その曲の作者が誰なのか気になって、調べてみるとほとんどの確率で「作詞作曲:Paul Simon」という結果に行き着く。

へえ、あの背の低い目立たない方が、この曲を一人で作ったのか。見かけによらないなぁ‥‥と思いつつ、興味をそそられて他の曲もチェックしてみると、なんとほとんどの曲がポールの作詞作曲という事が分かり、軽いショックを受けた人は決して少なくないはずだ。もちろんポールがちっともソングライターらしい外見をしていない、という意味ではない。そう言われて見てみれば、なかなか知的な風貌をしている様な気もする。でもまさかここまで‥‥作詞も作曲も、一人でやっていたとは思わなかった。言い換えれば、アート・ガーファンクルが曲作りには全く関っていないという事が、とても意外な気がしたのだ。ポールよりずっと知的な、いかにもインテリの思想家っぽいムードを漂わせているのに。

当時の古いモノクロ映像を観ても、海岸で海に向かって石を投げたり、高い柵の上を歩いたりしてちょこまかと動き回るポールに比べ、アーティはずっと大人っぽく落ち着いていて、まるで落ち着きのない子供を背後から見守る保護者のようだ。二人が実は3才ぐらい離れていて、年上のアーティが年下のポールを音楽的にリードしていく師弟コンビだったとしても、私は驚かなかっただろう。

だから当時のファンの多くが、S&Gの曲は二人の共作だと思い込んでいたというのも実にうなずける話だった。というか、みんなそれを望んでいたのではないか。あんなに見事なハーモニーを聞かせてくれる二人だもの、曲作りも二人で五分五分に違いない。いやそれが望ましい。どちらか片方が一人で作っているなんてのは、想像できない。いやしたくない。‥‥というファン心理は実に自然なものだと思うし、そう思わせるデュオというのは素晴らしいと思う。もちろんポール自身は、そんな風に思われている事が面 白くなかったようだが。

これは私の勝手な想像だが、このファンの思いこみからくる誤解には、かのビートルズもちょっとからんでいるような気がする。当時何かと比較される事の多かったビートルズのレノン&マッカートニーのように、サイモン&ガーファンクルの曲も、二人の共作に違いないという思い込みが、ファンの心に強く根づいていたのではないか。
だがサイモン&ガーファンクルは、レノン&マッカートニーではなかった。演奏に関しては五分五分でも、創作に関してはポールのワンマングループだったのだ。(情報出典:ポール・サイモンへの秩序正しいハマり方 /http://still-crazy.cool.ne.jp/hitorigoto4Frame.html)


彦坂尚嘉が言語判定法をつかった人相分析で言うと、ガーファンクルは《第6次元 自然領域》の単層人間です。もちろん性格はあるのですが、見てくれのよさに対して、本当の意味での人格が無い。
写真でも見ても分かりますが、人格の無いガーファンクルは、影が薄いのです。

もう一人のポールは、《超次元》から《第6400次元》まである超多層人間です。この人には人格があります。
人格のあるポール・サイモンは、強くて、そして馬鹿に見える。しかし実際に天才です。

この差は、音楽活動の差になります。日本では人気はないようですが、ソロになってからのポール・サイモンは、多様な音楽に興味を示して果敢な音楽活動をして、アメリカの『タイム』マガジンは「世界で最も影響力のある100人」の一人にポール・サイモンを選んでいます。

しかしガーファンクルは選ばれていません。他人への影響力はないのです。

しかし、日本人の多くは、ガーファンクルの見てくれの良さを愛して、ポール・サイモンの超人的な音楽の才能を愛さないのです。日本人の多くは想像界の人で、アート・ガーファンクルの甘いイメージの中に、すばらしい才能を空想するのです。

しかし《第6次元 自然領域》で人格の無いアート・ガーファンクルという人は、M.スコット・ペック著の『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』(草思社 1996年刊)が指摘したような、平気で嘘をつく人だったのです。麻薬に溺れ、何回も警察に逮捕されます。

ガーファンクルまた“荒波”マリフアナ所持で逮捕

 米ニューヨーク州の地方紙デーリー・フリーマンは30日、同州警察当局がマリフアナ不法所持の疑いで、米人気デュオ「サイモン&ガーファンクル」のメンバー、アート・ガーファンクル容疑者(63)=写真、AP=を逮捕したと報じた。

 同容疑者は大麻の“常習犯”で、昨年1月にも、上着のポケットに少量のマリフアナを所持していたのが見つかり、捕まっていた。

 同紙によると、ガーファンクル容疑者は今月28日、運転中に一時停止の標識に従わなかったため車を止められた。車内にマリフアナのにおいが立ち込めていたことから調べたところ、灰皿からマリフアナたばこが見つかった。

 同紙はサイモン&ガーファンクルのヒット曲「明日に架ける橋」の一節を引用し、「人生の荒波(トラブルド・ウオーター)にまたしても直面」と伝えた。(夕刊フジ特電)

ZAKZAK 2005/08/31
http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_08/g2005083103.html

さて、多くの人はお好きではないでしょうが、ポール・サイモンの1991年東京公演のYouTube画像です。

14本あって、終わって、ちょっと待つと、つぎつぎに自動的に続いて行ってくれるはずです。



ポール・サイモンの音楽
《超一流》から《第6400次元》まである最高の音楽
《真性の芸術》

音の外し方と言うか、間の妙味を聞いて欲しいと思います。凄い音楽なのです!


