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2011-10

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第117回気体分子6400オークション Naoyoshi Hikosaka 1(芸術分析を追加) - 2011.10.31 Mon

第117回気体分子6400オークション Naoyoshi Hikosaka 1

オークションサイトはこちら↓
http://www.kb6400.com/2011/10/31/第117回気体分子6400オークション-naoyoshi-hikosaka-1/


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彦坂尚嘉責任による[ 彦坂尚嘉『Fkushima-Art Fukkatsu 』]の芸術分析

アヴァンギャルド美術である。
伝統美術ではない。
現代アートである。

《想像界》の眼で《第1次元 社会的理性領域》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元 社会的理性領域》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1次元 社会的理性領域》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の5様態をもつ多層的な表現。

《シリアス・アート》である。《気晴らしアート》では無い。
《ハイアート》である。《ローアート》では無い。
シニフィアンとシニフィエの同時表示。つまりシーニュである表現。
理性脳の表現である。原始脳性が無い。
《透視画面》オプティカル・イリュージョン【A級美術】。

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》《形骸》《炎上》《崩壊》の全概念梯子が有る。

《原デザイン》《デザイン》・・・の全概念梯子が有る。

《原大衆芸術》《原イラストレーション》《原シンボル》の概念梯子が無い。

《原-装飾》が無い。
《原-工芸》性が無い。

芸術であって、キッチュではない。

作品空間の意識の大きさが《グローバル》である。

《愛玩》《対話》《信仰》《瞑想》の鑑賞構造てがある。ただし《驚愕》は無い。

情報量が100である。
クリエイティヴである。


Naoyoshi Hikosaka『Fukushima-Art』
『Fukkatsu』
オークション終了日: 11月7日(月曜日)21:00
作品名:『Fukkatsu』


作品番号:20111031_01
Artist:彦坂尚嘉 Naoyoshi Hikosaka
制作年:2011年
ペーパーサイズ:210×297mm (A4サイズ)
イメージサイズ:186×230mm
素材:出力Print :顔料インクジェットエプソンPX-G5300
紙:エプソン写真用紙

入札開始価格:1,000円

即 決 価格:10,000円

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

今、東京文化財研究所から帰ってきました。年表の出版のつめになってきて、追われています。

さて、気体分子ギャラリーのオークションですが、まあ、人が買ってくれそうも無い作品で申し訳なく思いますが、このシリーズは、ずいぶん長い間考えて来た事なので、いろいろ展開しますので、見ていてください。

それと制作のプロセスと言うか、やり方をeラーニングで公開していこうと思っています。とは言っても、実は彩流社の本の追い込みで追われていて余裕が無いので、何処まで出来るのかが問題ですので、眉唾で聞いていてください。

制作過程をオープンすると分かりますが、結構手間がかかります。多くの人はやる気がなくなると思います。作品を作る事を楽しみたい方は、やりません。

作品自身は、これ1枚というのではなくて、シリーズの展開なのです。もっとも、日本の中では誰も相手にしないと思いますが、それでも面白いはずです。頑張ります。

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 - 2011.10.31 Mon

世界人口きょう70億人に 途上国の人口増加などで
テレビ朝日系(ANN) 10月31日(月)6時35分配信
 世界の人口が31日に70億人に達する見通しです。

 国連人口基金が26日に公表した「世界人口白書」では31日、70億人を超える世界の人口は、39年後の2050年には93億人に達すると予測しています。世界の人口は1950年には25億人でしたが、途上国での人口増加や乳児の死亡率の低下で急激に増加しました。国別では、中国が13億4700万人あまりで第1位、次いで12億人あまりのインドですが、10年後にはインドが中国を抜くとみられています。日本は1億2650万人で第10位です。そして、国連人口基金の東京事務所は、31日に生まれたすべての赤ちゃんに「70億人目」とする認定証を出すと発表しました。


なんやかんや言っても、これだけ人口が増えてくるというのは、無責任に言えば良いことであって、まあ、この人類には何の問題も無いと、脳天気に考えても良いのだろうと思う。

日本の人口にしても、明治時代は3000万人くらいだから、4倍にふくれてきている。日本の人口が下降現象にあったとしても、過去に比べれば、やたらに多いのです。

シリアスに考えれば、やたらに問題は多くありますが、考えても仕方が無い事が多いのですから、考えないという人々の気持ちもよく分かります。どっかでドカンとくる危険性も大きくなっているとは思いますが、それも不謹慎に言えばおもしろい事だと思います。

とにかく、毎日毎日生きていることに感謝して、小さな事の喜びを大切にしたいと思います。

とにかく3.11以降、脳天気に、「なんの問題も無い」と自分に言い聞かせようと思っています。
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フランシス・ピカビア - 2011.10.30 Sun

SATTAさんから、次のようなご質問をいただいた。

> このBLOGに掲載されているピカビアの絵はイラストではないですか。ネットで検索して出てきた90年初頭のころの絵はいいと思ったんですが。


Francis Picabia - Dancer of French Cancan (La danseuse de french-cancan)

ピカビアのこれら1940年代のキッチュの絵画を、イラストだと思われるお気持ちはよく分かりますが、結論を言えば、違います。

これらの作品を《想像界》の目で見れば《第8次元 信仰領域》のキッチュな絵画に過ぎないのですが、《象徴界》の目で見ると、《超次元》~《第51200次元》ある、しかも《原芸術》性もあって、芸術の概念の全梯子がある、たいへん優れた作品です。



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ピカビアというと横尾忠則さんが影響を受けたと言うことから、同じようなものだと考えるようですが、それは全く違います。横尾さんの作品は《第6次元 自明性領域》だけの仕事で、しかもデザイン的エンターテイメントであって、芸術性はまったくありません。

ピカビアは、作家そのものが桁外れにすぐれていて、どんなスタイルで描いても《超次元》~《第51200次元》まである優れた作品を描いています。《第51200次元》というのは、宇宙の外部に出た領域です。視野が、桁外れに大きい人なのです。















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固体の美術 - 2011.10.29 Sat

negaDEATH13 さんからコメントをいただきました。

グーグルアースを使った山口さんの風景画、新しい発想で素晴らしいですね。

ただ、何故これが「現代アートではない」のでしょうか?
私の認識では、完全に現代絵画として観ていました。
もう少し詳しく、彦坂さんのご説明を伺いたいです。


sagarmatha01ブログ

一番大きな理由は、作品の様態が《固体》になっているからです。

しかし、普通に社会的に現代アートとされている作家でも、《固体》や絶対零度の人は、何人もいます。

下に挙げるのは、思いつくままに、上げたもので、それ以上の他意はありません。彦坂尚嘉の場合、これらの作家も、厳密な意味では現代アートの作家であるとは思っていないのです。


currin.jpg
アメリカの画家で、カリン


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やなぎみわ


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白髪一雄


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戸谷成雄

彦坂尚嘉の正直な気持ちでは、これらの作家をふくむ多くの固体作家を、現代アートであるとは考えていません。

これらは前ー近代の古い体質の作家であり、作品だと思います。

しかし現実の社会の中では、むしろこれらのアーティストとその作品こそが、現代アートであり、芸術であると認識されています。

つまり《固体》という前近代性をもっている質を、芸術性であるとして、多くの人々が信じているのです。

私は、その人々の意見を否定する気持ちはありません。
いろいろな考え方があって良いと思います。

しかし私の考えでは、これらの作家は前近代性に依拠していて、古いのです。根本において、現代のアートであるとは、思えません。

繰り返しますが、そうは思いますが、それはあくまでも私の考えであって、社会の考えではありません。

芸術に対する思考は、個人思考と、社会通念では、別のものなのです。

そういう私の視点では、山口俊郎さんの作品も《固体》という様態に依拠しているものなのです。







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山口俊郎の作品 - 2011.10.29 Sat

山口俊郎さんの新作を見せていただいた。
《超次元》~《第6400次元》あるペインティングになっていて、すばらしかった。
グーグルアースによる風景画というのは、時代的な必然がある。


山口俊郎さんの誠実ながんばりと、描くことの丁寧な積み重ねが生んだ成果である。



sagarmatha01ブログ

彦坂尚嘉責任による言語判定法による
[ 山口俊郎 sagarmatha01]の芸術分析


アヴァンギャルド美術ではない。

世間体アートである。
伝統美術である。

現代アートではない。

《想像界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》~《第6400次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現。しかし《サントーム》は無い。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の5様態をもつ多層的な表現。

《シリアス・アート》である。《気晴らしアート》では無い。
《ハイアート》である。《ローアート》では無い。
シニフィアンとシニフィエの同時表示。つまりシーニュである表現。
理性脳の表現である。原始脳性が無い。
《透視画面》オプティカル・イリュージョン【A級美術】。

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》《形骸》《炎上》《崩壊》の全概念梯子が有る。

《原デザイン》《デザイン》・・・の全概念梯子が無い。

《原大衆芸術》《原イラストレーション》《原シンボル》の概念梯子が無い。

《原-装飾》が無い。
《原-工芸》性が有る。

芸術であって、キッチュではない。

作品空間の意識の大きさが《村》である。

《愛玩》《対話》《驚愕》《信仰》《瞑想》の全てがある。

情報量が100である。
クリエイティヴである。


sagarmatha02完成RGBブログ

GEP-norwayブログ

GEP-cholatse-ブログ

anauブログ

惜しいのは、現代アートになっていないところである。
それと空間が《村》という小いささがある。

しかしこのことを否定的に
考えることは無いだろう。

これはご本人のリアルな生活態度というか、人格の価値観が表れている所だと思う。それを無理に変える必要は無いし、それは出来ないと言うべきだろう。自分を変えることなどできないから、そのまま行けば良いと思う。

