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2011-09

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制作01~ - 2011.09.30 Fri



















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制作とコレクター - 2011.09.28 Wed

アーティストが考える作品と、コレクターや美術館、美術史家が見ている作品の違いについてEvernoteでの音声収録を4本の続き物です。
内容が個人名も出てきて生ですので、聞かれる方を限定する必要があります。一般公開ではなくて、あくまでも教育としての具体例ですので悪意はまったくありません。ご了解ください。

基本的な内容は、特に新しいものではありませんが、それを自分なりに刷新して、深めようとしている思索です。

文章では書けない内容を、栃原比比奈さんとの会話で語っています。対話という形式は、人類の文化の生産の形式として普遍的なもので、ギリシア哲学もインド哲学も、中国哲学も、初期の形式は対話形式です。

iPhoneでの録音と、Evernoteでのウエイブ上の保存、それを無編集で公開するという、このブロマガの形式は、簡便ではありますが、優れていると考えます。
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制作概念の転換? - 2011.09.28 Wed

ネガデスさんからコメントをいただきました。

ここまでの巨大な壁面をたった1日で描くという事、とてもドラマティックで感動しました。ある大手のギャラリストが「若い作家で広い面積を任せても、対応出来る人間が少なくて困る」と嘆いていた事を思い出しました。


大きい画面を早くに描くということは、実はそれなりに追求してきたことでした。2003年年に越後妻有トリエンナーレ以降の試みでした。続きは後で書きます。


と書いて、時間が経ってしまったので、ブログを新たにします。

ネガデスさん、コメントありがとうございます。
自分でも一日で描けるとは思っていなかったので、この仕事は、大きな転換になったと思います。
それまでの制作という概念が、根本的に変わってしまったようにおもえるのです。

南相馬の壁画と大きく違うのは、下地に木目があるかないかでした。
木目があると、第1次元から第2300次元までが、すでに出ています。
新港村の壁画は、合板に白い塗装がされているので、第6次元しかありません。
これをどうするのか?
まず、下地つくりとして、色鉛筆と、明灰色で、2本の線を規制されたオートマティズムで引いて、
第1次元から第2300次元までを作ります。
この場合、2本の線、2色ということが重要で、たった二つで、第1次元から第2300次元までが生まれます。

この2300次元の下地の上に、絵文字を描くという2重性で、作品を成立させました。

作品そのものは超次元から6400次元までどころか、その倍の12800次元という地球のマグマまでの視野、さらにはその倍の25600次元という宇宙意識まである作品になりました。2重性を使うだけで、簡単に早く超多層的な構造が作り出せるということ実現したのです。それは一つの達成ではあるのです。一方で、そうした超多次元の作品を多くの人は嫌いで、泥臭いものと感じるということも知っているし、その理由も理解はできるようになってきているのですが、私の人生にとっては、この超多次元の作品制作が、欲望であったし、目的であったのです。

芸術やアートの問題を、世界と向き合って認識する行為と考える私のようなスタンスのアーティストにとっては、この新港村での制作は、自分自身の探求が目標に達してしまって、その限りでは終わってしまったということができます。

しかし芸術やアートそのものを構成する要素は多くて、別の角度から見れば、課題や、解決していない問題はたくさんあります。その代表的なものが、芸術やアートを社会的出来事として、社会性の視点だけでとらえる見方です。この社会性という視点で見ると、超次元から6400次元まである作品というのは、社会的には評価されないものなのです。

社会的な視点から芸術を考えると、まずは第6次元だけの単層の作品が、社会的なのです。

さらには第1位次元だけの作品が重要です。ともあれ、超多次元の作品ではなくて、単層性、あるいはそれに近いものが、社会的には重要で歓迎されるのです。なぜなら社会の基盤は6次元の単層性と、その6次元の単層性を抑圧する第一次元の2層が基本でできているからです。つまり超次元から6400次元まである超多次元なものは、文明的ではないものとして社会的には排除されるものなのです。
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3.11以降の彦坂尚嘉の芸術分析の変化と社会の変化1・2~3 - 2011.09.27 Tue


建築系美術ラジオです。

3.11を体験して、彦坂のアートの格付けが変貌して行く様子を語っています。(1と2)

音声データは以下をクリックしてお聴き下さい。
 3.11以降の彦坂尚嘉の芸術分析の変化と社会の変化1と2

3では、現代アートの内容が、時代の変貌の中で変わって行く事で、観客が変わって行った事を、彦坂が語っています。

音声データは以下をクリックしてお聴き下さい。
 3.11以降の彦坂尚嘉の芸術分析の変化と社会の変化3


2011年9月26日、横浜の新港ピアでの新・港村のDゾーンでの収録です。
参加者は、彦坂尚嘉、栃原比比奈、山本葉子。
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iCAFに参加してきました。 - 2011.09.27 Tue

お早うございます。
KB6400京都の中川晋介です。

先日の日曜日、国立新美術館で行われた「iCAF」というアニメーションの上映会に行ってきました。私の「trend」という作品を上映してもらえる事になったので見に行ったのです。



iCAF(インター・カレッジ・アニメーション・フェスティバル)は、アニメーションを専門に学ぶ事ができる教育機関が推薦する作品を一同に集めたアニメーションフェスティバルです。私は一年間「アートアニメーションの小さな学校」というアニメーションを教える機関に在籍していて、出来上がった作品を推薦していただいて上映してもらえる事になりました。

国立新美術館の3F講堂+研修室で行われました。

icaf会場

 私の作品は開催三日目の25日(日)、Eプログラム(12:40~15:10)で上映されました。大きな画面で自分の作品を見ると、やはり見え方が変わっていました。大きな画面でも成り立つように、細かいディティールを意識的に撮影していましたが、具合が見れて良かったです。題名やクレジットにかける時間、映像と映像を繋ぐ間の印象が違ったので、これから気をつけないいけないなあ。音がもっと大きく音割れしかけてるくらいのほうがよかったけれど、そういう事も知れて良かったです

 iCAFは東京だけでなく、京都の京都国際マンガミュージアム、金沢の21世紀美術館でも巡回上映されるので、お近くの方は是非ご覧下さい。

■■■ 東京上映 ■■■

場所:国立新美術館
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日程:9/23(金)~25(日)※終了致しました
Web:http://www.nact.jp/


■■■ 京都上映 ■■■

場所:京都国際マンガミュージアム
kkmm.jpg

日程:10/15(土) 13:45~15:15 Aプログラム
         15:30~17:00 特別プログラム
  :10/16(日) 13:45~15:15 Bプログラム ※私の作品が上映されます。
         15:30~17:00 Cプログラム
  :10/21(金) 13:45~15:15 Dプログラム
         15:30~17:00 Eプログラム
  :10/22(土) 12:00~13:30 海外プログラムA
         13:45~15:15 Fプログラム
         15:30~17:00 Gプログラム
  :10/23(日) 12:00~13:30 海外プログラムA
         13:45~15:15 Hプログラム
         15:30~17:00 Iプログラム
Web:http://www.kyotomm.jp/


■■■ 金沢上映 ■■■

場所:金沢21世紀美術館
21.jpg


日程:11/04(金) 10:00~12:30 海外プログラム
         12:45~15:15 Aプログラム
         15:30~18:00 Bプログラム
  :11/05(土) 10:00~12:30 Cプログラム
         13:00~15:00 特別プログラム
         15:30~18:00 Dプログラム
  :11/06(日) 12:45~15:15 Eプログラム ※私の作品が上映されます。
         15:30~18:00 Fプログラム

Web:http://www.kanazawa21.jp/

日程が近づけば改めて連絡させてもらいます。よろしくお願いします。


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icaf2011というアニメーショんのフェスティヴァル2 - 2011.09.27 Tue

20110913_img_001.jpg


icaf2011というアニメーショんのフェスティヴァルの作品を、もう2本紹介します。

アニメーションを専門的に学ぶ教育機関が推薦する学生作品を一同に集めた、学生のための本格的なアニメーションフェスティバルであるインター・カレッジ・アニメーション・フェスティバル(Inter College Animation Festival/ICAF)が今年度も開催されます。今年度は東京・国立新美術館(9/23、24、25)を皮切りに、京都・京都国際マンガミュージアム(10/15、16、21、22、23)、金沢・金沢21世紀美術館(11/4、5、6)と3つの会場で行われ、学生アニメーションの”今”を感じる事が出来る貴重な機会となります。このフェスティバルは東京工芸大学、多摩美術大学、東京造形大学、武蔵野美術大学、今年度から女子美術大学を加えた幹事校の担当教員たち、学生たちが「学生作品をもっと多くの方々に見てもらいたい!」と純粋で一途な気持ちで、まさに手弁当で企画運営を行っているのです。

新国立美術館で開催されて物で、非常に多くの作品が出品されていますが、そのほとんどは彦坂のアートの格付けですと6次元のものです。その中で超一流の原芸術性と、原アニメーション性があると彦坂が芸術分析した作品をご紹介するものです。その一つがすでにこのブログでアップしたフランスのアニメーション『チェルノブイリキッズ』でした。
 もう一本、早稲田大学川口芸術学校の中 智範 さんの『INSIDE』ですが、これがYouTube画像にアップされていないので、ご紹介が出来ません。
 実は中川晋介さんが『アート・アニメーションの小さな学校』の卒業生として、ここに出品しているのです。ですので紹介する1本は中川晋介さんの作品で、もう一本は、武蔵野美術大学の内村 真季さんの『まるれおん』という作品です。この二人の作品は超次元性があって、しかも原芸術、原アニメーション性があって、彦坂はの芸術分析では評価できる作品です。まあ、しかし普通の人には退屈で、わけの分からない作品と見える事とは思います。




武蔵野美術大学の内村 真季さんの『まるれおん』
象徴界で、超次元から6次元まであります。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



中川晋介『trend』
象徴界で、超次元から100次元まであります。






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ウェブサイト再開とオークションの再開をめざして(改題1改稿1) - 2011.09.27 Tue