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5つの様態から見るキリスト受難映画 - 2011.07.21 Thu

キリスト教映画を調べて行くと、5つの様態すべてが作られています。YouTube画像のおかげで、こうした確認が出来るようになったのです。

念のために彦坂が言う「様態」の種類を確認しておきましょう。

絶対零度
固体
液体
気体
プラズマ

この様態というのは、H2Oという水が、温度によって状態が変化するという事を指し示しています。温度の変化だけでおきる現象です。この現象を比喩にして、芸術の問題をとらえようと言うのです。

つまり、非常に温度の低い《絶対零度》作品もあれば、非常に精神的な温度の高い《プラズマ》状態の作品もあるのです。

キリストの受難の映画は、液体、気体、絶対零度、固体、そしてメルギブソンの『パッション』でプラズマと、5つすべての様態が作られているのです。

様態という視点で見ると、このようにさまざまな映画がつくられる多様性がうまれてくる、一つの原因であると言えます。

そしてこの様態が、実は人間の精神の状態の5つであると言えます。

キリストの受難という一つの物語が、5つの様態で映画化されるというのは、人間の精神そのものが、ひとつの様態ではなくて、5つの様態変化をしているからだと言えます。

【以上が本文のダイジェスト版です。本文はより詳しく書いています。今回取り上げるのは、マーティン・スコセッシ監督の『最後の誘惑』という1988年の映画です。それが会員のサイトです】

追記:おかげさまで会員の数が7人になりました。一人の方は半年の購読をしてくださいました。ほんとうに、ありがとうございます。感謝いたします。

1年会員ですと60%オフになって、一日当たりの金額は85円ということになって、決して高いというものではありません。

会員制のブロマガになると執筆の精神性がかわることに驚きます。
執筆そのものが労働になることと、描く事にたいするプレッシャーが増大します。

それと話の内容が連載で続きものになります。ブツブツと切っていく必要がなくなるのです。

様態の話は、映画に続いて、明日は絵画の話へと続いて行きます。なぜ、このような執筆態度の変化をきたすのかも、興味深いものがあります。

無料執筆と有料執筆では責任感が違ってくるように思います。

そういう意味では、この「ブロマガ前書き」という無料サイトでは、もっとリラックスした記事をブツブツと切って、バラバラにしながら書きたいものです。無料サイトも、これからさらに頑張りたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

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コーエン兄弟の『ノーカントリー』 - 2011.07.20 Wed

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怖い映画だった。あまり怖かったので、もう一度見ようと思っている。
コーエン兄弟は大好きなのだが、どういうわけだかこの2007年の映画は見損なっていたし、
まったく知らなかった。自分でも驚いている。

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新潟の「蔦屋書店」で見つけた。新潟だと「TSUTAYA」が漢字になっていた。ホテルでみるビデオを探して、《超一流》という言葉を投げかけながら探していて、この『ノーカントリー』を見つけた。

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何と言っても怖かったのが、ハビエル・バルデム演じる空前絶後の冷酷無比な殺人鬼による圧倒的な暴力描写。

javier-bardem.jpg

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この映画は、もちろん《超次元》から《第6400次元》の映画で、プラズマ状態です。心臓の強い方は、ぜひチャレンジしてください。

『ノーカントリー』は2007年度のアカデミー賞で,作品賞を含む4部門を受賞しています。


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キリスト受難表現の歴史は、絵画の歴史の秘密を語る - 2011.07.19 Tue

メル・ギブソンの『パッション』という映画は、優れた現在的な映画でした。それは福島をも象徴する映画であったのです。

この映画に刺激されて、古いイコンの絵画から、ルネッサンスの絵画を経て、ルオーの宗教界がまで論じながら、実はキリスト教絵画の歴史は、キリスト教映画に引き継がれていく。つまりキリスト教芸術という意味で見ると、絵画と映画は連続している。この連続性を対象化する中で、モダニズムペインティングというものが、実は歴史的進化から疎外された産物である事を論じます。


彦坂尚嘉のブログを、ブロマガに移す事で、有料化という事態になりましたが、同時に、書く形式や論じる精度が前よりもあがりました。

有料ブログに参加してくださった読者は現在5名です。IT君などからは「有料で読むはずは無い」という批判を受けています。しかし5名の人は参加してくださったのです。

論じて書くという情熱の根拠が、IT君や、他のブロガーと彦坂尚嘉は違うのです。原理的には、誰も読む人がいなくても、死後の読者の存在を信じて、彦坂尚嘉は書き続けるのです。5名はたしかに少数の読者です。しかも私には誰だか分かりませんが、この普遍的な他者にむかって、前よりも集中して、しかも話は連続して、連載形式で展開しています。

キリストの弟子が13人であった事を思い出せば、始めたばかりのこのブロマガが5人の読者をもったことは、神に感謝しなければならない行幸なのです。

今日の手描きの絵画を成立させる理論的な根拠と、その演習を追いかけるということは、教育というよりももっと大きな実践と理論の課題なのです。

【『キリスト受難表現の歴史は、絵画の歴史の秘密を語る』つづきはブロマガ会員記事になります】

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日本横断/新潟への旅 - 2011.07.19 Tue

スクリーンショット(2011-07-18 8.20.14)