それよりも《超次元》~《第6400次元》までに拡張した絵画がえがけていることに対する驚きを、高く評価するべきである。


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イラスト写真から芸術写真への道 - 2011.10.29 Sat

最近ある写真展を見た。
みな、つまらない写真であった。

つまり芸術写真ではなかった。
唯一芸術であったのはS氏であった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その多くが《原-写真》も《原-芸術》もなくて、イラスト性で成立している写真でしかない。
《原-イラスト》性で成立している写真なのである。

日本の美術界の観客自身が、芸術鑑賞力においては未熟で、自然児たちなのだ。
それに合わせるかのように日本を代表するとして美術界で評価されている写真家たちも、
写真力においては自然児でしかない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本の観客や美術関係者自身が、写真といいながらもイラストを見ているのである。
イラスト性で成立している低俗な写真を写真だと思い込んでいる。

こう書くと、まるで彦坂尚嘉は、こうした低俗写真を否定しているように聞こえるのだが、正確にはそうではない。低俗写真こそが、写真の原点であって、それが肯定されている日本の美術界は正常なのだ。

正常だから、レベルが低いのだ。
レベルが低い作品が好きで、高い作品はきらいなのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし正常な自然性でつくられた写真というのは、真性の写真ではない。
では《真性の写真》や《真性の芸術》というのは、なんなのか?
それは低俗な写真の逆立した写真なのだ。

つまり野蛮に逆立して文明が成立するように、逆立こそが、芸術なのだ。

逆立への意思のないものたちは、退屈だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と言うわけで、私が電話をしたのは糸崎公朗さんで、作品写真の改竄を承諾してくださった。
というわけで、糸崎公朗さんの写真を見せて、これを芸術分析して、
さらにこの写真を改竄して、彦坂尚嘉の主張する芸術写真にして、
芸術分析するという芸当をお見せする。

だから4種類お見せする。

1.糸崎公朗氏のオリジナルの《第6次元 自明性領域》の写真作品。

2.彦坂が少し改竄した《第1次元 社会的理性領域》だけの写真作品。

3.彦坂が改竄した《超次元》?《第6400次元》の芸術写真。

4.彦坂尚嘉が極限の芸術化に挑んだ《超次元》?《第51200次元》の真性の芸術写真

最近は、この《第51200次元》まである表現にとりつかれていますが、多くの人は嫌いだろうと思います。
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アートスタディーズ特別シンポジウム  - 2011.10.27 Thu

アートスタディーズ特別シンポジウム
20世紀の建築と美術をめぐって



3.11の福島原発事故によって、日本の近代社会の根底が 
終わった様に思えます。そしてまたギリシア危機やアメリカの格差是正デモなど、 
世界経済の破綻は、近代国家そのものの信用崩壊の様相を帯びてきています。 
世界的規模での《近代の崩壊》を前にして 
この時期に、近過去である20世紀100年の歴史を振り返って、 
建築と美術を検証する全体を討議する特別シンポジウムを行います。 

20世紀建築史と美術史はどのように変貌して今日に至ったのか? 
私たちの立つクリエイティビティの基盤そのものはどうなるのか?

この特別シンポジウムは全3回を予定していて彩流社より出版される下記単行本に収録される予定です。

彦坂尚嘉・五十嵐太郎+アートスタディーズ編著
『20世紀の建築と美術/付・年表:現代建築と現代美術の100年』(彩流社 2012年刊行予定 書名は仮題で未定)

1回目:11月18日(金) 東京瓦会館・4階会議室
2回目:11月28日(月) LIXIL:GINZA・7階
3回目:12月第一週 立教大学6号館研究室
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●1回目=11月18日(金曜)  
  
開場 18時/開始 18時30分~ 
  

出席:建畠晢(美術評論家、詩人、京都市立芸術大学学長
       前国立国際美術館館長) 
     
   南泰裕(建築家、建築系ラジオ・コアメンバー、国士舘大学准教授)
   伊藤憲夫(元『美術手帖』編集長、多摩美術大学大学史編纂室長) 
     
   暮沢剛巳(美術評論家、東京工科大学デザイン学部准教授) 
     
   新堀 学(建築家、NPO地域再創生プログラム副理事長)
     
   橘川英規(美術ドキュメンタリスト、東京文化財研究所研究補佐員) 
 
司会:彦坂尚嘉(美術家、ブロガー、日本ラカン協会会員、
        立教大学大学院特任教授)

場所:東京瓦会館・4階会議室 
     
   〒102-0071 
     
   東京都千代田区富士見1丁目7-9 
    
   (当日連絡先は 090-6044-0843 太田 
     
    090-1040-1445 彦坂尚嘉) 
     
終了、終了後懇親会(別会場)

  
   ◆定員:20名(申込み先着順) 
  
   ◆参加費:500円(懇親会参加費は別途) 
  
   ◆お申し込み・お問い合わせは
   『アートスタディーズ申し込み』と明記の上、氏名、住所、
    所属、連絡先、予約人数を、下記e-mailアドレスへ
    
coresense@mac.com



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●2回目=11月28日(月曜) 
  
開場18時/開始 18時30分~ 
  

出席:五十嵐太郎(建築史家、建築系ラジオコアメンバー、東北大学教授) 
     
南泰裕(建築家、国士舘大学准教授、建築系ラジオ・コアメンバー)
   伊藤憲夫(元『美術手帖』編集長、多摩美術大学大学史編纂室長) 
     
   暮沢剛巳(美術評論家、東京工科大学デザイン学部准教授) 
     
   橘川英規(美術ドキュメンタリスト、東京文化財研究所研究補佐員) 
  
司会:司会:彦坂尚嘉(美術家、ブロガー、日本ラカン協会会員、
           立教大学大学院特任教授) 
 
  
  

場所:LIXIL:GINZA(4月より社名変更になり、こちらINAX銀座も9月より
          名称が変わりました)。
  
   〒104-0031  
  東京都中央区京橋3-6-18 
  
   (当日連絡先は 090-6044-0843 太田 

           090-1040-1445 彦坂尚嘉) 
  

終了、終了後懇親会(別会場) 

  
   ◆定員:60名(申込み先着順) 
  
   ◆参加費:500円(懇親会参加費は別途) 
  
   ◆お申し込み・お問い合わせは 
  氏名、住所、所属、連絡先、予約人数を明記の上、下記e-mailアドレスへ 
  coresense@mac.com 

  




   ◆主催 アート・スタディーズ実行委員会 
  
   ◆共催 彩流社 
  
   ◆後援 毎日新聞社 
    
    日本建築学会 
    
    日本美術情報センター



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


●3回目=12月第一週 未定 
  
開場 18時/開始 18時30分~ 
  
出席:富井玲子(美術史家、ポンジャ現懇の主宰、ニューヨーク在住)
   藤原えりみ(美術ジャーナリスト)
司会:司会:彦坂尚嘉(美術家、日本ラカン協会会員、
           立教大学大学院特任教授)

場所:立教大学6号館研究室 
 JR池袋駅下車     
     〒102-0071 
     
     東京都千代田区富士見1丁目7-9 
    
    (当日連絡先は 090-6044-0843 太田
     あるいは 090-1040-1445 彦坂) 
     
◆定員:10名(申込み先着順) 
  
◆参加費:無料
  
◆お申し込み・お問い合わせは『アートスタディーズ申し込み』と明記の上
氏名、住所、所属、連絡先、予約人数を明記の上、下記e-mailアドレスへ
coresense@mac.com

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格差是正デモ - 2011.10.25 Tue

アメリカの格差是正デモについて、どの程度までの共感を示して良いのかと躊躇するものがあったが、下記に引用したダイヤモンドオンラインの記事で、ふっきれた気がした。アラブの春の革命の進展とともに、根本的に新しい時代が始まろうとしていると考えられるのです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
情報出典:ダイヤモンドオンライン
http://diamond.jp/category/s-beyond_valley

全米に広がる格差是正デモの驚くべき組織力
ウォール街占拠を訴える人々をつなぐもの


 OccupyWallStreet(ウォール街を占拠せよ)のデモとその機運が、燎原の火の如く全米に拡大している。

 OccupyWallStreetは、そもそも9月17日頃に始まったアメリカの金融システムに抗議するデモだ。リーマンショック以来の危機から立ち直れずにいるアメリカ経済。失業率は高止まりし(9月は9.1%)、どんなに仕事を探しても職にありつけない人々が方々にいる。さらに追い打ちをかけるように、食糧やガソリンなどの生活必需品の値段が上がり、生活はますます厳しくなっている。

 ところが、ウォール街に目を向けると、100万ドルの年収をもらって当たり前とでもいうような相変わらずの振る舞い。サブプライムローン問題で世界経済を苦境に陥れた過去などおかまいなし。ウォール街だけではない。大企業のトップの多くは、今でも数百万ドルもの報酬を得ている。

 いったい、この貧富の格差は何なのか。突き詰めて言えば、その思いがデモに参加している人々の動機だろう。政策に大きな影響を及ぼす企業の権力を制限し、民主主義をマネーゲームから解放して、普通の人々の生活を守るものに戻して欲しい――。それが、デモの参加者たちが唱えている「We are the 99%.(われわれ普通の人間こそ、この社会の99%の成員だ)の真意である。

 さて、デモ自体は目新しい手法ではないが、このOccupyWallStreetにはテクノロジーの活用法を含めて組織化の優れた手法が多数用いられており、われわれも大いに学ぶところがある。