お早うございます。
中川晋介です。

今回は気体分子ギャラリーのウェブサイトについてお知らせさせていただきます。
ウェブサイトは、サイバー攻撃を受け閲覧出来ない状態になっていましたが、サーバーが不完全ながらも修復してくれまして、10月初旬に再開する予定です。
休止していたオークションも再会する予定ですが、
より意味の有るものへとバージョンアップしたいと準備しています。



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現代のアニメーション/チェルノブイリキッズ(改題1校正1) - 2011.09.26 Mon

icaf2011というアニメーショんのフェスティヴァルの作品を紹介します。

その中で、放射能に関連して、日本での上映が中止された作品『チェルノブイリキッズ』を
このブログにアップしておきます。

ヨーロッパのデジタル関係の表現のフェスティヴァルであるLes e-magiciens Festival2010に出品された作品で、
フランスのヴァランシエンヌという都市の学生5人によるアニメーショんです。

この作品の上映が中止された事を遺憾に思います。



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 - 2011.09.26 Mon

ネガデスさんからコメントをいただきました。

ここまでの巨大な壁面をたった1日で描くという事、とてもドラマティックで感動しました。ある大手のギャラリストが「若い作家で広い面積を任せても、対応出来る人間が少なくて困る」と嘆いていた事を思い出しました。


大きい画面を早くに描くということは、実はそれなりに追求してきたことでした。2003年年に越後妻有トリエンナーレ以降の試みでした。続きは後で書きます。
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 - 2011.09.24 Sat

昨日下記の催し物が開かれて、彦坂尚嘉も出席して発言したので、そのご報告を書きます。

震災とクリエイティビティ
Creative reaction to the earthquake in 2011


この展覧会は、新・港村に関わってくださっているチームの中で、東北地方の大震災に対する自主的で継続的な活動を紹強調文介させていただくものです。 アーティストや建築家等、クリエイターと呼ばれる人たちが「自分たちにできることは何か?」という問いかけを反芻しながら、 真摯に現場に関わっている姿をご覧いただければと思います。


震災とクリエイティビティ:それぞれの視座から

「震災とクリエイティビティ」に展示する5組の活動を紹介。 建築家・アーティスト・計画者から、牡鹿半島・石巻や南相馬など各被災地でのそれぞれの支援のありかた、 アーキエイド・サマーキャンプやvoiceなど現地での活動を通しての実感、その後の活動の成果や現地での応答性について報告しつつ、 震災後半年経った「今、震災について私たちは何ができるか」を共有の問いとして考えます。

[アーキエイド] 小嶋一浩・千葉学・城戸崎和佐・宮本佳明・槻橋 修・安原幹・小野田泰明

[石巻2.0]真野洋介・西田司

[建築系ラジオ]五十嵐太郎・彦坂尚嘉

[デイリリーアートサーカス]開発好明

[3.11メモリアルプロジェクト]村上タカシ

コーディネーター:福屋粧子

日時:9月23日[金] 17:00-19:00
場所:自由広場


日時:9月23日[金]~10月11日[火]

出席者は寒竹関係の方々が多かったのですが、アーティストの開発さんや村上さんを含めて面識のある方々が多かったです。被災地の現場に入って活動報告が中心の発表が続きました。他人の活動を知るという意味では有意義な話でしたが、一方では、退屈感がありました。私の発表は、基本的に「復興」というテーマ設定には批判的なものでしたので、最初から、違う意見を言っていたので、発表の後はおとなしくしていました。ところが五十嵐さんから発言するように言われたので、異なる意見を言いました。つまり3.11以後に、題名にある「クリエイティヴィティ」そのものの基盤が変動したという意味の話でした。

面白かったのは最後に、ここの責任者の池田修さんが批判したのですが、それは「建築は遅くて責任ある行動をするが、アーティストは軽くて早くて無責任な行動をしている」という風に誤解を与えかねない発言があって、それに対して池田さんが怒って、異議を唱えたのでした。

建築側の発言は、悪意のあるものではなかったのですが、この池田修さんの発言は良かったし、面白かったです。

終わってから、五十嵐太郎さんと南泰裕さんからは、私の発言の評価をいただきましたが、まあ、仲間褒めとはいえないわけではないのですが、しかし建築系にしてもアート系にしたも、話が直接的過ぎて、この3.11を含む現在の根本的な変動を無視しすぎている姿勢には疑問があったし、何よりも退屈でした。

その中で池田修さんは、面白かったし、気骨があって、尊敬出来ました。今回の建築系ラジオのブース建設でも、担当の松田達さんと池田さんは激突して、大変だったのですが、私は一貫して池田修さんの言い分が、現場を生きている人間として筋が通っていると思い、支持してきました。現場感覚がアート系の方があって、建築の方の全部ではないのですが、中には、どこかで、空中に浮いている方々がおられるのですね。美術系も同様ではありますが、その空中浮遊を批判する池田修氏は面白いのです。今回の新港村の企画は、なかなか凄いもので、池田修という希有な人物の活動の集大成というもので、一見する値打ちはあるもんであると思います。
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第46回「ラカンと美術読書会」のご案内 - 2011.09.20 Tue

皆様

ラカンと美術読書会連絡係りの加藤 力と申します。
ご案内させていただきます
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
>第46回「ラカンと美術読書会」のご案内

日時10月7日(金)18時30分 ~ 2時間程度
場所 立教大学(池袋) 6号館 6106研究室

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「ラカンと美術読書会」とは下記の2人が共催する読書会です。

彦坂尚嘉(日本ラカン協会幹事、立教大学大学院特任教授、日本建築学会会員、

美術家)
武田友孝(元・東京スタデオ、インデペンデント・キュレーター)

ラカン『無意識の形成物〈下〉』と、
月代わりで選出される美術本の読書会です。

2007年8月より月一回のペースで開かれています。
ごくごく初歩的な読書会で何方でも参加できます。
どうぞお気軽にご参加下さい。

テキスト
◎ラカンは『無意識の形成物〈下〉』 (岩波書店)
●美術は『超芸術Art in Action―前衛美術家たちの足跡 1963‐1969』平
田 実 (著)

  参加費 無料(コピー代のみ実費で頂きたくお願いいたします)
テキストは特に準備なさらなくても、こちらでコピーを用意いたします。

※ 研究会は夕食時に重なりますので、
  各自はあらかじめ軽食や飲み物を 
  適当に用意して来て頂ければ幸いです。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
立教大学への一番楽な道

池袋駅西口方面へ
西口の階段は登らずに、
地下商店街の通路を歩きC3出口から立教通りへ
駅から歩いて行くと、左手に立教大学の正面のツタの生えたたてものの
正門が見えます。
右手にも、立教大学の門があります。
それを通り過ぎて、最初の小さな道を右に曲がると、
左手に6号館の建物の門があります。
建物に入ると守衛の部屋があるので彦坂の所に行くと言って下さい。
研究室は6号館の6106です。

分からなければ、彦坂の携帯に電話して下さい。
090-1040-1445
研究室の電話
03-3985-6106

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
詳しい行き方は以下よりお願いします
立教大学のサイト
http://www.rikkyo.ac.jp/
一番上のバーに交通アクセスがあります。

ページ中程に池袋キャンバスへの道順が、あります。
http://www.rikkyo.ac.jp/access/pmap/ikebukuro.html

キャンバスマップがあります。
http://www.rikkyo.ac.jp/access/ikebukuro/index.html
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
申込・問合せ先:加藤 力(美術家、臨床美術士)
           E-mail:sp5g7d99@axel.ocn.ne.jp          
           FAX:0467-48-5667
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盆栽美術館での建築系美術ラジオ収録1と2 - 2011.09.19 Mon





下の文字をクリックするとラジオが聞けます。

盆栽美術館での建築系美術ラジオ収録1




2011年9月18日、大宮の盆栽美術館に来てその感想のラジオ収録です。参加したのは彦坂尚嘉(美術家)、糸崎公朗(写真家)、栃原比比奈(美術家)、江藤靖子(日本画家)。収録したのは、大宮のサイゼリアという大衆的なイタリアレストランです。







下の文字をクリックするとラジオが聞けます。

盆栽美術館での建築系美術ラジオ収録2

2011年9月18日、大宮の盆栽美術館を見て、4人で自動車で藤沢の彦坂尚嘉のアトリエに帰ってに来て、盆栽の話を続けたラジオ収録です。参加したのは彦坂尚嘉(美術家)、糸崎公朗(写真家)、栃原比比奈(美術家)、江藤靖子(日本画家)








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今日は盆栽美術館に行きます - 2011.09.18 Sun

It君論を書いたのですが、未完成であったのと、誤植が多くて申し訳ありませんでした。ソネットも使いにくかったですが、このFC2ブログも問題があって、直に打ち込んで格のにトラブルが起きて、別のソフトで文章を書いて、ペーストを繰り返して書いたので、重複が出てしまって申し訳ありません。
 校正をして、へらしましたが、まだ完全ではありません。
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糸崎公朗への再批評(大幅加筆7画像追加5校正8)と、無償の行為と有料ブロマガ - 2011.09.17 Sat

糸崎公朗への再批評と、無償の行為と有料ブロマガ

私自身は、ニーチェが好きな人です。ニーチェの哲学は、好きな人と嫌いな人に割れるという傾向が強いものです。ニーチェは「贈与の徳」ということを言って、無償の行為を評価しましたが、しかし多くの人は、無償の行為を嫌うのですね。私の廻りでボランティアに強い拒否反応を示したのはM7のやのまきさんや、アーティストの佐々木薫さんでした。ボランティア活動というものを嫌悪しているから、やのまきさんや佐々木薫さんが商売人であるというかというと、決してそうでは無くて、商売人としても下手な人と言う印象があります。何かを根本の所で誤解している人たちで、むしろエゴイズムの強い子供のような無垢な人たちという印象なのです。普通は無垢な子供はすばらしいという価値観が信じられていますが、実際の子供は万能感の強い自己中心主義の強欲の嫌なものなのであって、子供の無垢というのは、野蛮なものが持つエゴイズムの固まりの醜悪さに過ぎないのです。最近の女性は、この手の無垢な人が増えているのです。