新潟市まで、栃原比比奈さんと自動車で行ってきます。
新潟市美術館でのアール・ブリュット・ジャポネ展を見るためです。

栃原比比奈さんは、知的障害者の美術の研究をしていたことがあるのです。

日本のアールブリュット

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なでしこ世界一! - 2011.07.18 Mon

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なでしこ世界一!PK戦制した
女子W杯決勝 日本―米国 (7月18日 フランクフルト)

<日本・米国>世界一となり駆け出すなでしこジャパン
Photo By AP
 サッカーの女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会決勝は17日(日本時間18日)、フランクフルトで日本と米国が対戦し、日本が2-2からのPK戦を制して初優勝した。

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 試合は立ち上がりから米国が圧倒。日本のパスミスを突くなどして、再三決定機をつくったが得点には至らず。

 日本は、なかなかリズムをつかめなかったが、20分すぎから徐々に落ち着きを取り戻し、30分には大野のスルーパスを左サイドで受けた安藤がシュートを放ったが、GKに阻まれ惜しくもゴールならず。米国も決定力を欠き、両チーム無得点のまま前半を終えた。

 後半も立ち上がりから米国が攻め込むが、日本も粘りのディフェンスを見せる。後半21分、日本は大野に代わって丸山、安藤に代わって永里を投入。

 米国は24分、自陣から前線へのパスを受けたモーガンが中央を突破し、左足でゴール右隅へ。ついに先制点を奪った。しかし、日本は36分、米国ゴール前のクリアボールを奪った宮間が中央から同点ゴール。その後も一進一退の攻防を展開したが、両チームとも無得点。90分で決着はつかなかった。

 米国は延長前半14分、モーガンのクロスをゴール手前で受けたワンバックが中央から頭で押し込み勝ち越しゴール。2-1とした。

 だが、日本は延長後半12分、左コーナーから沢が大会5得点目となるゴールを決め、再び追いついた。15分に岩清水が一発退場となる場面もあったが、日本はゴールを死守。2-2で延長後半を終了。決着はPK戦に持ち込まれた。

 PK戦ではGK海堀が好セーブを見せ、3-1で制した。


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日本の女性サッカーが、これほどに強いとは知らなかった。

ボールの決め方が、男子サッカーとはまるっきり違っていた。

だからといって《超一流》の選手や監督がいたわけではない。澤 穂希の活躍は眼を見張るものがあったが、しかし《超一流》の選手ではなくて《第1次元 社会的理性領域》の選手だった。

アビー・ワンバックという《超一流》の選手がいるアメリカサッカーを、《第1次元 社会的理性領域》だけの選手と監督で勝ったのです。
《第1次元 社会的理性領域》は強かった!!

日本の男たちが《第1次元 社会的理性領域》を失って《第8次元 信仰領域》化している現在、国会議員も首相もすべて女性に総取っ替えした方が良いのです。
女性こそが、日本の未来を切り開くのです。

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芸術の様態(状態)変化 - 2011.07.18 Mon

キリストの受難の芸術様態の変化

芸術の様態変化の問題は、見過ごされて来たと言えます。

とは言っても、そのことを説明するのはむずかしい。例えば私の友人2人(中上清と高橋堅)は、平安時代の人間も、今の人間も、眼は2つあって鼻は一つで、何も変わってはいない。だから普遍的に同一であって、変化はないという主張をします。これに対して、変化して来ている事を見ようと言うのが、様態、あるいは状態を問題にする私の論点です。

様態という言葉は、つまり「実体」とはちがうものです。状態という言葉で言っても良いのです。つまりデカルト・スピノザ以来、事物の本質にかかわる属性と区別された、事物の様体、あるいは状態を見る視点です。
たとえばH2Oという水があります。H2Oという「実体」は変化しませんが、固体、液体、気体、プラズマという風に、様態がかわります。H2Oという水が、状態を変えて行くのです。

さて、丁寧に説明しているとたいへんなので、簡単に言います。
人間の社会は、絶対零度の状態、固体状態、液体状態、気体状態、プラズマ状態という風に、まるでH2Oが次第に温度をあげて様態を変化させて来たように、社会の結合の状態や、人間関係の状態、さらには一人の人間の状態を変化させて来たのだと、説明するのが彦坂尚嘉の考え方なのです。

このように考えると、平安時代に人間は、固体的な社会の中で、固体的な精神をもち、そして固体的な表現をしていたのだという風に考えられます。それに対して、現在の社会は、プラズマ状態になっていて、人間の精神もプラズマ化してきている。プラズマというのは、H2Oの水の分子が、温度が上がったために電離現象をおこして、陽子イオンと電子に別れて自由に飛び回っているような状態になっている。だから離婚が増えて、家族が解体して、一人暮らしが増えている。さらに人間のモラルが失われて来ていて、ミーイズムが強くなって、下層の若い人々の精神状態は精神病的な状態(キチガイ)が増えてきている。

さて、このような視点から芸術を見て、整理してみようという授業です。

まず、絶対零度の状態です。つまり物質の熱振動が小さくなり、エネルギーが最低になった状態で凍っていて、文明以前の原始性を示している美術作品です。



絶対零度のキリスト受難アート

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クレタのセオファニスによって16世紀に描かれた、正教会のイコン。アトス山のスタヴロニキタ修道院所蔵。

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Author : ITALIAN UNKNOWN MASTER
Date :c. 1230
Technique :Parchment on panel, 297 x 234 cm
Type :religious
Form :painting
Location :Pinacoteca, Pisa