 たとえば、ウェブサイトひとつとっても、その整然とした様には驚くべきものがある。デモの主旨はもちろんのこと、ネットフォーラム、参加者へのスケジュールの通知、寄付希望者の手続き方法、参加者の分布図などが容易に見渡せる。誰かテクノロジーに強い人間がバックについているのだろう。

 OccupyWallStreetが占拠するズコッティ・パークに行けば、この運動をうまく機能させるための組織構造が周到に整備されていることもわかる。

 事務局のような役割を果たしているのは、ニューヨークシティー・ジェネラル・アッセンブリーというNPO。ここが毎日会議を開いて、今後の活動や日々の細かな運営方法を決めている。ただし、会議には誰でも参加できるようになっている。OccupyWallStreetは、リーダーのいないデモ活動、すなわちコンセンサスによって行動する集団を標榜しているからだ。

参加者全員が集う総会は、毎日午後7時に開かれる。そこで、現場の運営(活動、食糧、衛生問題など)に関する告知が行われる。それ以外に、団結集会とか、家族参加日とか、オープンフォーラムなど種々の催しものが開かれている。これに加えて、飛び入りで、ヨガのグループがセッションを開いたり、政治家やセレブが現場を訪れてスピーチをしたりと、まるでお祭りのようにイベント続きである。

 参加者の間で委員会も作られている。直接行動委員会、食糧委員会、インターネットワーキンググループ、財務委員会、広報委員会、アートおよびカルチャー委員会、広報委員会などなど。それぞれのバックグラウンドを生かして、行動規範を作ったり、プレス対応をしたり、ポスターを制作したりしている。寄付された食糧を受け取り分配する係もいる。

 テクノロジーに強い人間がいるはずと先述したが、国際ハッカー集団のアノニマスも力を貸しているようだ。参加者にペッパースプレーを吹きかけた警官たちの名前をインターネットで公開して、彼らに抗議するようにネット上で呼びかけたりしている。リアルとバーチャルの両方で、OccupyWallStreetは組織化され、後方支援を受けているのだ。

 自然発生的に広がっていったOccupyWallStreetは、まるで新しい共和国のような様相を呈している。最初は失業者やホームレスたちの集まりと見られていたが、そのうち若者や学生も加わり、整然と組織化されていった。組織といっても、弱肉強食のウォール街の流儀とは正反対のもの。話し合いを通じて、合意形成を図り、それを実践していくというものだ。

「アラブの春」で用いられた「非暴力的市民不服従」の考え方も生かされている。暴力を使って抗議したり、相手に襲いかかったりするのではなく、周到な計画に基づいてデモ行動を起こし、不服従を貫くというやり方だ。

 今やアメリカでは、ウォール街の金融業界は国民を苦しめる独裁者のような存在として一般社会にイメージ付けられてしまった感がある。中東・アフリカで始まった反体制運動が、まさかこのような形で自分たちに跳ね返ってこようとはウォール街の住人たちも予想だにしていなかったことだろう。
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私性表現が芸術であるということ(重要加筆) - 2011.10.25 Tue

SATTAさんからのコメントです。

> ありがとうございました。
> それらは写真を撮るための性行為なんでしょうけどさらけ出すのはすごいですね。


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 チチョリーナは、現在も政治家です。1979年イタリア最初の環境政党「緑の党」として選挙出馬し、1987年にはイタリア下院議員に当選しています。
 ポルノ女優になったのは、1983年ですが、1989年には引退しています。ジェフ・クーンズと結婚したのは1991年で、息子ルドウィクをつくっているので、ほんものの結婚です。ですからジェフ・クーンズとチチョリーナのセックス写真というのは、職業ポルノの女優と男優の写真というものではありません。つまり職業的なものではなくて、夫婦のセックスを露骨に描いた私的な行為性をもった表現なのです。そのために夫婦関係は破綻して、1992年に離婚しています。WIKIによるとジェフ・クーンズ自身も「まったく、あの経験は僕に社会への責任を意識させてくれた。僕は人情を解する気持ちを失っていたんだ」と反省しています。
 
 しかし私生活としてのセックスを露呈させない限り、あの作品は芸術として成立しなかったのです。なぜなら《真性の芸術》というのは、私性をもった表現だからです。デザインは私性を隠し抑制した表現ですが、芸術は逆に私性をあらわに露呈させ強調する表現なのです。長谷川祐子さんの、アートとデザインの遺伝子を交換するという主張は、原理的には間違いです。芸術は私的な表現性であり続けているのです。

【重要加筆】

しかし、今日の時代の大きな特徴は、《さかしま》であると言うことです。
つまり倒錯しているのです。
天地が逆にひっくり返っている。
だから芸術とデザインが逆さまになるのです。

こうした《さかしま》の時代であっても、基準というのは不変です。
どれほど醜悪な顔のタレントがおもしろがられても、美人は美人です。

ましてや、私性と公的性の確執は、人間社会の根源を形成しているのですから、
倒錯してデザインを芸術としても、美術館ががらくたの山になるだけであって、
そういう不毛性は何も生まないのです。


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 - 2011.10.25 Tue

SATTAさんからのコメントです。

> ありがとうございました。
> それらは写真を撮るための性行為なんでしょうけどさらけ出すのはすごいですね。


 チチョリーナは、現在も政治家です。1979年イタリア最初の環境政党「緑の党」として選挙出馬し、1987年にはイタリア下院議員に当選しています。
 ポルノ女優になったのは、1983年ですが、1989年には引退しています。ジェフ・クーンズと結婚したのは1991年で、息子ルドウィクをつくっているので、ほんものの結婚です。ですからジェフ・クーンズとチチョリーナのセックス写真というのは、職業ポルノの女優と男優の写真というものではありません。つまり職業的なものではなくて、夫婦のセックスを露骨に描いた私的な行為性をもった表現なのです。そのために夫婦関係は破綻して、1992年に離婚しています。WIKIによるとジェフ・クーンズ自身も「まったく、あの経験は僕に社会への責任を意識させてくれた。僕は人情を解する気持ちを失っていたんだ」と反省しています。
 
 しかし私生活としてのセックスを露呈させない限り、あの作品は芸術として成立しなかったのです。なぜなら《真性の芸術》というのは、私性をもった表現だからです。デザインは私性を隠し抑制した表現ですが、芸術は逆に私性をあらわに露呈させ強調する表現なのです。長谷川祐子さんの、アートとデザインの遺伝子を交換するという主張は、原理的には間違いです。芸術は私的な表現性であり続けているのです。
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25600次元まであるメガデス - 2011.10.25 Tue

次元数が、《超次元》?《第6400次元》どころか、
その倍の12800,さらに倍の25600までに達している名曲です。
つまり宇宙規模の音楽です。
意識の広さが広いのですね。

意識が広ければ良いというのではありませんが、かといって意識の狭い人というのも、困ったものではあります。

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世界各地で発生したマグニチュード5以上の地震情報 - 2011.10.24 Mon

トルコで、大地震がありました。
日本とは関係が無いように見えますが、世界で巨大地震が頻発していて、無関係とは言えないものです。

下の地図は一週間以内に、世界各地で発生したマグニチュード5以上の地震情報です。

情報出典:http://j-jis.com/world/worldmap.shtml

SEKAINOJISINN-.jpg

この一週間以内の大地震の地図は、
地球のプレート構造と重なります。

情報出典:http://j-jis.com/data/plate.shtml

世界の震源分布とプレート

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世界の震源分布とプレート (M5以上、100kmより浅い地震)

世界中のプレートのぶつかり合いの全体が動いて、活性化しているようです。トルコの大地震も、日本の無関係というものでは無いように、連動しているかのように見えます。

江戸時代の末期には地震が頻発しています。つまり政治変動と大地震は、奇妙に連動していることは歴史の教えることです。現在の世界中での経済の深刻な破綻と、アラブの春と言われる革命の展開は、実は地震とも連動しているように見えます。

トルコ東部でM7.2の地震 地元メディア、死者数が1,000人に及ぶおそれと伝える
トルコ東部で23日、マグニチュード7.2の地震があり、地元メディアは、死者の数が1,000人に及ぶおそれがあると伝えている。
イラン国境に近い、トルコ東部の都市ワンの北東およそ17kmで23日、マグニチュード7.2の地震が発生した。
現地メディアなどが各地域の被害を伝え始めているが、全体の被害状況は明らかになっておらず、死者は1,000人にのぼるおそれがあるという。
倒壊した建物の周りでは、救助犬を使ってがれきの下に生き埋めになった人の捜索が行われ、重機などによる救助活動は、夜を徹して行われている。
一方、ワンにある空港も大きな被害を受けたということで、航空機などによる支援物資の供給が困難な状況にある可能性もある。
この地震による日本人の被害は、これまで確認されていないという。
情報出典:FNNニュース
(10/24 06:20)
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あいちトリエンナーレ2013の タイトルとコンセプト - 2011.10.24 Mon

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先日の記者発表で、
あいちトリエンナーレ2013の
タイトルとコンセプトを発表しましたので、
下記にお知らせいたします。

五十嵐太郎

***

揺れる大地―われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活
Awakening―where we are standing ?:earth, memory and resurrection

 あいちトリエンナーレ2013は、多くの来場者が訪れ、成功をおさめた2010年の第一回に続くものであり、期待を受けながら、ニ度目の開催に向かって船出しました。しかし、現在は荒波の時代です。大地が激しく揺れた東日本大震災が引き金となって、自然の恵みをもたらしてきた海が沿岸の街を襲い、原発の事故も発生しました。日本が大きな試練を迎え、転換を迫られるなかで、このトリエンナーレは世界に文化を発信する国際展となります。したがって、先端的な芸術の動向を紹介する第一回の長所を継承しつつも、荒波を越えていくための新機軸や時代性を織り込んでいきます。