下の

クリス・アンダーソンの『フリー』という本が世界的なベストセラーになりましたが、その内容は「なぜ、一番人気のあるコンテンツを有料にしてはいけないのか?なぜ、ビット経済では95パーセントをタダにしてもビジネスが可能なのか?あなたがどの業界にいようとも、“無料”との競争が待っている。それは可能性の問題ではなく、時間の問題だ。そのときあなたは、創造的にも破壊的にもなり得るこのフリーという過激な価格を味方につけることができるだろうか。」というものでした。この本は私は志田寿人にいただいて読みました。

さて、私は、実は無料で多くの美術展の企画をしてきています。この辺の経緯を前に書いているので、再録文させていただいて、こうした無償の行為の果てに、有料ブログで美術批評を書くという選択に至っているということをご理解いただければと思います。再録文は長いですが、読んでいただければと思います。その後で、批評は、美術作家を目指す人間には必要なものですが、それは有料のブロマガの方が良いのです。有料ブロマガを誰が読むと言って批判したのは糸崎公朗さんでしたから、だからこそ有料の方で、it君について書きたいと思います。

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無償と有償



私は、無償の奉仕で、

いろいろな活動をやって来ています。

1978年に村松画廊で、『原型と現象』展というのを、彦坂尚嘉企画でやりました。

さらに4回にわたる『ハッピーアート』展(1981年)、そして『かたちへかたちから』展(1982年)といった企画を、私は展開します。

アートマン展(Gアートギャラリー、1981年)、「グループY」展(村松画廊、1982年4月)、「グループY」展(村松画廊、1982年9月)、「グループY」展(村松画廊、1984年7月)は、私の企画では有りませんが、後ろにはいたのです。

Bゼミ出身の作家たちをメンバーにして、続けて打ち込んでいったのですが、これらの活動は無償の奉仕活動でした。

こうして一難早いニューウエーブのムーブメントを、私は作り出していきます。

余談ですが、Bゼミの故・小林昭夫所長は、極めて迷惑そうな顔で、これらの企画展を見に来ていました。つまりBゼミがお金を出したのでもないし、バックアップしてくれていたのでもないのです。Bゼミでの給料の範囲を超えた、こうした活動は、所長として迷惑であったのだという印象でした。美学校と違って、Bゼミは2代目に移行に失敗して閉校になりましたが、そういう未来の無さを、この時の彼の顔の鬱々とした表情に感じました。

『原型と現象』展では多木浩二氏に文章を書いてもらって、一緒に企画をやってる形をとっていますが、実質は彦坂尚嘉が全部作った美術展です。多木氏は、Bゼミに関してはクールで、故・小林昭夫氏の花園でしかなくて、彼を超えては継続する一般性を持っていない事を、私に指摘したことがあります。

『かたちへかたちから』展(1982年8月)では、企画・千葉茂夫というふうにクレジットされていて、彦坂尚嘉の名前は表には出ていませんが、実質的には彦坂尚嘉が全部の企画をして組織化して、千葉氏の冠をかぶった展覧会でした。具象表現の復権を仕掛けた企画展でありました。

日本でのニューウエーブを作り出す、一番早い組織的な動きを、彦坂尚嘉は無料奉仕で、仕掛けていったのです。このことを、坂上しのぶさんが、1980年というテーマで、インタビューしたのです。こうした活動で、私が報われた事は、ありませんでした。私の仕掛けは、結果としては失敗して行ったからです。しかし、長期的に見ると、時代の大きな変化を体験して行く訓練になったのです。作家は、自然性では、長時間は保たないのです。すぐに有頂天になり、そして自滅して行きます。

今、これらの体験の総決算として気体分子ギャラリーをやろうとしています。この企画に、こうした経験を流しこんで、小さくても持続的に緩やかに展開できる場を形成できればと思います。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
一番最初は、1969年の多摩美術大学のバリケードの中の造型作家同盟展だと思いますが、私はもともと企画屋で、その前にもいろいろと、無償の奉仕企画は、やっています。

1973年のピナール画廊での「アフェア & プラクティス」展は、かなり大規模ですが、今日は細部を書きませんが、これも企画料が無料奉仕です。

つづけて「70年代中葉期の転換点より10年/質を問う9人の仕事展1?3」(1983年ギャラリー手)も、企画:たにあらた とクレジットされていますが、企画して組織化したのは彦坂尚嘉です。
この美術展の出品メンバーを書いておきます。1、小清水漸、堀浩哉、辰野登恵子 2、北辻良央、
田窪恭治、向井美恵、3、彦坂尚嘉、松本陽子、狗巻賢二

もう一つ、1995年から、中高年アーティストを組織化する活動を、無料奉仕しています。

「モダニズム研究会」という読書会を始め、「水彩の網展シリーズ」、そして「中高年の回顧展シリーズ」、「中高年再制作シリーズ」を、展開しようとします。さらに流産した「再生構造展」を企画します(これについては、反覆という題のブログで書いています)。これらは、すべて失敗して行きます。中高年アーティストも、古い画廊も、限界を露呈してしまったのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

さて、ここで書こうとしているのは、そうした企画が、何故やられて、どのように終結していったかです。

まず、村松画廊でのこうした企画への参加は、私の労働に対しては、一銭もお金はもらっていません。すでに述べた様に無料奉仕なのです。

企画料といったものは、もらっていないのです。

完全な、タダ働きです。
交通費や電話代と言った必要経費ももらっていませんから、
自腹を切ってやっている企画だったのです。

INAXでの個展から、村松画廊での個展といった丸山直文の売り出しに関しても、INAXでのパンフレットの原稿料から、企画料、村松画廊での企画料も、一銭ももらっていないばかりか、経費は自腹を切っているのです。完全な無料奉仕です。

私のコレクターは、丸山氏の作品を買っています。しかし売り出しを含めて、一度も丸山さんから感謝の言葉も聞きませんし、小さな作品一つもらっていません。私は、純粋に、無償の行為をしたのです。

その辺は、マキイマサルファインアーツで、現在、企画をやっている白濱雅也さんなんかとは、決定的に違う事なのです。彼は企画料をもらっています。マキイマサルファインアーツは、その前には松永康さんが企画に関わっておられましたが、彼も企画料や経費はもらっていたはずです。そういうことは、もちろん正当な事なのですが、私のやり口は違っていたのです。

私の場合は、まったく、持ち出しのただ働きでやっているのです。

外から見たら分からない事ですが、
彦坂尚嘉の活動の活発さや多様性は、
無償の行為だからこそ、
企画を取り、入り込めると言うところにあったのです。
もともと宗教性のある人で、無料奉仕というのには、抵抗が無いのです。

タダならば、いろいろやらせてもらえるのです。
画廊にとっても、これほどに便利な事は無いからです。

東京画廊でも企画をしています。ここでも条件的には同じで、企画料も経費も、いっさい請求していません。無料奉仕です。

私の場合、それは美術や、美術家を認識していく為の、ある種の探求活動であって、職業的な営利活動ではなかったのです。

リスボン建築トリエンナーレの話の時も、最初の企画は、建築家2組と彦坂尚嘉を、五十嵐太郎さんが選んでくれたのですが、予算が付いていない事が分かり、建築家2組は降りてしまったのです。建築家は、予算の無い仕事はしないのです。

五十嵐さんも、やる気を無くしかけていて、私にどうするのか聞いて来たので、「私はやりたい、予算が無くても、持ち出しでもやりたい」と、言ったのです。私というひとは、持ち出しでも、やりたいのです。無料奉仕というのが、好きであると言えます。それで、陣容が再度組み直しになって、実現して行きます。予算も国際交流基金が付けてくれる事になったのです。

先日の金沢の新堀学さんの、個人住宅も、私の関係で数千万万円の家が建ちましたが、私にマージンが入っている訳では、全くありません。それを見に行く飛行機代も、私の自前です。そして施主へのお祝いも、私が出している。私はここでも、経費をもって無賃労働をしているだけなのです。

彦坂敏昭さんの最初の個展を、ハガキだけで評価して、京都まで見に行って、東京に呼んだ、そういう京都までの往復の新幹線代を含めた経費は、私持ちです。それでギャラリー手とか、タマダプロジェクトが、彦坂敏昭さんの作品を売って利益を上げているのですが、私は無償の行為として、一人のアーティストを発見したのです。

私のコレクターも、彦坂敏昭氏の作品を買っています。しかし彦坂敏昭さんから、小さな作品一つもらっていません。私は、純粋に、無償の行為をしているのです。

文章もそうですが、タダ原稿で、膨大な分量を書いています。


このブログの膨大な執筆が、タダ原稿で書かれているのと、それは良く似ています。

ここでの執筆は、無償の行為として書かれていますが、画廊での企画もまた、持ち出しまでしてやる無償の行為なのです。

現在やっているアートスタディーズの企画も同様であって、持ち出してやっている無賃の企画です。
ボランティアの活動なのです。

日本ラカン協会の幹事の仕事もそうですが、経費も出ない、無償のボランティア活動です。

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こういう話をすると、坂上しのぶさんは、「画廊企画を無償でやるのは良くない」と言います。

それはそうです。

しかし日本で美術活動をやって行く時に、この日本という社会の信じている迷信の外に出る為には、無償の行為でしか、可能ではないと思っていたのです。日本には限りませんが社会というのは、沢山の迷信を信じて動いています。それは間違った認識を信じている、愚行なのです。そのことについては、
スチュアート・A. ヴァイスの『人はなぜ迷信を信じるのか―思いこみの心理学』(朝日新聞社)に、書かれています。これは名著です。

私は1946年生まれで、太平洋戦争で敗戦した日に受胎して生まれた子供です。3000倍の軍事力の差のあるアメリカとの開戦にのめり込んで行ったのは、一部の軍人の暴走ではありません。日本社会の世論が、こうした方向に動いて行ったのです。こういう日本人の同調して行く世論や動向を、私は信じられないのです。深い、疑いが有ります。だから、日本の社会と渡り合って行く時には、無償の行為の中で、観察し、測定して行く事を、私は選んだのです。