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こういう中世の時代と言うか、このような表現の様式や、それにつきまとっている堅さ、プリミティブな感覚が、絶対零度なのですが、しかし実は絶対零度というのは、そういう様式上の問題ではなくて、温度というか、原始性なのですが、なかなか分かってはもらいにくいかもしれません。ここではとにかく、古い美術の中にあるものと、一応の理解をしてください。本当は今もあるものなのです。それは原始的な生物のはずであるウイルスやバクテリアなどが、現在も元気に活動しているのに似ています。原始的なものは生物で見れば消えているどころか、ゴキブリのように繁殖し続けているのです。それは人間の表現や芸術も同様であって、原始的な様態を持つ表現は、今日でも活発に制作され続けているのです。

実例を一つ挙げておきます。ゴーギャンの作品です。これは《第6次元 自然領域》の絶対零度の美術です。

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【つづきはブロマガ会員の記事になります。固体美術、液体美術、プラズマ状態のキリストの受難美術を集めて解説しています。芸術における様態の問題を理解してくださればと思います。ご加入ください。ご参加のお名前はまったく彦坂には分かりません。】

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メル・ギブソンの『パッション』(加筆1) - 2011.07.17 Sun

The Passion of the Christ3

メル・ギブソン監督の『パッション/The Passion of the Christ』です。
題名の意味は『キリストの受難』ということです。

メル・ギブソンは、1979年の『マッドマックス』というオーストラリア映画から見てきています。この後アメリカに渡って、1987年から1998年まで『リーサル・ウェポン』というアクション娯楽映画シリーズ4本の主役を演じましたが、これも全て私は見ています。

アクション映画スターとしての成功を基盤に映画監督業に乗り出して、『ブレイブハート』でアカデミーショー作品賞を含む4部門を取った事に驚きがありました。さらにこの『パッション/The Passion of the Christ』で、全編アラム語とラテン語という宗教映画を撮る狂気ともいうべき監督に成長するということ事態には、本当に驚きがあります。

それは、同じ様な道を先輩として歩んだクリント・イーストウッドと重なる驚きなのですが、一介の役者を大映が監督に成長させて行くというハリウッド映画の凄みを突きつけられる名作です。

日本であれば、それは北野武や松本人志という喜劇人に見られる特徴なのですが、しかしそのあくなき成長と高みを目指すアメリカ・アクション・スターの異常にまでの精神性と思想性に驚きを禁じ得ません。その背景には、喜劇やお笑いではなくて、真摯なまでの破綻した世界への注視があります。娯楽映画の底が抜けて、黒い海が見えるのです。日本人がリスク回避して、原発安全神話という新興宗教に溺れて行ったのとは反対の、高いリスクにかける姿勢があるのです。




The Passion of the Christ2

作品は、彦坂尚嘉的に言えば、《超次元》から《第6400次元》まであって、しかもプラズマの様態を持っている事で、圧倒的にすぐれています。

さらには想像界、象徴界、現実界、サントームの4つのを持っている事で、高く評価できる作品です。

しかし一見する所では伝統的なキリスト教映画に見えるにもかかわらず、全く新しいプラズマの様態の映画であるという所に、実は本質的な重要性があります。言い換えると、伝統的なものが、様態を変化させるだけで創造性を発揮できるという今日性です。

しかし日本人の多く、そして日本のアーティストも、美術商も、美術館官僚も、現在のプラズマ状態に対して背を向けて、前近代の固体状態への郷愁に回帰することを評価する心理パターンでは、メル・ギブソン監督の『パッション』の新しさは見えないでしょう。

『パッション』は、『マッドマックス1』の家族喪失と、『マッドマックス2』の原爆戦争後の荒廃した世界の提示からつながる歴史性を含めた展開として、極めて重要な今日的な映画なのです。

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【『メル・ギブソンのパッション』つづきはブロマガ会員記事になります】

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【会員制に関する付言】

長文による宗教的議論と芸術分析、それを今日の芸術の問題として語り、演習までに持って行こうという内容は、決して多くの人々へ向けた内容とは言えませんので、会員制にしています。ご了解ください。

つまり日本的な社会通念=常識というものは「世界の非常識」と言われますが、この外に出て語る事は、無防備ではできないのです。

彦坂尚嘉の理論も技法も、今つきあってくれている栃原比比奈さんと中川晋介君は、その有効性と的中性を認めてくれてはいますが、多くの人は彦坂尚嘉が教えた事をかっぱらって去って行くのです。たとえば斎藤ちさとが撮影に使っている水槽の使用も、フォトショップの使い方も彦坂尚嘉が提案したものです。しかしすぐに彦坂尚嘉から離脱する。その斎藤の気持ちも理解はできますが、しかし作品はみるみる8流に転落してしまったのです。私が怒るのは、この《第8次元 信仰領域》になって、気泡を実体化してしまう凡庸さです。そこには科学的な観察と、芸術的鑑賞構造を取り違えた愚かさがあります。斎藤ちさとM7での新展開は《8流》になってしまっている。コンビニの柿の種の味と同じ水準です。その程度で満足する小さな作家であったという事です。多くのアーティストは、日本的な《第6次元 自然領域》や《第8次元 信仰領域》だけの小さな芸術に満足しているのです。それはそれで良いとは言えます。私もそれは認めますが、ならば、関わりたくないという気持ちは私にも生じるという事です。