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 19世紀末にゴーギャンは「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」という題名の絵を描きました。これに対して、今度のトリエンナーレは「われわれはどこに立っているのか」を考えたいと思います。当たり前だと思っていた根拠を失い、既成の枠組が変動するとき、自らが踏みしめる大地=アイデンティティがどうなっているかを確認する必要があります。この問いは、場所の固有性を具体的に考えることにもつながると考えます。美術館の箱の中とは違う、街に染みだしていく祝祭的な風景は、あいちトリエンナーレの特徴ですが、新しく芸術が介入することで、都市の可能性を開くだけではなく、作品を通じて、すでにわれわれが立っている日常的な場を再発見すること。場所の力を引きだし、空間の意味を変えるのは、美術や建築だけではありません。このトリエンナーレでは、パフォーミング・アーツの分野においても、視覚芸術との実験的な統合を試みながら、いま、ここでしか体験できない空間を生みだします。

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 多くの犠牲者を出した3.11のカタストロフに遭遇した後、アートに何ができるか、という議論がおきました。これは日本だけの問題ではありません。さまざまな意見があるでしょうが、芸術がなすべき役割のひとつは、人類が生みだした最強の文化的な記憶装置として過去を忘れないようにすることでしょう。そして記憶を呼び戻し、希望を復活させること。われわれが再び歩きだし、青い空を見上げることができるように。このトリエンナーレは、固有の場所に結びつく記憶と復活を通じて、アートの力を社会に問いかけ、われわれが生きる街の輝きを増していくことをめざします。

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五十嵐太郎様

彦坂尚嘉です。
上記拝読いたしました。
今日の状況に対する緊迫感のあるあいちトリエンナーレ2013のコンセプトで、
感銘を受けました。
このような『揺れる大地』というタイトルも今までにないもので、
『人間と物質』という1970年の毎日ビエンナーレ以来の、非常に強いメッセージ性のあるものです。

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副題の『われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活』という連鎖も、
展覧会の内容の多様性と、そして救心性もていて、最近のぬるい企画とはちがっていて、
美術が再び前衛生をよみがえらせる力を感じさせます。

ご多忙で、ご苦労も多いと思いますが、
くれぐれもご健康の気おつけて、
2013年の実現に向けてご自愛ください。
お成功をお祈りいたします。

彦坂尚嘉









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ギリシアの自殺と日本の自殺数 - 2011.10.24 Mon

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緊縮策で医療費カット
 保健・社会福祉省などによると、ギリシャの自殺率は09年の財政危機前の2倍に増え、10万人当たり6人に。日本(24人)ほどではないが、「急激な景気後退が社会を沈滞させ、弱者にしわ寄せが来ている。自殺もそうだが、通りでの無意味な怒鳴り合い、暴力が増えた」。ロイス・ラブリアニディス・マケドニア大教授は言う。

 アナスタシアさんを襲ったのは弟の死だけではない。末期の口腔(こうくう)がんを患う夫マキスさん(68)は4月、医師に「家で死なせてあげた方がいい」と言われ、入院先の病院から帰宅。いまは治療も投薬もない。

 ギリシャの基本医療は無料だが、09年時点で国の医療費は国内総生産(GDP)の10%。公立病院は医療費の国への水増し請求などの問題を指摘され、医療は危機後、公務員、年金と並び、改革の3大柱となり、スリム化が進む。マキスさんの半ば強制的な退院は、「病院の効率化の結果だ」と義兄(70)は言う。

 世界中から観光客が集まるアテネ。パルテノン神殿を望むプラカ地区は外国人であふれ返るが、庶民が買い物をする商店街は閉店が目立つ。通学かばんなどを製造販売するアンドレアス・アバツォグルウさん(32)は言う。「消費が減る一方、夏からは税務官が経費を一切認めず、向こうの言い値を納めろと迫ってくる。こんなことはなかった」。行政に大なたが振るわれ、政府による重税などの圧力に、市民は「怒り」をたぎらせている。


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スーサイド - 2011.10.23 Sun

スーサイドが好きで、久しぶりに聞き直しました。
1977年の一番最初のアルバムだけがおもしろいのですが、
2人組のバンドですが、シンセサイザー、ドラムマシンの担当のマーティン・レヴがおもしろいのですね。

この無機的なシンセサイザーの音って、何なのだろうかというのが1977年以来の私の抱える謎であったのですが、これは今の私の言語判定法で判断すると《装飾》ですね。

と言うことは、アグネス・マーティンのストライプの絵画というものも、《装飾》なのですね。《装飾》が芸術になるという事態は、何なのか?













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アート思考の基準(加筆、画像大量追加) - 2011.10.23 Sun

SATTAさんから、再びご質問をいただいた。

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デュシャンが便器をひっくり返して作品を作り作品と言っているのと同じように、(ジェフ・クーンズが)写真を使って巨大な作品を作り特別なプロセスを使って油絵と言っているのは同じようなことなんですか?

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●基準について

作品とか、芸術という場合に、様々なものがあるので、混乱をしてわかりにくくなっています。

この「わかりにくさ」というのが、今日の日本の状況です。
なぜに、「わかりにくい」のでしょうか?

それは基準がはっきりと決まっていないからです。

なんでもそうなのですが、基準が決まらないと判断が出来ません。
長さを測るときには、長さの基準を決めないと、測定も出来ないのです。

基準を決めても、いくつもの基準があると、そこでも食い違いを生じます。
メートル法と、尺貫法は違うものですが、しかしまだ共通性があって、両者ともに10進法です。

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メートル原器


しかしアメリカやが現在も使っているヤードポンド法というのは、10進法でもありません。
1フィートというのは12インチなのです。つまり時計とおなじような12進法なのです。

つまり基準の基準があって、それが10進法と12進法の2つがあって、混在しているのです。

ですから、ものを考えるときに、基準を設定して考えるとともに、基準を違うものに変えれば違ってくるということを知っていないと、無用な混乱に陥ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●歴史的な順番

基準を明らかにするのは、歴史的な順番なのです。


欧米の図書館では、グーテンベルクが1455年にはじめて印刷した『グーテンベルク聖書』を持っているところを格の高い図書館として扱います。
古さが基準なのです。

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美術の作品について考えるとき基準も、一番古くに美術作品=芸術が成立したものを基準にして考えます。
基準になるのはエジプト美術です。

ニューヨーク近代美術館の有名キュレーターのルービンというのはエジプト美術の研究から始めた人で、ピカソを評価して押し出した人です。
モダンアートというものを評価している基準は、エジプト美術なのです。

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エジプト美術では、《第1次元 社会的理性領域》というものだけの単層アートが、初めて成立しています。

しかもグリッド・システムによる絵の描き方を決めて5000年間も同じような絵を描き続けてるのです。

これが美術を考える際の基準です。

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●《反基準》

ご質問の「デュシャンが便器をひっくり返して作品を作り作品と言っている」というのは、エジプトの基準から言うと、デシャンの「泉」は作品ではなくて《反作品》です。
実際にオリジナルの便器は保存もされませんでした。

《反作品》や《反芸術》というのは、《反メートル法》とか《反10進法》というようなもので、そもそも《反基準》なのです。

《反基準》というものを、新しい基準だという主張は、混乱を生んでいく間違った思考法です。
デュシャンが有名なために、現代美術の基準として考えるのです。
実際20世紀はダダが3回繰り返しました。
しかしダダそのものは《反基準》なのです。ですからあくまでも基準的なものの相対化なのです。
日本においては、この間違った思考法がひろがっているので、「わかりにくい」状況がうまれているのです。

デュシャンを新しい基準にして、全人類の美術を再定義することはできません。

しかもジェフ・クーンズのこのメイドインヘブンシリーズは、直接にはデュシャンには連なってはいません。
もしもダダとの関係をあげるのならばピカビアの絵画です。

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Francis Picabia - Dancer of French Cancan (La danseuse de french-cancan)
ピカビア



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●絵画の原理

ルネッサンス以来、カメラオブスキュラを使って、磨りガラスに映る写真映像をトレースして、手描きで着彩して描くのが西洋美術の絵画の作り方でした。レオナルド・ダ・ヴィンチも、このようにカメラによる写真画像を描いて絵画を作りました。

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アングルは、産業革命後に登場した感光材料による写真を見て、これを絵画に引き写した描き方をした最初の画家です。
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このような伝統の中では、ご質問の「写真を使って巨大な作品を作り特別なプロセスを使って油絵と言っている」というジェフクーンズの作品の制作法は、ルネッサンス以来の絵画制作の伝統を踏襲したものであって、特に奇異なものではありません。

つまりジェフ・クーンズの作品は《反作品》や《反芸術》《反美術》ではないのです。

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つまりジェフ・クーンズの作品は、オーソドックスすぎるほどに正当な《作品》であり、《芸術》であり《美術》なのです。

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カダフィ - 2011.10.22 Sat

カダフィーが死亡した。
歴史が換わったことは、うれしいことです。
カダフィの顔を一枚の絵画を見るようにして芸術分析をしてみました。

思ったよりもつまらない人です。
独裁者特有の妄想人格障害の顔をしています。


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彦坂尚嘉責任による
言語判定法による[ カダフィ]の顔の芸術分析


アヴァンギャルドな人物である。
伝統的政治家ではない。
現代的政治家ではない。

《想像界》の眼で《超次元》~《第100次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《第8次元》のデザイン的人格
《現実界》の眼で《第401~800次元》のデザイン的人格

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
基本的には《第8次元 信仰領域》の人物。
現実界が《第401~800次元》であるというのは、妄想性人格障害者であるからだろう。
独裁者は、自分の権力を守るために疑心暗鬼になって、この妄想性人格障害になる。