さて、村松画廊での企画は、須賀昭初氏の回顧展の企画に関係していて、破綻します。

私の方は、須賀氏の作品に、解説をつけようとしたのです。
「この作品は、藤枝晃雄氏が、こういう風に評価した作品です」と言った風に、作品にまつわる資料を付けて、展示しようとしたのです。それも、直接に村松画廊の川島良子さんと話すのではなくて、須賀氏を通して間接的に進めようとして失敗します。

川島良子氏は、モダニズムの純粋主義があって、「作品は眼で見ると、何の情報も無しで、分かる。情報なしで、鑑賞して、善し悪しが分かる」と信じていた様に思います。この時は、モダニズム研究会という会をやっている時の事で、その中での山倉研志という作家が「彦坂が須賀氏を土下座させた」というような言いつけ口をして、私と川島氏の中を壊します。本当に土下座させたかどうかは、私は覚えていません。清水誠一は、させたと言っていますから、させたのでしょう。以後、村松画廊とは、疎遠になります。私に代わって山倉が村松に入りますが、すぐに終わります。山倉研志は、私がかわいがって、売り出して行った作家ですが、彼が、私を刺したのです。人間は、かならず、裏切ります。
だから、私は人を裏切りません。《象徴界》的に、継続するのです。
 彦坂尚嘉の無償奉仕を切り捨てた村松画廊は、かつての1970年代/80年代の様な、状況性をもった文化の拠点としての輝きを失って、凡庸な、ただの貸し画廊に停滞しています。しかしそれが本来の姿であったと言うべきなのかもしれません。

同じ様な事は、東京画廊でも起きます。
東京画廊でぶつかったのは、ビット展という企画を立てていた時の、第1回です。

その最初の吉田暁子の時に、彼女が強い主張をして、東京画廊の側が、彼女の側についたのです。

つまり展覧会の総合プロデューサーよりも、作家の方が強い権限があるのであって、プロデューサーは、作家の主張に従うべきであるとする、そういう考えを吉田暁子と、東京画廊が主張したのです。

吉田暁子は、かなり我の強い女性作家ですが、作品そのものは独創性も弱くて、人を引っ掛けて、引きづり回す力にたよる作家でした。私が選んだのではなくて、東京画廊側が選んだのでしたから、私は徹底的にぶつかって、事実上1回展は降りたのです。

ここでの激烈な喧嘩は、2回に及ぶもので、なまやさしいものではありませんでした。徹底的な激突でした、感情的なしこりが大きくできて、企画全体は再度私が全部を無事に終えますが、しかし東京画廊との関係は終わります。

言いたい事は、どちらが正しかったという事ではなくて、私が無賃労働で企画をして行く時には、村松画廊も、東京画廊も、私の雇用主ではないのであって、私の損得は別として、私は、自分が正しいと思う意見を言って、まちがった迷信を持っている画廊と、喧嘩をしうるという事です。

これが白濱雅也さんや松永康さんのように、マキイマサルファインアーツからお金をもらっていれば、雇用関係ですから、画廊主の意思は尊重せざるを得ません。

『秘伝ディメンション展』という企画でも、激烈なぶつかり合いを、林洋子さんや、タマダプロジェクトの玉田俊雄さんとしていますが、私が正しいという意見を言って、喧嘩を激しくし得るのは、無償労働をしている自由な立場に、私がいるからです。

私は、多摩美術大学のバリケード闘争から出現した作家であって、そういう暴力学生の出自を生き続けて来ているのです。私は暴力美術家なのであります。自分が認識を追い、そして自分が認識した正しい意見を言うという、そうした言論の闘争を継続してきたのです。

それもあってか、作家たちに対しても、自分の正しいと思う意見を言って、次々と激しい喧嘩をして、敵を、多く作って来ています。
彦坂尚嘉は嫌な奴だという、悪評を築いて来ているのです。
そうであるのなら、なおさら悪い奴になろうと、努力して来たのです。事実私は悪い奴なのです。
なぜなら、他人の期待を裏切ってはいけないからです。《美共闘》から出て来た作家が、その名前通りに《美》追求し、そして認識と言論の《闘争》し続けなければ、お話としては面白くないでしょう。私は、一つの物語を生きて来ているのです。

喧嘩は、しかし私闘ではありません。私の方は、あくまでも《認識》を追求しているのであって、作品に解説をつける必要は、その後には村上隆や、会田誠によって路線として成功して行くのです。なかなか、私が実際に解説をつけていくのは難しかったのですが、私自身も、遅まきながらも、彼らの路線に追随する道を取ろうとしているのは、村松画廊との喧嘩を思い出して、そこでの傷つき挫折した傷も癒えたので、過去の挫折を超えて、今、再度、自分の主張の展開を踏み出そうと決意するからです。
気体分子ギャラリーでは、これを懸命に実現しなければなりません。

東京画廊が、作家に強大な権力を認めて、作家主義をとっているのも、間違いです。
そもそも、初代社長の山本孝さんは、偉大なプロデューサーでありました。私もプロデュースされていますが、その腕力は、すごいもので、作家をねじ伏せています。これも書くと長くなるので、別の機会にします。東京画廊初代は、偉大な人物であったのですが、息子たちは、その父の偉大さを、知的には理解継承していない様に、私には見えました。

今の東京画廊が、プロデューサーをないがしろにするのは、先代の偉大さの伝統を否定するだけでなく、少なくとも国際常識には反するものです。国際展でも、プロデューサーの権限は、作家の権限を遥かに超えている強大なものです。

正直言って、こういう作家主義の迷信は、古いのです。それは近代個人主義が、もはや終わって、新しい集団戦の時代になっていることを、見落としています。ここ20年以上、成功しているアーティストは、皆、集団で工房制作をしている作家たちです。

むしろ作家をきちんとマネージメントして行く為には、プロデューサー権限を強くして行かないと、駄目なのです。

白濱雅也さんが、先日やった写真展の企画でも、ある作家が強い主張をして、白濱さんが悩んでいたので、そんな自己中心主義の作家は、切ってしまった方が良いと、助言をしました。作家なんかいくらでもいるのです。才能は、夏草のように生えてきます。しかし寿命は5年、実質は3年です。成長し続けられる作家は、ものすごく少ないのです。近代個人主義を信奉する古い作家は、切り捨てて、自然淘汰に任せれば良いのです。現代は集団戦です。良いリーダーのもとに結集して、土砂崩れのように進まなければ取り残されます。私が五十嵐太郎さんを信じるのは、彼はすぐれたリーダーだからです。度胸もあるし、目配りも、知性も、傑出しているのです。アートスタディーズは、五十嵐さんをリーダーとする土砂崩れの流れなのです。

白濱さんは、結果的には、その作家は切り捨てて、別の作家になりました。自己中心性だけの作家は、どちらにしろ長期的には伸びません。どうせ5年で凡庸に沈みます。切り捨てて行く方が、良いのです。

とにかく、こうして無償奉仕の企画の連鎖は、多くの敵を生み、沢山の喧嘩を生み、彦坂尚嘉の悪評を築きあげることになったのです。

彦坂尚嘉というのは、《美共闘》出身の悪役美術家なのです。
「悪役美術家」を生きるという事を選んだのです。
だから《41流》です。

悪役とは、映画・テレビドラマ・舞台演劇・小説などに登場する悪人の役のことです。。また、そこから転じてマスメディアにバッシングされている人物、組織内で人に憎まれている人物を指す事も多いのです。日常会話でも「悪役に回る」、「悪役に徹する」という形で使われてきています。彦坂尚嘉は悪役美術家に徹して来ているのです。

勧善懲悪などの要素を含む物語では、悪役は必要不可欠の要素です。悪役がふてぶてしく立ち回る事により主人公の存在感をより鮮明にし、また主人公やその仲間に倒される事で視聴者にカタルシスを与えるのです。基本的には物語の根底を彩り、主役たちを引き立たせる、地味ではあるが重要な存在であるのです。美術でも同様であって、悪役美術家の存在が美術史を活性化して来たのです。彦坂尚嘉もまた、こうした悪役美術家の道を選んだのです。

悪役を演じる俳優は、その役柄とは対照的に、時に主役級の俳優以上に実生活におけるモラルや金銭などに対して高潔であり、自身を厳しく律している人物も多いと言いますが、彦坂尚嘉がお金に対しては、異様に無償奉仕制にこだわったのも、同じ様なところがあります。

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さて、喧嘩の話に戻ります。

喧嘩の代表が、中山正樹さんとの抗争でしょう。私は、中山正樹さんの回顧展をギャラリー手で1つ開催し、私の関係もあって、東京画廊での個展も生み出しました。こうした活動も、経費持ち出しのボランティア活動で、無償奉仕でした。私は、一銭もお金を得ていないのです。しかし少なくとも中山正樹さんには利益があったはずなのです。しかし、作家の側に利益があっても、私のこうした無償奉仕の活動は、他のいくつもの例でそうなのですが、作家たちの憎悪を生みます。何故なのかを説明するのは難しいですが、作家の側に負い目を生じるのかもしれません。私に感謝するのではなくて、憎んでくるのです。私をつぶそうとした人は、沢山います。経歴や本から、私の名前を削った作家は、沢山います。中山正樹さんは、私の悪口を言い続けていたのです。彦坂尚嘉を切り捨てて、中山正樹さんが東京画廊に入ったと言う展開は、山倉研志と村松画廊の関係と同じです。山倉が村松からすぐに消えたのと同じ様に、中山正樹さんも、東京画廊に定着しなかったようです。しかし中山正樹さんの、彦坂尚嘉に対する憎悪は本物で、継続したのです。

これについては、一度殴り合いをするという話になって、私が受けたのです。決闘ですね。私は女房に、「私は山中さんを殺しはしないが、徹底的にやるから、私は死ぬかもしれない。覚悟してくれ」と言ったのです。女房は、止めませんでした。もう1人別の女性に話しましたが、彼女も止めませんでした。女は、男が決闘する事を、むしろ歓迎するのです。私自身は、決して喧嘩は強くはありませんが、小学校1年の入学式の最初に日から、喧嘩を繰り返して来ているのです。この時も、中山正樹さんとの、徹底的な殴り合いで、自分が犬死にしても良いと思っていたのです。死ぬことに、怯えはありません。私の家は武士の家であって、小さい時から『葉隠れ』という武士道の本は読んで来ているので、武士というのは、犬死にを恐れないという覚悟を叩き込まれているのです。結果は、私の死を覚悟した顔が、よっぽど気持ちが悪かったのか、彼が喧嘩を避ける道を選びました。今でもしかし、残念に思います。徹底的にやりたかった。