そういう裏切られる経験を何人もで積み重ねてくると、簡単には教えてはまずい事がわかります。多くのアーティストには、芸術を真摯に追求して、偉大なアーティストになろうという様な愚かな意思はないのです。彦坂尚嘉は愚かですから、求道的に生きる事しかできません。無防備に教育活動をしてはいけないのです。というわけで、会員制になってしまいました。大塚英志が『リアルのゆくえ』(講談社現代新書)という本の中で次のように言っています。「パブリックであろうとすると引きこもらざるを得ない」。

もう一人会員が入ってくださいました。ありがとうございます。
誰が入ってくださったかは、こちらにはわかりません。
演習等の送付は、メールでお願い言いいたします。
kitaibunshiアットマークgmail.com(アットマークは@になおしてください)

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モダンアートの教育スステムとその崩壊、そして移行(改題) - 2011.07.13 Wed

はじめたばっかりですが、『e-learning ArtStudy6400』にはじめての有料入会者がありました。一ヶ月の入会です。感謝です。

■入会者は誰だかわかりません!

誰が入会してくださったのかは、このFC2のブロマガシステムでは一切わかりません。
これは驚きがありましたが、良いシステムだと思います。
このことは重要です。
誰だか分かりませんから、入る方にも負担がかかりません。
同時に私は、普遍的な他者に向かって書いて、教育をして行きます。

しかし教育をするというのは、何なのか?



■天婦羅学生がはいれません!

昔から親しくしている方から、次のようなメールをいただきました。

演習ブログには、どう入るのでしょうか?入れるのでしょうか?
(月謝を払わないで、、、ということですが)
A.A.

調べましたが、入る方法がありませんでした。
このeラーニング『e-learning ArtStudy6400』は有料ですが、購読料金の30%はシステム手数料としてこのFC2の方にとられます。
ですので、なかなか天婦羅学生というのは、むずかしい。
無理をした裏技を使うと、システム的には危険なのです。

「むずかしい事はやらない。危険なことはやらない」という原則で言えば、心苦しいですがお断りをするしかありません。

ネットというのは非常に危険な場所でして、
実は気体分子ギャラリーのホームページのデータがあるレンタルサーバーが攻撃を受けて、大きな被害を出して、
回復ができなくなっています。
まったく無くなってしまっています。
否応も無くガードは固くせざるをえません。

■美術教育とは何か?

●自動車の運転おける教育


教育とな何か? 
単純化して、図式として言えば、原始時代の狩猟社会には学校は無かったのです。エジプトや黄河文明にも義務教育のような大規模な学校システムはなかったのです。教育という意味を、再度考えると、それは近代社会になって、義務教育という国民を形成する広範な教育システムが作動してからの教育を、教育として考える必要があります。
つまり近代以前の、たとえば高野山や比叡山で行われていた仏教僧の教育や修行というものとは、とりあえず違うという風に考えておく必要があります。
もちろん、厳密にはちがいます。原始の狩猟の中でも学習行為は行われ、石器の作り方の教育も行われていました。文明が始まってピラミッドをつくる石の切り出し方や、運搬、石組みの仕方も学習を必要としていたし、教育が必要であったのです。何よりもピラミッドをつくる時の高度の数学や幾何学、さらにはロゼッタストーンがしめしているように複数の言語の文字を書いているわけですから、学習と教育は、実は組織的に行われていたのです。

にもかかわらず、《教育》を普遍として原始からの一貫性としてのみ見る事は、間違いです。普遍的な一貫性は重要ではありますが、同時に汽車汽船の交通網が生まれて、世界の構造が変化した《近代》以降の近代教育をとりあえず別のものとして、切り分けておく必要があります。前近代と近代に間には、水の比喩で言えば、氷河が溶けて、河川になったといった、固体から液体に変貌したという様態変化があったからです。

繰り返すと、狭い意味での「教育」という意味は、「近代教育」を意味しますが、同時にそれは液体化した教育システムなのです。。

「近代教育」は何故に行われなければならなかったのか、この答えの最もシンプルなのは、自動車教習場と、その後の交通違反の取り締まりと再教育のシステムです。
運転をめぐる教育システムは、近代型の液体教育システムとして、たいへんにすぐれています。
違反で点数がなくなると再教育を受けますが、これもなかなか高額の授業料を払わせられますが、複数の性格分析が行われ、自分自身の性格の自覚と把握を強いるということまで執拗にやることにおいて、教育としては個人の内面に踏み込んだものです。
自動車を長年実際の公道で走らせて違反を繰り返ししている人には、道路交通法をめぐるこの液体教育システムの優良性は良く理解できると思います。

道路を大量の自動車が走る場合に、道路交通法や道路そのものの舗装や道路標識や信号などの取り付け、そしてガソリンスタンドなどの給油システム、パーキングエアリアなどの休憩システムや、JAF(日本自動車連盟)などの緊急援助システム、そして保険システム、税金システム等々、人工の巨大複合システムの中を走る事になります。

このような巨大人工複合システムを何重にも重ねて構築して行った場合、人間の自然性=固体性では自動車を走らせる事はできなくなるのです。運転者には高速で移動することになれる様態変化が求められます。100キロ/毎時で走ると、一秒間に30メートルの移動があるので、この高速の移動に脳が対応して行く為には、前近代の氷河のようなゆっくりとした時間の流れ出は無理です。氷が溶けて、河川になって、速いスピードで運転者の内的時間が流れる必要があるのです。その為に人工的なルールを教育し、しかも免許を取った後にも監視して再教育を繰り返して行かないと成立しないという、極めて河川的高速変化の人工的教育と再教育のシステムを内包したものが自動車道路交通網の構築という事だったのです。