最近の若い男の顔に、実は《第401~800次元》が多い。これも妄想性人格障害なのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な人格。ただし《サントーム》は無い。
液体/固体/絶対零度の3様態をもつ多層的な人格。ただしプラズマ/気体性はない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
プラズマ/気体性はないというところで、現在のコンピューターによる社会情勢の変化を認識できなかったのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《シリアスな人格》である。《気晴らし人格》では無い。
《ハイアート人格》である。《ローアート人格》では無い。
シニフィアンとシニフィエの同時表示。つまりシーニュである人格。
理性脳と原始脳の同時表示的人格。

《原始人格》ペンキ絵的な人格【B級人格】。

《原人格》《人格》《反人格》《非人格》《無人格》《世間体の人格》《人格の形骸》《人格の炎上》《人格の崩壊》の全概念梯子が無い。

《原デザイン的人格》《デザイン的人格》・・・の全概念梯子が有る。

《原大衆人格》《原イラストレーション的人格》《原シンボル的人格》の概念梯子が無い。

《原-装飾的人格》が無い。
《原-工芸的人格》性が無い。

デザイン的人物であって、真性の人格者ではない。

人格空間の意識の大きさが《孤児》である。

人格的な鑑賞構造が無い。

情報量が50である。
クリエイティヴではない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人格の大草が、一番小さな《孤児》の人格空間であったところが、悲しい。
アラブの統一によるキリスト教圏への対抗を志した人物というものの小ささが露呈している。

たぶん、こうした対抗主義そのものが古いのである。

ジェフ・クーンズ(3/3)芸術分析 - 2011.10.21 Fri

すみません、締め切りがあって、ブログ更新が出来ませんでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある人から、ジェフクーンズのうさぎの彫刻を私がステンレスの鋳造であると書いているが、
あれは間違いで、風船に銀メッキをしたものであるとの指摘のメールをいただきました。

もちろん事実はステンレス鋳造であって、誤解は明らかにはなったが、
あの作品を風船に銀メッキと思われると、話は難しくなるのです。

重要なことは、風船に銀メッキした作品は日本では成立しても、
アメリカ帝国の高額美術市場では成立しないのです。

私が少年であった頃ですら、美術作品は最低でも50年保つように作れと教えられたものものなのです。
今日の日本の状況は、作品をインスタレーションやパフォーマンスのように一過性のものと、50年以上持つ保存性のあるものとを明確に区分し自覚的に制作すべきなのですが、その認識性が失われてしまっていている。

作品をインスタレーションやパフォーマンスのように一過性のものと、50年以上持つ保存性のあるものとを明確に区分し自覚的に制作すべきなのだが、その認識性が失われてしまっていている。

それは見る目にも言えて、ステンレス鋳造という非伝統的な難易度の高い技術の制作物を見て、一番安易な風船としてしてしか認識できないのがわたしたちの現実であると言えるのです。

同様のことが、今回のジェフクーンズの『メイドインへブン』にも言えて、電話である友人と話していたら、あの作品を写真だと思っていて、ペインティングであるというと驚いていた。

ジェフ・クーンズ作品の場合、ペインティングであるということが、極めて重要であるのです。
今回は、メイドインヘブンの芸術分析をしました。
その結果ですが、次のようになります。

今回、芸術分析をやってみて、一番驚いたのは、アヴァンギャルドであるということと、サントームアートであることですが、何よりも《イメージ判定法》で見る限りは、この作品はポルノであって、芸術には見えないと言うことです。
しかし、象徴界で判断する《言語判定法》でみると、たいへんに優れいている芸術作品ということになります。
想像界で判断する《イメージ判定法》では、正反対の判断が出てくるのです。

日本では受けませんが、
1985年頃に登場したジェフクーンズは、決定的なアーティストであって、
実際にダミアンハーストや村上隆に大きな影響を与えています。
ここ35年間で圧倒的に創造的で、時代を変えたアーティストであると思います。
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ジェフ・クーンズ(2)ポルノの哲学的心理学基盤 - 2011.10.18 Tue

●芸術か? 猥褻か?

 芸術か? 猥褻か? という問いも古くさいものです。
 もはや、猥褻だから罪であり、罰せられるというものでは無いのですが、しかし見て不愉快なもの、下品なものは嫌なのです。それが普通の生活者の感覚です。

 社会というのは、性的な表現を抑圧するという傾向はあって、ジェフクーンズの『メイド・イン・ヘヴン』シリーズのような作品を肯定的にみることは、普通は難しい事なのです。

 しかしギリシア彫刻から始まる西洋の伝統には、性器をむき出しにした裸体表現は、彫刻でも絵画でも沢山あったのです。その意味では、日本の伝統はそうでは無いと言えるように思えるのですが、しかし江戸時代までの日本の性的世界は、あまり抑圧のない、おおらかな世界であったようです。

 私自身は、学生時代に、ちょうどポルノの解禁の時代と重なっていることもあって、性表現の問題は、思想的には考えてきました。作品的には、ほとんど性表現はしていないので、その辺の落差はあって、わかりにくいかもしれません。

 ジェフ・クーンズの『メイド・イン・ヘヴン』シリーズ作品を、良い作品とは思わないと言う人が多いと思います。そういう常識は、重要なものです。人間の社会というのは、常識によって出来ているからです。しかし、それは常識的にはそうでありましょうが、そういう判断に芸術史上で意味があるのでしょうか。芸術が常識と一致していると良いのですが、現実の芸術史は、常識とは食い違っています。それは科学の歴史が、常識とは違っているのに、似ています。

常識で判断できることと、不愉快ではあるので、まったく認めなくても良いのですが、科学は科学で奇妙な事実を探求しているように、芸術は芸術でばかばかしいほどの作品を作ってくるのです。これを不愉快とするのか、退屈を紛らわすおもしろい事と考えるかは、人によって違うし、各自の自由なのです。
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ジェフ・クーンズ/『メイド・イン・ヘヴン(Made in Heaven)』をめぐって(1)校正1 - 2011.10.16 Sun

sattaさんからのリクエストで、ジェフクーンズの作品の芸術分析ですが、チチョリーナとのポルノ写真としてしか見えないの作品『メイド・イン・ヘヴン(Made in Heaven)』を、まず取り上げます。さすがにオープンでは無理なので、有料ブログでやりますのでご了解ください。

ジェフ・クーンズの作品を巡っては、高く評価する人と、悪趣味であるとして低く評価する人が割れていますが、こうした評価の分裂そのものは、液体時代=近代になると「新旧論争」と言う形でヨーロッパでは18世紀以来続いていることなので、ジェフクーンズの作品だけに起きていることでは無くて、時代の構造そのものの問題なのです。

つまり芸術作品について、評価が割れない時代のと言うのは固体時代=前近代特有の構造でした。つまり絶対零度の5万年間、ほぼ同じような生活をしていたアボリジニの生活の中では、美術作品について評価が大きく割れると言うことは無かったのです。同様に5千年間もほぼ同じような絵を描き続けていたエジプト時代にも美術作品についての評価の分裂は無かったのです。時代が、産業革命を経て液体時代=近代になると、価値は分裂して「新旧論争」と言う形で、繰り返し評価が割れて争われるようになるのです。

したがって、1975年・2001年の2度に渡って近代が終わり、時代が気体時代、さらにプラズマ時代という風になると、芸術をめぐる評価は決定的に分裂してしまって、これを解決する方法はありません。1985頃から登場したジェフクーンズは、ここ四半世紀にわたって、非常に過激で高度な技術と高額の資本をかけた美術作品を作ってきていて、私は高く評価しますが、それはその芸術性の高さについての評価でもあります。

つまり人類の文化の温度が上がってプラズマ化すると、実は芸術という質の核の部分が、より純粋になってくるので、それ以前の固体時代の定義や、液体時代の定義では追いつかなくなってきているのです。比喩で申し上げれば、H2Oという水にしても、温度が低い固体時代=前近代では、水は氷になっていて、つまり氷状の芸術を芸術として認識していたのです。温度が上がって氷が溶けて液体の水になると、液体状態の芸術が芸術になります。さらに温度が上がって水が水蒸気になると、気体状態になった芸術が芸術になります。さらに温度が上がって水分子が分裂してプラズマ状になると、芸術の定義がプラズマ状になるので、こうしたプラズマ状のものを認識できない人には分からないものになるのです。

芸術が分からないという日本人の芸術コンプレックスというのは、人類の歴史という視野で、文明の様態が、固体、液体、気体、プラズマと変化してきていると言うことが認識できないという深い認識欠陥に根ざしているのです。さらに言えば、日本人の多くは固体文明=前近代文明の中にいることを選んでいます。そしてその固体的な保守性を芸術として認識しているのです。つまり前近代を愛する骨董趣味を芸術としているのです。
 それは今日の現代美術・現代アートにも潜在する様態の保守性です。

今日の時代がプラズマ状になったからといって、すべてがプラズマ状態になっているのでは無くて、依然として気体状態のものも、液体状態のものも、固体状態のものも、絶対零度で不変に見えるものも、この世界には存在しているのです。ですから価値は極度に多様化しています。すでに述べたように特に日本社会の大半は、依然として固体状態の人々が多くいますし、液体状態を信じている人は中心を占めているのです。ここでも日本の常識は世界の非常識という傾向は続いているのです。