さて、こうして私の無賃奉仕の活動は展開してきて、多くの喧嘩と、憎悪と、悪評を生み出し、孤立を深めて行きました。2003年の越後妻有トリエンナーレの時が、最悪の状態であったのです。「そして、誰もいなくなった」という状態になって、私は、関越自動車道を、愛車のスポーツ車仕様のブルーバードで、170キロで飛ばす事を繰り返していました。車の中で、かけていた音楽はメガデスでした。それも初期の1枚目と2枚目でした。日本車で、170は怖いし無理なのですが、ドイツ車の後ろに付けて走れば、出るのです。さすがに、一度警察につかまって、免停になりましたが、死にはしなかった。本気で死ぬ場所を追い求めて行くのだけれども、なかなか死なないのです。

越後妻有トリエンナーレは、3回全部出ていますが、この2003年は、東京の美術界とは完全に切れた状態でした。ギャラリー手の杉山旭氏もこなかった。そのとき2度見に来てくれて、誘ってくれたのが、タマダプロジェクトの玉田俊雄さんだったのです。玉田俊雄さんに、五十嵐太郎さん、新堀学さん、橋本純さんなどを紹介されて、アートスタディーズが始まる事になります。ですから、玉田俊雄さんには、深い恩義があるのです。


無償奉仕の行為というものは、良いかどうかは、確かに分からないのです。多くの喧嘩を生み、憎悪を生み、悪評を生む事を経験してきました。無償奉仕した作家は、すべて、御をあだで返して来ています。ひどい仕打ちに沢山合いました。若い作家を育てようとする事は、経験的には、無意味であると思います。むしろ拝金主義で、金にならない事は、やらないという態度の方が、良いのかもしれないと、最近は考えています。

気体分子ギャラリーは、ですから純粋に商業主義の画廊です。きちんとマネージメントはするし、作家の位置づけやパッケージングは考えたいと思いますが、基本的に安く作家から買いとって、高くお客さんに売ると言う路線です。今までの無料奉仕ではなくて、商業的な投機主義です。若い作家を食い者にする悪徳画商を、作品として、やってみたいのです。つまり気体分子ギャラリーというのは、コンセプチュアルな作品なのです。



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しかしこうして、私自身は、無償奉仕の行為の中で《認識》を追い続けて、そして喧嘩をしつづけ、悪評を築く事で、ついに、ある到達点に達したのです。

ここで、考えは、再度整理されます。

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昨日も、坂上しのぶさんは、1975年にパリ青年ビエンナーレにいって、評価も高い時期に、何故に、満足しないで、「東京芸術4」というグループ活動をはじめたのか? という質問をしてきました。私の欲望は、高かったのです。美術をやるからには、レオナルド・ダ・ヴィンチや、ヴィン・アイク、雪舟、宗達に比肩しうる美術作品を作り得るところまで、行きたいと思って来たのです。人類の達しえる限界の高さまで、この日本の社会にいて、その内側から食い破って、高みを見てみたいと思って来たのです。誇大妄想的な願望を、私は持ち続ける、大器晩生の巨匠アーティストなのです。だから、たかがしれた成功で、満足する気はなかったのです。

制作構造的には、《想像界》《象徴界》《現実界》の3界で、すべて真性の芸術にする技術を獲得できたのです。

さらに、芸術とエンターテイメント的デザインの関係が整理できることによって、人を魅了するメカニズムが、コントロールすることが出来る様になったのです。

そして《超1流》から《41流》までの格付けを、制作の中で実現し、コントロールすることが、最短で出来る様になったのです。

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人間の諸関係というのは、2つの空間構造がある事が整理できる様になりました。

アボリジアにのような、原始的な自然採取社会は、共同体があって、そういう共同体の空間をコスモス(秩序)と呼びます。ここには金銭と言うものはありません。ここでは共同性と分配があって、金銭も市場も無かったのです。つまり私の無償奉仕の活動というのは、実は、こうしたコスモスの空間で行われた活動なのです。つまり私は、勝手に無償奉仕活動をすることで、コスモスを、勝手に想定して作り出して来たのです。コスモス(秩序)の中には、文化があります。【文化ー内ー存在】として、人間は生きていることになります。これが、フーコーが《規律社会》と呼んだ社会です。ここには、文化も、秩序も、芸術も、学問もあったのです。


しかし現実は高度消費社会になっているのです。この高度資本主義社会というのは、どうも、【文化ー外ー存在】であるようなのです。つまりフーコーが予見した《管理社会》というものには、規律も、教養も、文化も、芸術も、学問の、どうも無くなって行く傾向が強く見られるのです。高度消費社会を支配する市場というのは、どこから生まれて来たのでしょうか?

それは原始時代にまで、さかのぼってみると、共同体と共同体の間のカオスの中から生まれてくるのです。つまり原始共同体の群れと、群れの間で、まず、沈黙交易という形で、市場が生まれます。「はじめにすべてありき」という原則から考えると、この共同体のカオスから生まれた沈黙貿易の市場こそが、共同体のコスモスの中に折り返されて来て、コスモスという秩序が分断されて行く歴史が、実は現在の高度市場社会の成立の過程でありました。

現在は、個人と個人の関係も分断しているのは、実は市場というカオスから生まれた空間であって、事実上コスモスはすごく、弱くなっているのです。このことは地域差もあります。関西は、まだコスモスは残っている様に思えますが、東京は、ほぼ完全に市場社会になって来ているのです。ここでは無償行為は、実は成立しないのです。

 つまり、金銭を介してしか、芸術も人間関係も成立しなくなったと言うのが高度市場社会であり、そこでは、有償性しか無いのです。そして、市場社会は【文化ー外ー社会】なのです。文化がないのです。

しかし、金銭に還元する有償性のなかでは、実は、すでに述べた様に、芸術の探求は出来ないのです。認識の探求も出来ないのです。



私が無償制にこだわって来た事は、実際は有効性があって、多くの学習が出来たのです。そして芸術的な結論を、私は出しえたと思っています。

これからはニーチェのいう没落の道だけです。頂点に至り付いた者は、あとは没落しかないと、ニーチェは言うのです。では、いかにして没落しえるのか? 無償の行為の追求とは反対の事をするのです。これからは、拝金主義者になって、この高度市場社会の中で、お金を追求したいと思います。自分が達成した技術と見識を、金に換えて行く。しかしそのこともやさしい事ではありません。



それは、一つには、歳をとってくると、気力がなくなるので、気力を振り絞る為には、若い時にやらなかったことをやる必要があるのです。だから商売や、事業を追求してみようと思います。

おそらく、人間は、金銭追求と、無償の行為の、二つで動く自動車なのだろうと思います。どちらがブレーキで、どちらがアクセルかは、分かりませんが、しかし、この正反対の手法でもって、人生を切り開いて行く。

今までは、無償の行為で切り開いて来た私の芸術道は、これからの没落の道は、守銭奴になって、切り開くのです。

こうした没落の道のお手本は、アルチュール・ランボーです。

1875年、最後の詩を書いた後、様々な職業を転々として、武器商人となります。ランボーはエチオピア通となって、商人としては、比較的成功したのです。1891年、骨肉腫が悪化してマルセイユへ帰り、右足を切断したのですが、癌は全身に転移しており死去。臨終は妹のイザベルが看取ったのです。

詩人から武器商人になるという展開は、素晴らしいもので、まさしく《41流》ですね。

とにかく、無償の行為をして行くと、馬鹿な人々と喧嘩になるのです。この争いを止める為には、金を追求した方が、人と争わなくてすむ。

馬鹿な人は、良いお客さんであって、金儲けの対象であるということを、商売をしている人々は、私に教えます。同じ次元には立たないで、適当にあしらい、遊ばせて、金を抜けば良いと教えるのです。他人を食い物にしろと、教えてくれます。弱肉強食です。弱い者を食えば良いというのです。確かに、そうなのかもしれません。

お金に還元する以外には、人と喧嘩をしないで、すませることが出来ない様に思います。平等に、対等に話して行こうとすると、喧嘩になるのです。むしろ金を他人から抜こうとして、有償の利益追求をする道こそが、実は、人間関係の要(かなめ)であるのです。

もう、正直に発言して、他人と争う事は、止めようと思います。あしらっていく事です。もはや、この世界はコスモスではなくて、市場と言うカオスなのです。カオスには教養は無く、規律も、文化も無く、芸術も無いのです。あるのは歴史無き、《現実界》の世界です!

そこには、青空の様な、《空》と《無》が広がります。

すべての意味は消えて、無意味だけが存在するのです。

完全なニヒリズムの世界です!

なんと、美しい世界でしょうか!