自動車というのは、蒸気機関が発明された初期段階に、「蒸気自動車」としてつくられます。日本人は「蒸気自動車」の存在を知っている人が少ないですが、ヨーロッパの交通博物館にいくと展示してあります。しかしその段階では道路が舗装されていなかったので、十分に走ることができなくて、線路を発明して、汽車に変貌したのです。つまり汽車そのものが、自動車の変形であったわけで、自動車こそが、蒸気機関による産業革命の生み出した交通革命の中心にあったのです。ということは、自動車を運転するという人工性こそが、近代という産業革命の生み出した人工システムの中枢であったのです。その自動車を運転する時に作動する教育システムこそが、近代の実践教育の一つのエッセンスとも言うべきものなのです。

●モダンアートの紋切り主義教育の美術制度内在化

これに似ていたのがニューヨーク近代美術館を司令塔として作動していた、
1975年以前の近現代の美術教育システムであったのです。

道路交通法の法規と同様に、ニューヨーク近代美術館のモダニズムの指導は、
何をやってはいけないという、禁止と、その禁止を実行するシステムでありました。
これは日本の1970年代の貸し画廊や美術評論家にも浸透していて、MOMAの出店のようにして、
価値観をアーティストに強いたのです。
つまりモダニズムというのは、こうした監視システムでもあったのです。
しかもそれは人間の中に有る下劣なものを排除するものでありました。


モダンニズム芸術というものは、事実を事実としては認識する事をしないで、
人間の下劣であるものを排除して、見ないようにしているという虚偽性をもったシステムでした。


一番代表なのは、イタリアのキリコの1910年からの形而上絵画を、ニューヨーク近代美術館は評価しながら、その後の1920年代からのキリコの古典絵画への回帰の展開を、ニューヨーク近代美術館は批判して認め無かった事です。私自身は、ミラノで開かれたキリコの大回顧展を見ているので、キリコが巨匠で、偉大である事がわかり、MOMAが批判した気持ちは分かるにしても、20世紀芸術の実際的な実践としては、その批判は間違いであったと思いました。実際キリコは、一番早いポスト・モダンのアーティストとしての高い評価がなされるようになります。つまりニューヨーク近代美術館というは、近代美術に固執した美術館でありモダニズムの牙城であって、ポスト・モダンへの視野の射程をもっていなかったのです。


モダニズム芸術は、人間性の中にある下劣なものを排除した高級芸術として、君臨していたのです。
お高くとまった芸術というのが、近現代芸術であったのです。彦坂尚嘉の『アートの格付け』では、《超次元》から《第50次元》までのものが、基本の高級芸術でした。《第51次元》から《第100次元》は、キッチュで、大衆用の下品な美術でした。このように2つに引き裂くのが、《近代》の特徴だったのです。
だから、この人間性の中に有るどうしようもなく下劣なものを、まるで無いかのように排除することが高級な芸術であるという錯誤が支配することになります。

こういう風につまらないものを創れば芸術になれるという、機械的な制作が可能なのが、
モダニズムのアートであったのです。
その中心的な方法が、紋切り主義でした。

紋切型というのは、ステレオタイプとか、テロタイプとも言いますが、印刷されたもののように同じ思考パターンをとることで、ものの見方も判で押したように同じ態度が多くの人に浸透している状態を言います。つまり一種の新興宗教のような状態に人々が陥っていて、多様性が失われた状態です。《モダンアート》というのは、その意味ではある種の新興宗教でありました。作品も類型的なものになったのです。ですから、美術作品をつくる作り方を、一義的に教える事は可能であったのです。たとえば一時期の韓国現代美術界に君臨していたエコールドソウルというグループは、様々な手法を使いながらも、全てミニマルペインティングの焼き直しという作品で、しかも全てが白っぽい悪品で統一されていました。
つまり紋切型で良ければ、美術教育は十分に可能なのです。

モダニズムというのは、その一直線上の歴史観や、アヴァンギャルドという軍事用語を重視した事においても、非常に強い紋切り性をもった洗脳システムを内在させた時代であったのです。そして1975年のアメリカのベトナム敗戦で、この紋切り教育内在型の美術の時代が終わったのです。

終わったと言っても、その影響や残存は依然強く残っています。終わると機械的に無くなるものではないのです。

●メソッドによる教育

エジプトのピラミッドの中の壁画が、5000年間同一のスタイルで描かれていたもの紋切型ではありますが、しかしそれはデザインにはなっていなくて、同一のグリッドシステムで描かれているのですが、にもかかわらず、作者の個性は出ていいて、言い換えれば私的な表現が、公的なグリッドシステムを介しながら成立していて、ニューヨーク近代美術館の学芸員ルービンが言うように、芸術になっていたのです。

江戸時代の狩野派は、トレースシステムの粉本主義に陥って非創造的な、つならない美術を量産したと、私の教えられた美術教育の中では否定的に教えられたのです。確かに狩野派には《第8次元 信仰領域》のつまらない画家もたくさんいますが、しかし実際に狩野派の美術を見て行くと、その二代目の狩野元信は中国の画家を超える傑出した絵画を多く残していますし、彼が作動させた美術制作体制は、実際には多くのすぐれた画家と《超一流》の美術作品を大量に生み出したのです。つまり狩野元信のつくったものは《狩野メソッド》ともいうべき教育システムだったのです。この《狩野メソッド》から出現した彦坂尚嘉が評価する《超次元》の狩野派の画家は次のようです。