さて、ジェフクーンズの作品の中でも、もっともポルノグラフィティに見える作品についても、興味深い問題が登場します。一つは、芸術か否かという問題。二つには、大きさが大きいのですが、この大きさが無ければ、芸術では無いのか? と言う問題。つまり大きくしたから芸術になったのか? と言う問題。三つには、ペインティングになっているのですが、ペインティングになっているから、芸術に
なったのか? と言う問題。じつはここでも巧妙に、高額になる芸術作品としての要素を獲得しているジェフクーンズの戦略に巻き込まれるのですが、そうした戦略を外して、つまり大きさも、ペインティング性も外してもなお、純粋に視覚的イメージとしてのポルノ表現として芸術か、否か、が問われないと、実は答えにならないのです。

さて、単刀直入にジェフクーンズの作品評価に入ることは、学問的ではありません。まず、伝統的に振り返る事が重要です。性器をむき出しにした表現というのは、固体時代=前近代においては、いわゆるエロ寺に奉納されているような男根や女性性器は、呪術性、宗教性をもったものとして、かなりありふれて存在しています。それ以上にインドのカジュラホには石造りの巨大な寺院の中に、性行為をしている像がたくさんあります。10世紀初頭から12世紀末ごろのチャンデーラ朝時代に、カジュラーホーでは、85ヶ所に及ぶ寺院が建設されています。その中には、さまざまな性行像がみられます。こうした作品は、芸術なのでしょうか。彦坂尚嘉の言語判定法では、これらは芸術なのです。
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復刻:『美術評論』?1? - 2011.10.15 Sat

戦前の美術雑誌に『美術評論』というのがあって、これの模倣を、ためしにやってみます。
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デヴィッド・フィンチャーの映画(1) - 2011.10.14 Fri

デヴィッド・フィンチャーという映画監督に興味を持ち始めました。

私はすでに1992年にエイリアン3、1995年のセブン、そして1999年にファイトクラブ、さらに最近のソーシャルネットワークと、4本も見ているのですが、
最近、『ファイトクラブ』を見直しして驚いたのでした。

今頃になって騒ぎ始めるというのも、いかに私の 映画鑑賞のセンスが遅れているかを証明するようなものですが、遅ればせながら見ていきたいと思います。


『エイリアン3』(Alien³)は、1992年のアメリカ映画。
デヴィッド・フィンチャー監督のデビュー作。
2005年の完全版では劇場公開版でカットされてしまったストーリー上重要なシーンや、陰鬱な世界観を表現した描写がなされたシーンが追加され、 されて評価が高まった。
私もこの完全版の二枚組DVDを買って、見始めています。
特典映像のメイキングビデオが、やたらに長い力作です。



『セブン』は、猟奇殺人を描いた1995年のアメリカ映画。
先鋭的な映像センスと、ノイズを活用した音響により、シリアスかつダークな独特の世界観を描いている。
4週連続で全米興行成績1位に輝いた大ヒット映画


『ゲーム』(原題:The Game)は1997年公開のアメリカ映画。
ショーン・ペンが出演している。
私は未見です。



『ファイト・クラブ』(Fight Club)は、1999年製作のアメリカ映画。1999年に2001年のアメリカ同時多発テロ事件を予言していたという恐るべき映画。

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《第1次元 社会的理性領域》について - 2011.10.14 Fri


今日の社会を考えるとき、その根元には「文明」というものがあって、「社会」というものが存在します。今日では人間は20歳になると成人して「社会」に入りますが、社会の中に参加することで生きえるのです。こういう仕組みができあがったのは、エジプトでみると紀元前3000年頃からと考えられます。この「社会」というものを形成する理性の領域というのが《第1次元 社会的理性領域》です。人間の歴史をこの視点から描き出すことが、歴史を見る基本と言えます。
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モランディの風景画と静物画 - 2011.10.13 Thu

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モランディの風景画


「自分が好きなものが好きだ」という原理が存在します。
「自分が好きではないものは、見ない、聞かないようにする」という情報の遮断や、嫌いなものを排除のシステムが作動しているというのが、人間の基本的な性格です。
こうすることで、人間は平和に生きえるのです。

この排除のシステムこそが、正しくて、基本なのです。このことは普通に考える以上のことであって、この排除の肯定によって、文明は維持されているのです。特に日本の文化は、島国という地政学上の理由もあって、この自閉性が強いのです。

文明の成立の秘密というのは、この排除のシステムです。エジプト文明が、5000年間も、同じ絵を描き続けてきたのも、こうした排除のシステムが作動していて、異物や異なる試みを排除していたのです。

モーツアルトの音楽を好きな人々にも、この排除のシステムは強く作動しています。

美術だと、モランディではないでしょうか。
私はイタリアの、ボローニャのモランディ美術館に行って見て来ています。鎌倉近代美術館でのモランディ展も見ています。何故に私がモランディを見てきたかと言えば、私が嫌いで評価しないからです。私の場合には、普通の人のバイアス(偏見)を逆さかに使うことを、意識的にやっていて、嫌いなものを勉強すると言うことをしているからです。

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モランディの風景画

《第6次元 自明性領域》だけに生きている人々の感覚には、生活世界だけを信じる直接性があります。それ以外の価値観は拒絶し嫌悪します。菅前首相が小沢一郎を排除する執念を思い出してください。小沢一郎は《超次元》~《第6400次元》の政治家です。こうした《超一流》の人物を、《第6次元 自明性領域》の人々は、深く嫌悪し憎悪し、排除するのです。排除することで、アイディンティティを維持するのです。排除というのは、ナルシズムの形成と深く結びついています。

ですからアートに関しても、自分の好きな美術だけを見て、それを鑑賞するという傾向をしまします。
どれほど有名でも、「自分が好きではないものは、見ないようにする」という傾向が強くあるのです。レオナルド・ダ・ヴィンチですら見ないようにするのです。

この遮断の意識は、誰にでも実は強くあって、それはおびえでもあります。
自分が良いと思わない美術を鑑賞できて、良いと言う人には、おびえを持ちます。

《第6次元 自明性領域》の人々から見ると、《超次元》~《第6400次元》の人は野蛮で悪であって、文明の外部にいるのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチすらが、実は文明の外にいるのです。
ここに奇妙な、芸術という制度の2重性があります。

芸術というのは、一方でエジプト美術に代表されるような文明の芸術であって、その基本は《第1次元 社会的理性領域》だけの作品なのです。そしてこのシステムは、《第1次元 社会的理性領域》以外のものを抑圧し、排除し、殺そうとするのです。

そのくせ、美術史の中で傑出した作品は、レオナルド・ダ・ヴィンチに代表されるように、この《第1次元 社会的理性領域》の外部に果敢に出て行って、すぐれた美術作品を作り出しているのです。

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モランディの風景画


おびえという感情は、私たちに強くつきまとっています。
文明の外部の存在に対しておびえがあるのです。

しかし《超次元》~《第6400次元》というのは、ヨーロッパの高級自動車では当たり前のようにあるのです。つまり貴族や、ヨーロッパの上流階級は、この《超次元》~《第6400次元》を楽しみ、その外部性をつかって、社会を威嚇し、支配しているのです。彼らには《第6次元 自明性領域》というのは、靴の下の泥落としにすぎないのです。

しかし今日の普通の庶民の人間が、人並みに普通に生活する時に、もっとも重要なのは《第6次元 自明性領域》であると言えます。
自動車で言えば軽自動車に乗っている人です。
軽自動者に乗る人間には、外車を買うことは考えられません。
ヨーロッパの高級車へのおびえ。
それは単に費用だけの問題ではなくて、感性や生きる価値観の問題でもあるのです。

GalleryHopping04-24-2001-11-22-37Image1.gif
モランディの風景画


《第6次元 自明性領域》の人々は、家を建てるときは、ハウスメーカのショートケーキハウスを建てます。
いわゆる庶民の家で、身の丈主義の人々です。
身の丈主義で生きると言うことが一番重要であり、無理をしない生活態度です。
《第6次元 自明性領域》の多くの人は、徹夜で仕事をするということや、ボランティアで仕事をすることは嫌がります。

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モランディの風景画

こうした庶民は、100円ショップに行って買い物をし、ユニクロに行って衣類を買い求めます。
あるいは無印良品を買う人もいます。
さらにはホームセンターで必要なものを買い求め、
さらにIKEAなどで安い家具を買って、自分の生活を作ります。
こうした高度消費社会の今日の生活は、《第6次元 自明性領域》で組み立てられているのです。

morandi2.jpg
モランディの風景画

こうした人々が信じるのは、平凡で一般的なものがもつ普遍性です。
平凡なものこそにこそ普遍性が宿っているのです。
平凡普遍主義、あるいは凡庸普遍主義というものです。

それは同時に、《超次元》~《第6400次元》のものを泥臭く、おぞましい汚さを持った古いものとして排除する感覚を生みます。

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モランディの風景画


こうしたときに、庶民は、この《第6次元 自明性領域》以外のものを見ないようにします。外部に広がる深さや闇や汚いもの、低俗なものを切り捨ているのです。
自分にとって意味の無い情報を出来るだけ遮断して、見ないように、聞かないようにしています。

SuperStock_263-13.jpg
モランディの風景画


スタジオジブリの展覧会が東京都現代美術館で夏にあると、それを見に行っても、
そこに常設展示されている現代アートは、ついでに見るというようなことをしないのです。
そうすることで、純粋さや清らかさを生活の中に作り出します。

1935V211m.jpg
モランディの風景画

彦坂尚嘉責任による[ モランディの風景画]の芸術分析

アヴァンギャルド美術では無い。
モダンアートでは無い。
固体であって、つまり前近代性をもつ新しいタイプの伝統美術である。


《想像界》の眼で《第6次元》のデザインエンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザインエンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザインエンターテイメント