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

これに関連して、コメント欄に松永氏より次の様な書き込みがありました。

先日はありがとうございました。

「マキイマサルファインアーツは、その前には松永康さんが企画に関わっておられましたが、彼も企画料や経費はもらっていたはずです。」

この前後2、3日分、読み飛ばしてました。
私の話が出てましたが、このブログには1日1000件以上アクセスがあるということなので、誤解を招くといけないので若干説明させてください。
私はマキイマサルファインアーツから企画料はいただいてませんでした。
企画ではなく、正確にはコーディネートという立場だったので、作品の売上げの2割をいただくという契約でした。
案内状は原則作家負担でしたが、在外作家の場合は私が作ってました。
結果として、1展示あたり2万円ほどの平均収入となりました。
ただし私の場合は、マキイマサルファインアーツとは別に、牧井社長が上海に出した井ARTギャラリーというところで、2006年1月から2007年8月までアーティスティック・ディレクターをしていたということがあります。
毎月上海通いをして月15万円(旅費別)の給料だったので、私にとっては決して充分ではありませんでした。
しかし牧井社長は、やはり社長でして、浅草橋に移転したばかりのマキマサルファインアーツで、会場が埋まっていない枠を私が自主的にコーディネートしていいよと言ってくれました。
断れる立場ではありませんし、それで結局、2005年12月から、佐藤さんが画廊に入る2007年4月までの約1年半の間に、12回の展覧会をやらせていただくことになったという次第です。
牧井社長としては、作家を紹介してもらうぐらいの軽い気持ちだったのだと思いますが、アート・コーディネーターという立場では、なかなかそうはいきません。

ところで、「経済」という言葉を使うと、どうしても一般に市場経済を指すように思われがちです。
しかし、実はもっと大きな経済の流れがあって、その中の一部に市場経済があるのだと思います。
よく使われる言葉では、交換と贈与、生産と再生産などというふうに分けられます。
贈与の循環の一部に交換があり、再生産の循環の一部に生産があるということです。
「金銭追求と、無償の行為」も同じことなのでしょう。
美術作品も、その流通の場(作品の内容ではない)に応じて、このどちらかに分類できると思います。

by 松永です。 (2008-08-04 11:59)

さて、長くなりましたが、この後に、お約束のように、糸崎公朗さんに対する批評文を書きたいと思います。
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ブロマガって何?

プロの美術家とアマチュアの美術家4/Naoyoshi HIKOSAKA・・・ネオコンについて - 2011.09.16 Fri



 ようやく、ひとつ締め切りのある仕事を昨日の夕方に終わって、昨晩はワインを飲んで、今朝も朝からワインを飲んで、眠れるだけ眠っていました。さすがに老骨には堪えるものでしたが、達成感はあって、疲れがとれてくると、すぐに元気が回復します。

回復した所で、自分のしゃべりのYouTube画像を再度検証しました。

実は糸崎公朗さんが、真似をしてiPhoneで自分撮りをしながらしゃべっているのですが、それが、けっこう醜悪なのですね。つまり彦坂尚嘉の視点で言うと、原-映画、さらには原-芸術になっていないのです。そこで自分のYouTube画像を言語判定法で検証すると、原-映画、原-芸術になっている。その差に改めて、考えさせられたのです。


彦坂尚嘉責任による[ 彦坂尚嘉のYouTube画像『プロの美術家とアマチュアの美術家4/Naoyoshi HIKOSAKA』 ]の芸術分析

《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》の《真性の芸術》


《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の5様態をもつ多層的な表現


《シリアス・アート》《気晴らしアート》の同時表示。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアンとシニフィエの同時表示。
理性脳と原始脳の同時表示

《透視映画》オプティカル・イリュージョン【i級映画】

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》
《形骸》《炎上》《崩壊》が有る。
ただし《世間体のアート》は無い。

《原-映画》《映画》《世間体の映画》がある。

ただし《反映画》《非映画》《無映画》《映画の形骸》《映画の炎上》《映画の崩壊》が無い。

貴族の芸術と、大衆の芸術の同時表示。

作品空間の意識の大きさが《グローバル》である。
鑑賞構造があって、それは《対話》《信仰》である。


さて、我田引水とご批判をうけるであろう自己批評は、それが適切であるように彦坂尚嘉自身は誠実にやっているつもりです。

これに続いて糸崎公朗さんの芸術分析をやると、また色々な人から批判を受ける事になります。it君の知人関係が騒いで、it君にこんなことを言われてひどいですね、という風に私の行為を批評としてみるのではなくて、単なる悪意とする風評が増大して行くのです。

私自身は批判を受けても良いのですが、しかし、そもそも現在の様な大衆社会においては、批評そのものを必要とする人が少なくて、大多数の人々には、批評そのものを抑圧し禁止する事が重要なのだろうと思います。そういう現状そのものは、私自身は体験的に理解して来ているので、it君さんに関する言語判定法をつかった芸術分析や批評は、無料サイトではやらないで、有料サイトでやるという手を考えました。そうすれば、it君の知り合いは読まないのです。「見ぬもの清」と言いますが、見えないものには腹も立たないし、騒ぎも起きないのです。

前に門井幸子さんの写真作品を批評した時に、白濱雅也さんが怒って「ほっておいてくれ」と批判する騒ぎになりましたが、白濱雅也さんが批評というものそれ自体を否定する方だとは思っていなかったので驚きましたが、そうであるのなら白濱雅也さんの作品について以前に書いていた分も、可能な限りブログやYouTube画像はダウンさせて、ネットから消してしまうという処置が必要になって、それは実行しました。つまり無料サイトには批評はいらないし、無料サイトを読む人は批評は嫌悪しかしないのですね。

実際、近代という時代には批評は栄えましたが、それは有料の雑誌や新聞、単行本でおいてなされたのであって、無料のメディアではありませんでした。そういう意味では、有料のネットのブロマガは、新しい批評媒体であると言えると思います。有料ブログの仲でit君について書こうと、他のアーティストについて芸術分析をしようとも、批評を必要とする人だけが読むので、問題が起きなくなるのです。

猥褻な記事や画像見るのを年齢制限するとか、不快なものがあるので、嫌な人は見ないでくださいと警告するのに似ていますが、批評の有料化というのは、それに似て、理にかなったシステムであるのではないかと思います。
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加護亜依さん手首切り“自殺未遂”か 救急搬送 - 2011.09.11 Sun

kago.jpg



タレントの加護亜依さんが、病院に搬送されたことが分かりました。自殺を図ったとみられています。警視庁などによりますと、11日正午前、自宅から加護さんが意識がもうろうとした状態で病院に搬送されました。手首を切ったとみられていますが、命に別状はないということです。

 11日正午ごろ、東京・港区のマンションから、元「モーニング娘。」の加護亜依(23)が倒れていると119番通報があった。加護は手首を切るなどして病院に搬送されたが、命に別条はないという。同署は加護が自殺を図ったものとみている。

 リアルライブ既報通り、加護は6日、恐喝未遂容疑で逮捕された交際相手の会社役員・安藤陽彦容疑者(44)と一緒に任意で事情聴取を受けていた。あるマスコミ関係者は「自殺未遂と聞いてちょっとびっくりしています。事情聴取は容疑者と同居していたことで受けたものと言われていますが、実際は、容疑者の逮捕容疑とは別の案件でも話を聞かれていたといいます。容疑者は以前にタレントの華原朋美とも同棲していた時期があって、そのころの華原はなにかとヤバイことが報じられていたころです。当局は、もしかするとそのあたりに踏み込んだ事情聴取を行ったのでは…」。

なんともおだやかではない情報だが、過去数度のスキャンダルにも気丈にタレント活動に復帰してきた加護ちゃんだけに、今回の自殺未遂事件はなんとも気になる事態だ。
情報出典:リアルライヴ http://npn.co.jp/article/detail/32496516/


加護 亜依(かご あい、1988年 - )は、元モーニング娘で、私彦坂尚嘉のブログでも取り上げたことがあります。
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矩形について - 2011.09.11 Sun

ルート矩形の基本的な話を、√5矩形を手がかりに話しています。

それに続いて、ルート矩形を使っての作品演習です。
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ブロマガって何?

マティスの「生きる喜び」/バーンズファンデイション所蔵 - 2011.09.11 Sun

Matisse Le bonheur de vivre 1905-190
Henri Matisse,「生きる喜び/ Le bonheur de vivre」 (1905-06)

これは、バンズファンデーション所蔵のマティスの大傑作作品です。その後に描かれるダンスなどの原型が描かれていて、マティス芸術のエッセンスがあります。

彦坂尚嘉責任による[マティスの「生きる喜び」]の芸術分析

《想像界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》


《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の5様態をもつ多層的な表現


《シリアス・アート》《気晴らしアート》の同時表示。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアンとシニフィエの同時表示。
理性脳と原始脳の同時表示

《透視絵画》オプティカル・イリュージョン【A級美術】

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》
《形骸》《炎上》《崩壊》のすべてが有る。

《原イラストレーション》《原工芸》《原装飾》は無い。

貴族の芸術と、大衆の芸術の同時表示。

作品空間の意識の大きさが《宇宙》である。
鑑賞構造があって、それは《瞑想》《信仰》である。





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マティスのLa Tristesse du roi (Sorrows of the King), 1952  - 2011.09.11 Sun

マティスTRISTEL
マティスのLa Tristesse du roi (Sorrows of the King), 1952


この作品は、英語の画像検索で「Henri Matisse」と打ち込んだ時に、たまたまかもしれませんが最初に出て来た作品画像です。わたしもこの作品がマティスの代表作とは思いませんが、これを取り上げて芸術分析をしておきます。

何故かというと、「赤」について語ったYouTube画像で、私がマティスについて辛口で語ったからです。


彦坂尚嘉責任による[ La Tristesse du roi (Sorrows of the King), 1952 ]の芸術分析

《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》の《真性の芸術》

つまり『アートの格付け』としてはすぐれた作品ではない。


《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現。ただし《サントーム》は無い。
液体/固体/絶対零度の3様態をもつ多層的な表現。ただし気体/プラズマの様態は無い。
つまり近代美術の枠内にある。


《シリアス・アート》《気晴らしアート》の同時表示。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアンとシニフィエの同時表示。
理性脳と原始脳の同時表示

上記4つの同時表示は、すぐれていて、モダンアートの範囲を超えていると思う。

《透視美術》オプティカル・イリュージョン【A級美術】

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》
《形骸》《炎上》《崩壊》のすべてが有る。

貴族の芸術と、大衆の芸術の同時表示。

作品空間の意識の大きさが《近代国家》である。
鑑賞構造があって、それは《愛玩》である。


この作品は、凡庸なマティスを代表するかの様な《第6次元 自然領域》の作品で、しかも愛玩の鑑賞構造があるので、多くの人に愛されるものですが、芸術的には傑出してすぐれているというものではありません。