狩野元信
狩野永徳
狩野長信
狩野 山雪
狩野永納
久隅守景

つまり美術をアーティスト個人の個性の表出を第一義に押し出す前に、《狩野メソッド》のように伝統的な名品や筆法、構図法、色彩法をまず学ぶ事は重要なのです。こうした伝統の名品を参照する態度と、芸術グループとしての勢力保持と社会性の拡大、市場の拡大に努めることは、ただちに芸術的創造性を失っていくというものではないのです。《狩野メソッド》とも言うべき教育システムを形成した狩野派という日本美術史上最大の画家集団を、高く評価するというのが彦坂尚嘉の立場です。

念のために「メソッド」という言葉の意味を解説しておきます。メソッドというのは、日本語で言えば「方法」です。デカルトの『方法序説』というのは、「Discours de la mthode」です。バイオリンを子どもに教える「鈴木メソッド」が有名ですが、アメリカのバークリー音楽大学での教えられているジャズなどのポピュラー音楽の音楽理論やリディアン・クロマティック・コンセプトというマイルスデイビス、ジョンコルトレーン、ビルエバンスなど学んだ即興演奏における方法論は「バークリーメソッド」と言われます。

アメリカの法律教育というのは、アメリカの法律が日本のような成文法中心ではなくて、判例法の世界なので、具体的な事件とそこでの判決・事案・事象が大切なので、そこでの教育は「ケースメソッド」と言われます。

アメリカの経営学でも、理論よりも実践が重視されるので、実際のケースを学習する事を重視していて、米国のハーバード・ビジネス・スクールの「ケースメソッド」教育は有名です。

彦坂尚嘉が考える美術教育というのも、アメリカの法律や経営学と同様に、制作という実践が重視されるので、実は理論と言っても美学者が哲学として形成する芸術理論よりも、実際の美術作品の分析を重視しているので、基本的に《ケースメソッド》なのであります。つまり彦坂尚嘉の芸術理論も美術教育も、芸術鑑賞検定も、美学や哲学系のものではなくて、《ケースメソッド》系のものなので、そのことによる分かりやすさと、だから分かりにくいという面があります。そして先例とする《狩野メソッド》もまた、芸術理論であるというよりは《ケースメソッド》なのです。

●《第8次元 信仰領域》にこもる作家たち


狩野派の中にいた《第1次元 社会的理性領域》のアーティストたち、例えば狩野正信や、狩野松栄狩野探幽、狩野山楽や、狩野秀頼等々、は、社会的な評価を大きく獲得していました。

もう一面で、狩野派の《第8次元 信仰領域》の作家達も沢山います。この狩野派の《第8次元 信仰領域》の作家たちもまた同様の《狩野メソッド》の美術教育を受けているわけですから、教育内容というよりは、画家個人の資質や才能によって、同じ《狩野メソッド》の教育システムでも、《超次元》になる画家、《第1次元 社会的理性領域》の画家、《第8次元 信仰領域》の画家が生まれてくるわけです。

誰でも《超次元》のアーティストにするという教育システムはないのです。この個人差を事を乗り越える教育システムは無いと考えた方が良いのではないでしょうか。

個人差を乗り越える教育システムは無いのか?
誰もが《超一流》の絵画を描く事はできないのか?

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3.11以後の新しい芸術教育の輪郭 - 2011.07.10 Sun

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3.11以降の状況の中で、若いアーティストたちが、制作する必然性を失っているという話を数カ所から聞いています。3.11以降に、、何のために作品をつくるのか? いままでやって来た事の意味を完全に見失ってしまって、これから何を創るのかも見失ってしまっている若いアーティストが多いというのです。震災の現地に行ってボランティアをやる様な事はできたとしても、美術作品をどのように創って行ったら良いかが分からなくなっているというのです。

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3.11以前にあった、多くの人が考える共通の高度消費社会の思考フィールドが、壊れたのです。

別のところからのうわさ話ですが、某美術館の館長が、3.11以降不安がっているという話です。終息しない福島原発事故は、身の丈主義で生きて来た多くの日本人には、想定外の事故であり、このような破局を前提には、美術というものを考えてこなかったのです。むしろ逆で、破局の無い、平和で安全で、快楽に満ちた天国のような時代がそれまでの世界でありました。美術の目的もまた幸福であることが最大の基準で、行為の基準を幸福におくような幸福主義の時代でありました。

幸福主義

 
3.11以前というのは、1991年から20年間にわたってアメリカの「根拠なき熱狂」が吹き荒れて、過剰消費が世界中をおおっていたのです。過剰消費という満ち足りた幸福な世界。物質的な豊穣さの中での永続的な幸福主義の世界という高度消費社会のユートピアの状況、こういう動きの台頭に合わせて村上隆が台頭し、これに続いて奈良美智、そして会田誠がスターに駆け上りました。これ以降、日本でもハイリスク・ハイリターンの合い言葉で、若い未熟な表現がもてはやされたのです。