《想像界》の絵画である。《象徴界》《現実界》《サントーム》は無い。

固体の美術である。プラズマ/気体/液体/絶対零度の様態は無い。

《シリアス・アート》である。《気晴らしアート》では無い。

《ハイアート》である。《ローアート》では無い。

シニフィアンとシニフィエの同時表示。つまりシーニュである表現。

理性脳の表現である。原始脳性が無い。

《透視画面》ではなくて、ペンキ絵である。

オプティカル・イリュージョンもなくて、ペンキ絵である。

【A級美術】ではなくて、【B級美術】である。

《原芸術》《芸術》・・・の全概念梯子が無い。

《原デザイン》《デザイン》《反デザイン》《非デザイン》《無デザイン》の全概念梯子が有る。

《原大衆芸術》《原イラストレーション》《原シンボル》の概念梯子が無い。

《原-装飾》性が無い。

《原-工芸》性が無い。

《原-イラスト》《イラスト》性がある。これはイラスト絵画である。

芸術ではなくて、キッチュである。

作品空間の意識の大きさが《村》である。

鑑賞構造が無い。

クリエイティヴでは無い。

情報量が0である。この0の魅力に、多くの人が引きつけられる。
この0性をもって、芸術であると誤認している。



《第6次元 自明性領域》の人々は、政治的な事象への無関心や、海外で起きている事件に対する無関心でもあります。
こうした人々には、すでに書いたように小沢一郎は悪人であって、排除するべき者として強烈に憎しみを持ちます。

31_Giorgio_Morandi_Natura_morta_1002221219361.jpg
モランディの静物画


同時に食べ物であっても、《超次元》~《第6400次元》もあるようなグルメの味覚を食べることにも、
《第6次元 自明性領域》の人は拒絶の姿勢を示します。
そういう味覚が手頃な庶民価格であっても、これを「おいしい」とは感じないのです。
ファミリーレストランの味覚が好きで、そうしたものだけにいくという傾向があります。

Natura_Morta,_oil_on_canvas_painting_by_Giorgio_Morandi,_1956,_private_collection
モランディの静物画


つまり《第6次元 自明性領域》に生きる人は、その領域の単層性だけに生きていて、
それ以外の世界の多様性を排除して生きている傾向が強くあります。
この単層性こそが、文明なのです。


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モランディの静物画


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モランディの静物画

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モランディの静物画

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モランディの静物画


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モランディの静物画


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モランディの静物画


morandi1.jpg
モランディの静物画

 《第6次元 自明性領域》の単層性に立てこもっている人々は、
モランディの絵画に惹きつけられる傾向があります。

しかし彦坂尚嘉の芸術分析では、
これは芸術ではなくて、何よりもイラストです。
《原-イラスト》《イラスト》という性格が、人々を惹きつけます。
《第6次元 自明性領域》のイラスト・デザイン絵画であり、ペンキ絵に過ぎないものです。

では何故に人々は、これほどに惹きつけられるのでしょうか?

その原因には、モランディ的絵画の色彩が持つ抑制性も大きくはありますが、
芸術分析のところですでに指摘してたように、
それはこの絵画の情報量がゼロであるからです。
このゼロが持つ《無》に、多くの人は惹きつけられるのです。

それはラカンの用語を使えば「対象a」というものです。
つまり欠如に人々は惹きつけられるのです。

《第6次元 自明性領域》の単層の人々の多くは、想像界だけに生きる人々です。イメージ判定法だけで、外部世界を判断しています。

イラストとデザイン性が好きです。イラストとデザインを芸術と錯誤するのです。

そして、モランディ的作品がもつ自明性と情報のゼロ性、つまり無内容性を芸術であると錯誤しているのです。

無内容で、無意味なものを、芸術であると錯誤して、この白痴性にとりつかれる傾向が見られます。

しかしそれは錯誤した芸術であると言うべきなのでしょうか?

そうでは無くて、これもまた一つの芸術であるのです。

《第6次元 自明性領域》の芸術は、想像界のイラスト・デザインで、無意味、無内容、情報ゼロのものであると定義すべきではないでしょうか。

これも一つの定義にすぎなくて、ほかの定義もあるとは思いますが、モランディ的作品がもつ魅力を基準にして作品をつくるとすれば、そのような基準が現れるとおもいます。


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10/15(土)からIcafが始まります。 - 2011.10.12 Wed

こんにちわ。
KB6400京都の中川晋介です。

今週末は「Icaf」というアニメーション上映会が京都であり、私の作品も上映させていただいています。

iCAF(インター・カレッジ・アニメーション・フェスティバル)は、アニメーションを専門に学ぶ事ができる教育機関が推薦する作品を一同に集めたアニメーションフェスティバルです。私は一年間「アートアニメーションの小さな学校」というアニメーションを教える機関に在籍していて、出来上がった作品を推薦していただいて上映してもらえる事になりました。



 京都は私の地元で、開催地の烏丸御池も何度も行っています。父親も近くで働いていた時期もあるし、なんだか縁のある土地だなあと思います。そんな場所で作品が上映される事は大変嬉しく、一つの節目になると思っています。近くにお住まいの方はよろしくお願い致します。


■■■ 京都上映 ■■■

所在地: 京都国際マンガミュージアム
       〒604-0846
       京都市中京区烏丸通御池上ル
       TEL:075-254-7414(代)

最寄り駅: 京都市営地下鉄:烏丸線・東西線「烏丸御池」駅
        ・最寄出口>北改札口2番出口
        ・烏丸御池交差点の北西角(ハローワーク前)から烏丸通を北へ50m

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日程:10/15(土) 13:45~15:15 Aプログラム
         15:30~17:00 特別プログラム
  :10/16(日) 13:45~15:15 Bプログラム ※私の作品が上映されます。
         15:30~17:00 Cプログラム
  :10/21(金) 13:45~15:15 Dプログラム
         15:30~17:00 Eプログラム
  :10/22(土) 12:00~13:30 海外プログラムA
         13:45~15:15 Fプログラム
         15:30~17:00 Gプログラム
  :10/23(日) 12:00~13:30 海外プログラムA
         13:45~15:15 Hプログラム
         15:30~17:00 Iプログラム

入場料:無料 ※ミュージアムへの入場料が別途必要です(一般 800円)

Web:http://www.kyotomm.jp/

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即決価格での入札がありました。 - 2011.10.11 Tue

20111010_04_blog.jpg

上に掲載した作品に即決価格での入札があり、
落札が決定しました。

ありがとうございました。
この作品は、私も好きで、気に入っていました。
いわゆるアメリカの西海岸系のコンセプチュアルアートの系譜の作品でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この作品は、私も好きで、気に入っていました。
いわゆるアメリカの西海岸系の、コンセプチュアルアートの系譜の作品でした。

今回はサイバー攻撃以降の久しぶりのオークションでしたので、
それなりの変化を追及しています。

一つは作品サイズが倍の大きさA3になったことです。
(しかし「はじめにすべてありき」ということもあるので、小さなA4サイズの作品も、おって出していきます。)

もう一点、《超次元》~《第6400次元》の作品も出す予定だったのですが、
栃原比比奈さんの健康不良で、まだ出来ていません。

アートの格付けは、《第1次元 社会的理性領域》、《第6次元 自明性領域》、《第8次元 信仰領域》まで作り分けましたが、
しかし芸術の概念梯子のすべてがあるという構造になっています。

なかなか理解はしていただけないでしょうが、
今回追いかけている歴史構造は、芸術理解と人間の人格構造の理解に重要な光を照らすものです。

それは同時に、私にとっては、《第1次元 社会的理性領域》の魅力を再認識するものでした。
《第6次元 自明性領域》の作品も再認識しました。うまくいっていて、私は好きです。
そして落札された作品は、《第8次元 信仰領域》なのですが、コンセプチュアルアート系の作品として、
魅力があるのです。
魅力を生み出しているのは、作品の各格そのものの次元がもつ、領域の固有の表現性と、芸術の組み合わせなのです。

日本の現実では、ほとんどがデザインでしか無いのですが、
私にはやはり芸術である作品がおもしろく思います。
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『美術の一万年』/彦坂尚嘉と糸崎公朗対談1~4 - 2011.10.10 Mon

20111010_03BULOG.jpg

気体分子ギャラリーのオークションを再開します。
下記をクリックしてください。

第116回気体分子6400オークション 
Hiina Tochihara Exhibition


オークションに出品する作品制作に関して栃原比比奈さんが協力してくれて、次の順番で制作しています。

1,美術作品の制作を《超次元》~《第6400次元》で、まず制作。

2,それをPrintにする。ed.3。

3,次に《第一次元 社会的理性領域》で制作。

4,次に《第6次元 自明性領域》で制作。

5,さらに《第8次元 信仰領域》で制作。


なぜに、このようなことをしているのか?