とは言っても、装飾でも、イラストでも、工芸でもなくて、芸術になっています。

だからといって、この作品をもって、マティスを天才というものではないのです。

しかし、近代社会の大衆にとって、この程度の《第6次元 自然領域》の愛玩美術が、もっとも適切な美術であると言えるのでしょう。少なくとも大衆的には、こうした美術こそが作られなければならないのです。その意味でのお手本作品とは言えるかもしれません。


関連記事

《第6次元》《第8次元》を主潮とする日本文化(校正1) - 2011.09.09 Fri

久しぶりにnegaDEATH さんから、コメントをいただきました。
日本文化というものの本質を指摘した質問で、大変に興味深いものがあります。


negaDEATHです。

彦坂様 

「ザ・ウォーカー」はシネマレビューサイトでの平均評価は10点満点中、5.73点とかなり低く、興行としては失敗に終わった作品でした。



彦坂尚嘉責任による[ 「ザ・ウォーカー」 ]の芸術分析

《想像界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》


《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の5様態をもつ多層的な表現


《シリアス・アート》《気晴らしアート》の同時表示。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアンとシニフィエの同時表示。
理性脳と原始脳の同時表示

《透視映画》オプティカル・イリュージョン【A級映画】

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》
《形骸》《炎上》《崩壊》のすべてが有る。

貴族の芸術と、大衆の芸術の同時表示。

作品空間の意識の大きさが《グローバル》である。
鑑賞構造があって、それは《驚愕》《信仰》である。


【negaDEATH】
以前紹介されていた「プレデターズ」も、平均評価は5.49点でさらに悪く、映画ファンの間では完全に駄作として扱われています。このような作品を芸術という観点から再評価されている記事は非常に面白いです。







彦坂尚嘉責任による[ 「プレデターズ」]の芸術分析

《想像界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》


《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の5様態をもつ多層的な表現


《シリアス・アート》《気晴らしアート》の同時表示。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアンとシニフィエの同時表示。
理性脳と原始脳の同時表示

《透視映画》オプティカル・イリュージョン【A級映画】

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》
《形骸》《炎上》《崩壊》のすべてが有る。

貴族の芸術と、大衆の芸術の同時表示。

作品空間の意識の大きさが《宇宙》である。
鑑賞構造があって、それは《驚愕》《対話》である。




【negaDEATH】
彦坂さんは北野武の映画はご覧になられた事がありますか?私は北野監督の初期作品である「3-4X10月」「あの夏、いちばん静かな海」「ソナチネ」を芸術映画として高く評価しています。



彦坂尚嘉責任による[ 「3-4X10月」 ]の芸術分析

《想像界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》


《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の5様態をもつ多層的な表現


《シリアス・アート》《気晴らしアート》の同時表示。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアンとシニフィエの同時表示。
理性脳と原始脳の同時表示

《透視映画》オプティカル・イリュージョン【A級映画】

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》
《形骸》《炎上》《崩壊》のすべてが有る。

貴族の芸術と、大衆の芸術の同時表示。

作品空間の意識の大きさが《近代国家》である。
鑑賞構造があって、それは《驚愕》《信仰》である。





彦坂尚嘉責任による[ 「ソナチネ」 ]の芸術分析

《想像界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》


《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の5様態をもつ多層的な表現


《シリアス・アート》《気晴らしアート》の同時表示。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアンとシニフィエの同時表示。
理性脳と原始脳の同時表示

《透視映画》オプティカル・イリュージョン【A級映画】

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》
《形骸》《炎上》《崩壊》のすべてが有る。

貴族の芸術と、大衆の芸術の同時表示。

作品空間の意識の大きさが《近代国家》である。
鑑賞構造があって、それは《驚愕》《信仰》である。


【negaDEATH】
今回の記事のテーマでもある「抑制された色調」というモノが、この3作品には際立っています(俗に「キタノブルー」と称されています)しかし逆に言えば、それは刺激が無く退屈なものであるため、上記の作品はどれも興行的には失敗に終わりました。特に海外から高い評価を受けた「ソナチネ」は、日本での興行収入が8千万円で制作費の5分の1以下の結果に終わり、1週間で上映が打ち切られる映画館もあったそうです(ちなみに「ソナチネ」が上映された93年当時にヒットした邦画は「ゴジラvsモスラ」「REX 恐竜物語」「水の旅人 侍KIDS」などです)





彦坂尚嘉責任による[ 「ゴジラvsモスラ」 ]の芸術分析

《想像界》の眼で《第8次元 信仰領域》の《工芸》
《象徴界》の眼で《第8次元 信仰領域》の《工芸》
《現実界》の眼で《第8次元 信仰領域》の《工芸》


《想像界》の表現。
固体の表現


《気晴らしアート》
《ローアート》
シニフィエの表現。
原始脳の表現

《原始映画》ペンキ絵映画【B級映画】

キッチュ

大衆の芸術。

作品空間の意識の大きさが《村》である。
鑑賞構造が無い。《娯楽》《見せ物》《気晴らし》






彦坂尚嘉責任による[ 「REX 恐竜物語」 ]の芸術分析

《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》の《工芸》
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》の《工芸》
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》の《工芸》


《想像界》の表現。
固体の表現


《気晴らしアート》
《ローアート》
シニフィエの表現。
原始脳の表現

《原始映画》ペンキ絵映画【B級映画】

キッチュ

大衆の芸術。

作品空間の意識の大きさが《村》である。
鑑賞構造が無い。《娯楽》《見せ物》《気晴らし》






彦坂尚嘉責任による[ 「水の旅人 侍KIDS」 ]の芸術分析

《想像界》の眼で《第8次元 信仰領域》の《工芸》
《象徴界》の眼で《第8次元 信仰領域》の《工芸》
《現実界》の眼で《第8次元 信仰領域》の《工芸》


《想像界》の表現。
固体の表現


《気晴らしアート》
《ローアート》
シニフィエの表現。
原始脳の表現

《原始映画》ペンキ絵映画【B級映画】

キッチュ

大衆の芸術。

作品空間の意識の大きさが《村》である。
鑑賞構造が無い。《娯楽》《見せ物》《気晴らし》




Re: 《第6次元》《第8次元》を主潮とする日本文化
negaDEATH 様

> 「ザ・ウォーカー」はシネマレビューサイトでの平均評価は10点満点中、5.73点とかなり低く、興行としては失敗に終わった作品でした。以前紹介されていた「プレデターズ」も、平均評価は5.49点でさらに悪く、映画ファンの間では完全に駄作として扱われています。このような作品を芸術という観点から再評価されている記事は非常に面白いです。

興行的に失敗した事は、私にも予想出来ます。
「ザ・ウォーカー」は、『北斗の拳』の模倣作品ですが、しかし模倣してレベルを上げているのです。見るのも苦しい程の抑制であり、しかもその基本にあるのはキリスト教の信仰としてのバイブルの存在、つまりバイブルというのは神そのものです。言葉が神なので、そういう事なのですが、日本の観客の多くが、バイブルを読んだ事も無いのですから、つまらなくしか思えないのは当然です。
 つまり北斗の拳が空手文化を基調にしているのに対して、聖書そのものへの信仰を基調にしたアクション映画なのです。しかも根底にあるのは西部劇の枠組みです。

「プレデターズ」も、たいへん奇麗な映画ですが、日本の観客が求めるものはキッチュであり、低俗映画なのに、ここにあるのは低俗なフリをした高級映画なのでした。そのことが最高に面白いのに、それを鑑賞する力は、日本人の教養の低さでは無理なのです。

日本の大衆が求めるものは、あくまでもキッチュな娯楽であって、低俗性のある娯楽しか求めていないのです。そこには高級な文化への根深い恐れとコンプレックス、そして忌避があります。


> 彦坂さんは北野武の映画はご覧になられた事がありますか?

最初の『この男凶暴につき』からHANA-BIまで、全て見ていて、評価は高いです。

> 私は北野監督の初期作品である「3-4X10月」「あの夏、いちばん静かな海」「ソナチネ」を芸術映画として高く評価しています。

私も「3-4X10月」はすばらしいと絶賛致します。

>今回の記事のテーマでもある「抑制された色調」というモノが、この3作品には際立っています(俗に「キタノブルー」と称されています)しかし逆に言えば、それは刺激が無く退屈なものであるため、上記の作品はどれも興行的には失敗に終わりました。特に海外から高い評価を受けた「ソナチネ」は、日本での興行収入が8千万円で制作費の5分の1以下の結果に終わり、1週間で上映が打ち切られる映画館もあったそうです(ちなみに「ソナチネ」が上映された93年当時にヒットした邦画は「ゴジラvsモスラ」「REX 恐竜物語」「水の旅人 侍KIDS」などです)

ヨーロッパの観客の教養の高さが、日本には無いのです。
その理由は、つまり北斗の拳が空手文化を基調にしているのに対して、聖書そのものへの信仰を基調にしたアクション映画なのです。根底にあるのは西部劇の枠組みです。

単純化して言えば、ヨーロッパは文明であるのに対して、日本は文明が無くて、原始であるという事です。吉本隆明的に言えば、日本の大衆の元像には、原始社会が生きていて、日本人は黄色い猿なのです。黄色い猿として、動物的な原始能の娯楽を求める気持ちが強くあるように思えます。 それはそれで良いのであって、無理してヨーロッパ化しなくても良いのです。

私は『HANA-BI』も美しい「キタノブルー」であったと思います。浅草芸人の北野武がこの映画をつくって、しかし日本人はこれを観に行かない人が多くいるという所に、日本の文化の限界があります。しかし限界があるのは日本だけではなくて、アメリカでも、フランスでも、イタリアでも、それぞれの国の限界があります。限界があるという事は、避けがたい事なのです。





彦坂尚嘉責任による[ 『HANA-BI』]の芸術分析

《想像界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》


《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の5様態をもつ多層的な表現


《シリアス・アート》《気晴らしアート》の同時表示。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアンとシニフィエの同時表示。
理性脳と原始脳の同時表示

《透視映画》オプティカル・イリュージョン【A級映画】

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》
《形骸》《炎上》《崩壊》のすべてが有る。

貴族の芸術と、大衆の芸術の同時表示。

作品空間の意識の大きさが《近代国家》である。
鑑賞構造があって、それは《驚愕》《信仰》である。

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モダニズムの歴史の本質について(2~4)加筆1 - 2011.09.07 Wed