村上隆


この「根拠なき熱狂」の中で、《近代》という時代が磨き上げた絵画や彫刻、さらには芸術の枠組みは忘れられ捨てられて、自然発生的とも言えるイラストや人形、さらに工芸や手芸に基盤を置く表現が台頭したのです。新進の美術評論家・松井みどり氏が押し出したマイクロ・ポップのアーティストたちです。が、しかしこれらの若い表現は、時間がたつとその未熟さと底の浅さを露呈させて力を失い始めていました。

マイクロポップ


2007年の世界金融危機の勃発にによって世界経済が不調化し、さらに「アラブの春」による石油高騰が世界経済に影をなげかけ、さらに2011年3月11日の東日本大地震と福島原発の事故によって、ここ20年の表現の基盤であった「根拠なき熱狂」が終わって、今出現しているのは「破局の時代」なのです。

アラブの春

世界中で地殻変動による地震と津波が起き、経済が不安定化し、政治が混迷を深めて不幸な時代が始まったのであります。

「破局の時代」への転換の中で、不幸を前提にして芸術作品は創り得るのか?
こういう破局状況の中で、美術や芸術、アートを教育する事は可能なのか?

私は可能であるし、逆に、このような不幸な時代こそが、美術や芸術という技術の成立の一つの根拠であると考えています。つまり悲劇の時代を乗り越える技術の一つが芸術なのです。

さらに言えば、3.11は、単なる原発事故であるのではなくて、日本社会が中心部分から崩壊し、溶解するという事態であって、それは美術そのものの変革にまで波及するものなのです。

以下は新聞にあるベストセラーの書籍です。
『日本中枢の崩壊』は16万部のベストセラーです。

日本中枢の崩壊

日本社会の中枢は、崩壊を始めているのです。それは今日の政治の混迷を見ていても、明らかでしょう。
次の本は『日本中枢の崩壊』の著者の対談です。

日本が融けて行く

日本が融けて行くというのは、リアルな言い方です。
別の方もまた、日本人の溶解を指摘しています。

溶けてゆく日本人

もう一つ、現在の日本の現状を、第三の敗戦と言う堺屋太一の本も出ています。

第3の敗戦

こうした日本の崩壊の中で、アーティストは、どのように美術作品を創って行ったら良いのか?

2010年代の破局の時代の本質は、福島原発事故と深い関係があります。つまり原子爆弾を開発した近現代の自然物理化学こそが、還元主義の単純系科学であったのですが、この単純系科学の時代であった近現代が終わってしまったのです。

原爆


つまり産業革命を推進した近代科学技術が、蒸気機関をつくって日本に黒船として来航して、日本は明治維新を成し遂げて近代化を推進してきました。この明治維新以来の近現代化の時代と、それを推進して原発を成立させた自然物理科学の単純系科学が、破綻して終わったのです。

黒船


地震や津波も大きな災害でしたが、これに連動して起きた福島原発事故は、日本の歴史においても過去に例を見ない様な規模での破綻であって、亡国、さらには日本民族滅亡の事態であります。しかも福島原発事故は現在も終息をしていない状態であって、放射能は垂れ流しで、放射能汚染は蓄積され続けています。福島原発の第一号機はメルトダウンどころかメルトスルーしていて、約100トンの燃料が地中に下降している状態で、高濃度の放射の流出が地下水汚染として続いていて、海洋汚染となって継続するという、将来の地球の海全体が死に瀕する可能性すらある事態が進行しています。しかもこの事態に東京電力も日本政府も沈黙していて、対策はまだ取られていません。

つまり福島原発事故というのは、明治維新以来の日本の近現代社会と、単純系科学信仰の、底抜けの破綻なのであって、終息させることには100年を超える時間を要するようなどうしようもない破局なのです。

この近現代物理化学の破局に取って代わるように、新しい時代が、複雑系の科学と情報科学の時代として始まってきていたのです。それは近現代的な国民国家の時代ではなくて、グローバリズム化の新しい中世とも言うべき時代なのです。この新中世の時代の美術へと、時代は変貌して行くのです。

美術の基盤を根底的に改める大きな時代変化なのです。

情報化社会の芸術が、日本において真の意味で始まったのが3.11であり、だからこそ、芸術教育の再編がなされ、新しいアート教育として、このeラーニング/アートスタディーズ6400の通信教育を立ち上げて行きたいと思います。

これまでの日本の美術状況は《第6次元 自然領域》でありました。これが破綻して《第6400次元》までの世界が出現したのが3.11の惨事でありました。この《第6400次元》の惨事は、素早い復興で再びふたをしてみえなくなるような形では終息出来ないのが現在です。

ですから《第6400次元》をまず、美術の基盤とすることから初めなければなりません。

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New HIKOSAKA 彦坂尚嘉

Author:New HIKOSAKA 彦坂尚嘉
彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年6月26日 - )は、 美術家。立教大学大学院特任教授。日本建築学会会員。日本ラカン協会会員。気体分子ギャラリーを主催。

【著書/出版】『反覆/新興芸術の位相』(74年、田畑書店)、『死に対抗する力』(91年、ギャラリーKURANUKI)、『リノメランコリア』(94年、岡部版画工房)、共著『リベーションの現場』(05年、彰国社)、共著『メディアと精神科医』(05年、批評社)。共著編『皇居美術館空想』(08年9月朝日新聞社)。『彦坂尚嘉のエクリチュール』(08年、三和書籍)、共著『3・11万葉集 復活の塔』(2012年、彩流社)

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