という基本的な考えを,糸崎公朗さんとのSkype対談で、下記の音声録音でしゃべっています。

聞いていただければと思います。

彦坂尚嘉:糸崎公朗


下記をクリックしてください。

『美術の一万年』/彦坂尚嘉と糸崎公朗対談1


『美術の一万年』/彦坂尚嘉と糸崎公朗対談2


『美術の一万年』/彦坂尚嘉と糸崎公朗対談3


『美術の一万年』/彦坂尚嘉と糸崎公朗対談4


原稿も無しでしゃべっていますので、いくつかの基本的な誤認がありますので、気がついた方はご指摘ください。
本人も訂正をここに書いていきます。

まずは『秋津温泉』という映画です。「岡田茉莉子・映画出演100本記念作品」として岡田茉莉子自らプロデュースし主演した映画で、大ヒットし多くの映画賞も獲得しています。1962年の映画です。

秋津温泉

4で触れている『30,000 years of art』という分厚い大型本を見ると、対談で話している順番を訂正する必要があります。
紀元前2990年になると、《第1次元 社会的理性領域》だけのエジプト美術が出現しています。

つまり《超次元》~《第6400次元》という超重層構造が、
人間の長い経験と、農業の開始による食物や社会組織の変化などで、無意識の中で圧縮されて、
《第1次元 社会的理性領域》という単層に圧縮されたのです。

その後に、《第6次元 自明性領域》が出現していますので、
《第1次元 社会的理性領域》の退化形態として、《第6次元 自明性領域》が出現したと思われます。


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鑑賞構造の無い美術作品について - 2011.10.10 Mon

鑑賞構造の無い美術作品の時代

1
今日の高度消費社会の生活は物質的に満たされて、多くの人間は幸せになったと言えるかのようです。
生きることを喜びとして享受している人々が多くいます。

快感の追及こそが、人生の目的となっている人々。
東南アジアまで行って男を買って、快楽をえる女性たちはその代表と言えるでしょう。
中村うさぎの著作は、快楽を追求する赤裸々な私小説文学と言えます。
中村うさぎの異様に見える行動の根底には、しかし凡庸な者のうめきが響いています。
快感を追及する人々の奇妙な凡庸性と普遍性への信仰。
凡人であることこそが普遍なのだとする信念の強さが、快感をむさぼるのです。

眼で見る喜びや快感は、凡庸さの中にあると言えます。
住宅街の真ん中にひろがるなんでもない凡庸な公園の安楽性と平和。
退屈な平和。
無印良品の家具や小物を眺める喜びや、
IKEAの家具を買って、自室を飾り眺める喜びを肯定することこそが、今日の平凡な大衆の生活の中での喜びなのです。
デヴィッド・フィンチャー監督、ブラットピット主演の『ファイト・クラブ』の中にはIKEAの家具を集める話が出てきます。
そしてユニクロです。
ユニクロの服をながめてまんぞくするところにこそ、今日のアートの本質的な快楽と真実があるのです。

凡庸さこそに真実があって、この凡庸普遍主義を信じることが、今日のアートを成立させるのです。
昔は天才が芸術を作ったのですが、
今日の天才は草間弥生のような下品でどぎつい精神異常者なのです。
草間弥生のキッチュな絵画や彫刻には鑑賞構造はありません。
無印良品や、IKEAの安い家具には鑑賞構造はありません。
大衆向けの低価格のブランド品には鑑賞構造は無いのです。
ユニクロの服にも鑑賞構造はありません。
デシャンが鑑賞構造の無い大量生産品を愛でたように、鑑賞構造のないものを鑑賞することこそが今日の新しいアートの本質なのです。
鑑賞構造が形成されていないものだからこそ、凡庸普遍主義の喜びが存在しているのです。

芸術というものは、多くの人々に苦痛を与えてきました。
フランスの詩人のアラン・ジェフロワの『芸術の廃棄 』の主張は、美術評論家の峯村敏明によって翻訳されて日本に紹介されました(「芸術」をどうすべきか-芸術の廃棄から革命的個人主義へ アラン・ジュフロア 訳=峯村敏明 『デザイン批評』第9号 1969年6月)。

さらにブレーズ・ガランの『「芸術」からの解放』は小倉正史によって翻訳されて紹介されました。(「芸術」からの解放/アール・ソシオロジックとは何か? 青弓社 1997年)。

実はモダンアートの推進力として、《芸術の廃棄》の欲望は長い間潜在してきていたのですが、今日では、この芸術の廃棄と芸術からの解放の主張は成就して、芸術鑑賞構造の無い、デザイン化された美術作品を眺める喜びと快感が、日本社会の中で勝利を得て、日本社会の認知を得るようになったのです。

芸術は終わったのです。
ハインツ フリードリヒ+ ハンス・ゲオルク ガタマー (著)『芸術の終焉・芸術の未来』(勁草書房 1989年)

アーサー・C.ダント『ポスト歴史時代における芸術』

国安 洋著『「芸術」の終焉』( 春秋社 1991年)

これらの著作の主張を彦坂尚嘉的に集約すれば、
河川がながれるような液体様態の時代(近代社会)というものが終わって、そこでの芸術構造が終わったのです。

近代の芸術の主要構造は《超次元》?《第50次元》までのもので、ハイアートでした。それは第51次元から第100次元まである表現をキッチュとして分離して排除するシステムであったのです。このアヴァンギャルドとキッチュに2極構造が近代芸術の構造であったのであって、このハイアートの時代が、今日では終わったのです。終わったと言っても、骨董性を持っては残っています。

その結果としてさまざまな状況が生まれますが、
一つが鑑賞構造の喪失の一般化です。
しかしこうした鑑賞構造を喪失した美術品の愛好は、
今に始まったものではありません。
たとえば光琳模様は江戸庶民の愛したものですが、ここには鑑賞構造は無いのです。
もっと古いものとしては日本の仏画です。
日本の仏画はデザイン化していて、鑑賞構造はありません。

つまりこともと、芸術には《真性の芸術》と《偽の芸術》があったのです。
そして芸術の代用品である《偽の芸術》には鑑賞構造は無かったのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「芸術を鑑賞する」という言葉がありましたが、
今日では、「鑑賞」という言葉を使わなくなってきています。
つまり、かならずしも鑑賞するという特別なものではなくて、普通の意味での「見る」とか、
「ながめる」、さらには「観察する」というような見方は一般化してきたのです。

これに対応する形で、作品の方も、長谷川祐子氏が主張巣量にデザイン化してきているというのが、
今日の日本の現代アート/現代美術の姿であります。

2

つまりかつては芸術鑑賞という見方があって、
これに対応するものとして、芸術作品には「鑑賞構造」がありました。
鑑賞構造の無いものは、芸術作品ではありませんでした。
ところが今日では、鑑賞構造を持たない美術作品があふれ、
それらがアートとして社会的に認知されているのです。

社会的認知こそが、アートであることの主眼であるとすれば、
今日のデザイン化したアート作品は、正当性を持つものであると言えます。

つまり社会的に認知されるかされないかが、美術作品の善し悪しを決めるという事になります。

そうすると戦後の日本社会の中で、有名であった東山魁夷や、政治的力をもった平山郁夫の絵画は、
優れた芸術であることになります。

東山魁夷の最も有名な作品である『道』という作品には、多くの人が考えるのとは逆に、
彦坂尚嘉の芸術分析では鑑賞構造はありません。
同様に平山郁夫の『入涅槃幻想』という代表作にも、鑑賞構造はありません。

つまり鑑賞構造の無いデザイン化した作品が社会的に有名になり、
日本社会に芸術として認知されるという現象は、
今日の長谷川祐子氏が主張する以前の、日本の戦後から始まっている現象であるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3,

人間が生きることはたいへんであって、
決して人生は快楽追求の場ではありません。
人生の本質は《苦》なのです。

人生の本質は《苦》だからこそ、芸術が成立するのです。
そして鑑賞構造の無いものは、芸術作品ではありません。
その意味では、日本の日本画の多くや、現代美術/現代アートの多くが芸術では無いのです。

鑑賞構造を実際につくる基本は、まずは《対話》です。
『美術の3万年』という本を見ている限りですが、
人類の歴史の中で最初に出てくるのは《対話》という鑑賞構造です。

この後に《驚愕》という大きなモニュメンタルな美術の鑑賞構造が出現するとともに、
《愛玩》という小さな美術の鑑賞構造が出ています。

こうした人類史の原初構造として出てくる芸術作品の鑑賞構造は、
今日においても重要なものであるのです。

人間が生きることは《苦》なのです。
この《苦》に耐え続けて生きるためには、芸術が必要なのです。
逆に言えば、生きることが《苦》では無い人々には、芸術はいらなくてデザインで十分なのです。
《偽の芸術》が跋扈する理由はいろいろあるにしても、一つの大きな理由は、快感を追及することだけを肯定する人々が増えたことです。

しかし人生には不安と苦痛がつきまといます。
そこに鑑賞構造の必要性があるのです。

芸術の鑑賞構造というものは、芸術を成立させる要諦であります。
その根源にはラカンのいう鏡像性があるのです。
それゆえに、原初に出現した《超次元》?《第6400次元》の芸術には、
《対話》という鑑賞構造があるのです。

芸術作品との《対話》を介して、人間は自らの人生の《苦》を対象化し、耐えるのです。

全世界に眼を開き、全領域を受け入れて、すぐれた芸術作品を見ていけば、
近代特有のハイアートの芸術制度が終わってもなお、
気体状態やプラズマ状態の芸術が、新しく生まれています。
今日においても優れた芸術作品は作られ、それらには鑑賞構造があるのです。

全人類史においては、芸術はどこかで制作され、そして芸術の鑑賞構造は成立し続けているのです。
人間の人生が《苦》であるかぎり、
芸術の成立の根拠は、時代や地域差を超えた普遍的なものなのです。
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New HIKOSAKA 彦坂尚嘉

Author:New HIKOSAKA 彦坂尚嘉
彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年6月26日 - )は、 美術家。立教大学大学院特任教授。日本建築学会会員。日本ラカン協会会員。気体分子ギャラリーを主催。

【著書/出版】『反覆/新興芸術の位相』(74年、田畑書店)、『死に対抗する力』(91年、ギャラリーKURANUKI)、『リノメランコリア』(94年、岡部版画工房)、共著『リベーションの現場』(05年、彰国社)、共著『メディアと精神科医』(05年、批評社)。共著編『皇居美術館空想』(08年9月朝日新聞社)。『彦坂尚嘉のエクリチュール』(08年、三和書籍)、共著『3・11万葉集 復活の塔』(2012年、彩流社)

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