彦坂尚嘉は、1995年からモダニズム研究会というのをやっていますが、それを基盤にした話で、その2?4をアップしています。

日本の中では、もはやデカルトの『方法論序説』も読まれていないし、フッサールの現象がくというデカルトを踏まえた議論の重要性も忘れられていますが、しかし国際的な学問と、情報化社会の技術革新の中では、このモダニズムの学問の方法は、今も生きているのです。

この日本常識は、世界の非常識というのパターンは、モダニズムの本質的な理解の中にも出現しているのです。

そうした日本の状況の中で、ではどうするのか?
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国民国家の衰退/日経平均終値、年初来安値更新(改題1加筆2)  - 2011.09.06 Tue

世界経済の不安定化が続いています。

その原因は深くて、100年前の1929年の世界大恐慌と同様の、世界の矛盾の増大です。

1929年の場合には18世紀からの産業革命による新しい技術革新が、ほぼ出尽くした時期に、この産業化の技術によって引き起こされた矛盾が、地震のように地下のマグマが動いて大災害を引き起こすように、経済の地下のマグマが動いて経済大地震になったのです。その矛盾を解消するものが第2次世界対戦でした。

今日の状況は、100年前のバージョンアップしたものです。情報技術の進展が、ほぼ大きなものが出尽くしたのが、現在です。この新技術が生み出す矛盾が、世界経済の地下のマグマにたまって来ていて、そのマグマの動きが、今日の世界の経済や政治の不安定化を生んでいます。これがアジアでの戦争を生むという人もいます。つまり第3次世界対戦はアジアを舞台にするというのです。実際に中国をはじめとして、アジアの軍事増大は続いています。

実はこの大地震は2007年のリーマンショックで起きていたのですが、これを各国が協調して、財政出動して矛盾を押し隠した為に、病はさらに深くに進行したのです。今日の問題は、特にアメリカですが、アメリカだけでなくてヨーロッパも日本も、各国の国家財政そのものが借金を増大させて、収拾がつかない程に大きくなっている事です。それは近代国家=国民国家の国民経済の枠組みそのものに対する不信を増大させる所にまで進行しているのです。つまり私見を申し上げれば、近代国家そのものの終わりが進行しているのです。

国民国家の終わりと言っても、多くの人は考えもしないかもしれません。しかし現在の近代国家というのは、明治維新で出来たものであって、極めて新しい人工物であったのです。とは言っても、近代国家の枠組みが、簡単に壊れるものではありません。急速な崩壊は無いにしろ、徐々に何かが壊れて行っているのです。それが戦後の自民党の長期政権であった55年体制が崩れて民主党政権に移行したことにも現れています。反小沢を軸に下民主党内の分裂的な対立も、この日本国家の権力構造が崩壊して行くというプロセスであると言えます。私たちの家庭や職場、そして教育制度などが退廃し、荒廃して行く事もその現れです。

それと同時に、新しい秩序もまた誕生しつつあります。ささやかかもしれませんが、ネットを介してのコミュニケーションや、新しい友人との出会いもまたそうです。古い秩序の崩壊と新しい秩序の誕生という交差の状況は、不安ではありますが、スリリングでもあります。



日経平均終値、193円安の8590円 年初来安値更新


米景気懸念など響く
2011/9/6 15:42


 6日の東京株式市場で日経平均株価は3日続落。終値は前日比193円89銭(2.21%)安の8590円57銭と、3月15日に付けた8605円を下回り、年初来安値を更新した。2009年4月28日の8493円以来、約2年4カ月ぶりの安値水準となった。米景気の先行き懸念や欧州財務問題に対する警戒から投資家がリスク回避姿勢を強めた。午後に入ると上海などアジア株式相場の下落やGLOBEX(シカゴ先物取引システム)で米株価指数先物が軟調に推移したことを背景に日経平均は下げ幅を広げた。外国為替市場で円が1ユーロ=107円台まで上昇したことも輸出株の売り圧力となった。



年初来安値を更新して取引を終えた日経平均株価(6日午後、東京・八重洲)
 トヨタがリーマン・ショック後安値に迫ったほか、ソニー、東芝など主力株が相次いで年初来安値を更新。東証1部の新安値銘柄数は89銘柄と高水準だった。

 前週末発表の8月の米国の非農業部門の雇用者数が前月比横ばいだったことなどから米景気後退懸念が高まった。5日の米国市場は休場だったが、欧州では独DAX指数、仏CAC40が年初来安値を更新した。日経平均株価もこの流れを受けて安く始まった。米株価指数先物が弱含むと、日本時間今夜の米国市場で株価が下落するとの懸念が広がった。

 市場では、「米国市場の取引が始まるまではリスク資産をなるべく圧縮しようという動きが目立つ」(SMBC日興証券の河田剛国際市場分析部部長)との声が聞かれ、「米株動向によっては一段の下値を探る展開もありうる」(同)という。
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建築系美術ラジオ 110904/池田修と新-港村とミリメーター、福住廉(1~2) - 2011.09.05 Mon

建築系美術ラジオです。

今回は、横浜の新港ピアで、新-港村を立ち上げた池田修氏の興味深いインタビューです。

それに続いて若手美術評論家のホープ・福住簾氏のインタビューを、
建築出身で、《原-建築》性をもつ過激な現代美術作品を展開する
ミリメーターのお2人をからめて、お伝えします。

本来建築系ラジオはポッドキャストでしたが、アップに時間がかかって、放送が1ヶ月後になってしまいます。
急いでアップする必要のあるものは、手軽にiPhoneのエバーノートアプリで録音して、NO編集ならではの臨場感溢れる音声ドキュメントでお届けします。

参考画像も、出来る限りつけましたので、ご参考にしてください。


10-12-21_SSD_061.jpg
BankART 1929の代表:池田修氏
平成19年度(第58回)芸術選奨文部科学大臣新人賞(芸術振興部門)を受賞なさっています。



音声配信《1》

池田修氏へのインタビューです。
下の青い文字をクリックしてください。


建築系美術ラジオ 110904/池田修と新-港村とミリメーター、福住廉(1)

kitazawa.jpg
北沢 猛(1953年 - 2009年)は、日本の都市計画家、アーバンデザイナー。
横浜市都市デザイン室長などを経て、東京大学教授。
池田修氏は、この故・北沢 猛氏に大きな影響を受けたと語っています。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

音声配信2~3
池田修氏のつづきと、ミリメーターと、福住簾氏のお話です。
下の青い文字をクリックしてください。

建築系美術ラジオ 110904/池田修と新-港村とミリメーター、福住廉(2)


船、山にのぼる
池田修氏はPHスタジオのメンバーでした。
PHスタジオは、美術と建築を横断する活動を展開している美術家・写真家・建築家からなるユニット。1984年、川俣正の初期のプロジェクトのアシスタントメンバーが独立し、結成される。作品の範囲は、家具製作や住宅設計、ランドスケープ、アート・プロジェクトなど。メンバーは、池田修、中川達彦、細淵太麻紀、小杉浩久。



吉村益信
吉村益信の作品

彦坂尚嘉のリスボン建築トリエンナーレの展示

リスボン建築トリエンナーレ/彦坂尚嘉の展示


ミリメーターのリスボン建築トリエンナーレの作品
《紙兜》


ミリメーターリスボン建築ト

リチャードロングの作品の絞り込み

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10042602.jpg


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ミリメーターの作品2

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IMG_5928-270x173.jpg

東京の空き地は全てと言っていいほどビル建設が始まる前はコインパーキング場として利用されます。TENTS24は都市の機能に多様性を与えるために車のためではなく人のためのパーキングです。自然の中ではなく空地に宿泊することで都市の魅力を再発見できます。
コインパーキングとキャンプ場を融合させることで、1時間100円で泊まることが可能な、都市生活者の為の従量課金制という暮らし方の実験にもなっています。

ミリメーターの作品3


1-270x400.jpg

2-270x384.jpg

間取柄レジャーシート。設計図から不動産ちらしまで、日本人が目にすることの多い間取図。東京で最もポピュラーな1ルームアパートの間取りをピクニックシートにプリントした。物質的な壁は無くても見えない領域が生まれる。このピクニックシートで都市のパブリックスペースはリビングルームになる。いわば布1枚のモバイル建築である。





福住簾

福住簾氏は、若手の美術評論家です。
すでに一冊著書を、bankartから発行なさっています。
題名は『今日の限界芸術』。

福住 廉(ふくずみ れん):
美術評論家。1975年東京生まれ。九州大学大学院比較社会文化学府博士後期課程単位取得退学。共著に『フィールド・キャラバン計画へ』(水声社)、『ビエンナーレの現在』(青弓社)。『美術手帖』『artscape』『esquire日本版』『共同通信』などに寄稿。



福住廉

福住簾 今日の限界芸術

美術評論家、福住廉氏の著書『今日の限界芸術』を発刊しました。福住氏は、「見ること・書くこと」に対して、勇気を与えてくれる現代の若き獅子です。ほどよくリラックスした文体、それでいて骨太の構造的な構成は、数多くのファンを魅了してやまない存在となっています。またこの3年間、BankARTスクールの美術批評ゼミでも講師をお願いしています。















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プロフィール

New HIKOSAKA 彦坂尚嘉

Author:New HIKOSAKA 彦坂尚嘉
彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年6月26日 - )は、 美術家。立教大学大学院特任教授。日本建築学会会員。日本ラカン協会会員。気体分子ギャラリーを主催。

【著書/出版】『反覆/新興芸術の位相』(74年、田畑書店)、『死に対抗する力』(91年、ギャラリーKURANUKI)、『リノメランコリア』(94年、岡部版画工房)、共著『リベーションの現場』(05年、彰国社)、共著『メディアと精神科医』(05年、批評社)。共著編『皇居美術館空想』(08年9月朝日新聞社)。『彦坂尚嘉のエクリチュール』(08年、三和書籍)、共著『3・11万葉集 復活の塔』(2012年、彩流社)

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