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モダンアートの教育スステムとその崩壊、そして移行(改題) - 2011.07.13 Wed

はじめたばっかりですが、『e-learning ArtStudy6400』にはじめての有料入会者がありました。一ヶ月の入会です。感謝です。

■入会者は誰だかわかりません!

誰が入会してくださったのかは、このFC2のブロマガシステムでは一切わかりません。
これは驚きがありましたが、良いシステムだと思います。
このことは重要です。
誰だか分かりませんから、入る方にも負担がかかりません。
同時に私は、普遍的な他者に向かって書いて、教育をして行きます。

しかし教育をするというのは、何なのか?



■天婦羅学生がはいれません!

昔から親しくしている方から、次のようなメールをいただきました。

演習ブログには、どう入るのでしょうか?入れるのでしょうか?
(月謝を払わないで、、、ということですが)
A.A.

調べましたが、入る方法がありませんでした。
このeラーニング『e-learning ArtStudy6400』は有料ですが、購読料金の30%はシステム手数料としてこのFC2の方にとられます。
ですので、なかなか天婦羅学生というのは、むずかしい。
無理をした裏技を使うと、システム的には危険なのです。

「むずかしい事はやらない。危険なことはやらない」という原則で言えば、心苦しいですがお断りをするしかありません。

ネットというのは非常に危険な場所でして、
実は気体分子ギャラリーのホームページのデータがあるレンタルサーバーが攻撃を受けて、大きな被害を出して、
回復ができなくなっています。
まったく無くなってしまっています。
否応も無くガードは固くせざるをえません。

■美術教育とは何か?

●自動車の運転おける教育


教育とな何か? 
単純化して、図式として言えば、原始時代の狩猟社会には学校は無かったのです。エジプトや黄河文明にも義務教育のような大規模な学校システムはなかったのです。教育という意味を、再度考えると、それは近代社会になって、義務教育という国民を形成する広範な教育システムが作動してからの教育を、教育として考える必要があります。
つまり近代以前の、たとえば高野山や比叡山で行われていた仏教僧の教育や修行というものとは、とりあえず違うという風に考えておく必要があります。
もちろん、厳密にはちがいます。原始の狩猟の中でも学習行為は行われ、石器の作り方の教育も行われていました。文明が始まってピラミッドをつくる石の切り出し方や、運搬、石組みの仕方も学習を必要としていたし、教育が必要であったのです。何よりもピラミッドをつくる時の高度の数学や幾何学、さらにはロゼッタストーンがしめしているように複数の言語の文字を書いているわけですから、学習と教育は、実は組織的に行われていたのです。

にもかかわらず、《教育》を普遍として原始からの一貫性としてのみ見る事は、間違いです。普遍的な一貫性は重要ではありますが、同時に汽車汽船の交通網が生まれて、世界の構造が変化した《近代》以降の近代教育をとりあえず別のものとして、切り分けておく必要があります。前近代と近代に間には、水の比喩で言えば、氷河が溶けて、河川になったといった、固体から液体に変貌したという様態変化があったからです。

繰り返すと、狭い意味での「教育」という意味は、「近代教育」を意味しますが、同時にそれは液体化した教育システムなのです。。

「近代教育」は何故に行われなければならなかったのか、この答えの最もシンプルなのは、自動車教習場と、その後の交通違反の取り締まりと再教育のシステムです。
運転をめぐる教育システムは、近代型の液体教育システムとして、たいへんにすぐれています。
違反で点数がなくなると再教育を受けますが、これもなかなか高額の授業料を払わせられますが、複数の性格分析が行われ、自分自身の性格の自覚と把握を強いるということまで執拗にやることにおいて、教育としては個人の内面に踏み込んだものです。
自動車を長年実際の公道で走らせて違反を繰り返ししている人には、道路交通法をめぐるこの液体教育システムの優良性は良く理解できると思います。

道路を大量の自動車が走る場合に、道路交通法や道路そのものの舗装や道路標識や信号などの取り付け、そしてガソリンスタンドなどの給油システム、パーキングエアリアなどの休憩システムや、JAF(日本自動車連盟)などの緊急援助システム、そして保険システム、税金システム等々、人工の巨大複合システムの中を走る事になります。

このような巨大人工複合システムを何重にも重ねて構築して行った場合、人間の自然性=固体性では自動車を走らせる事はできなくなるのです。運転者には高速で移動することになれる様態変化が求められます。100キロ/毎時で走ると、一秒間に30メートルの移動があるので、この高速の移動に脳が対応して行く為には、前近代の氷河のようなゆっくりとした時間の流れ出は無理です。氷が溶けて、河川になって、速いスピードで運転者の内的時間が流れる必要があるのです。その為に人工的なルールを教育し、しかも免許を取った後にも監視して再教育を繰り返して行かないと成立しないという、極めて河川的高速変化の人工的教育と再教育のシステムを内包したものが自動車道路交通網の構築という事だったのです。

自動車というのは、蒸気機関が発明された初期段階に、「蒸気自動車」としてつくられます。日本人は「蒸気自動車」の存在を知っている人が少ないですが、ヨーロッパの交通博物館にいくと展示してあります。しかしその段階では道路が舗装されていなかったので、十分に走ることができなくて、線路を発明して、汽車に変貌したのです。つまり汽車そのものが、自動車の変形であったわけで、自動車こそが、蒸気機関による産業革命の生み出した交通革命の中心にあったのです。ということは、自動車を運転するという人工性こそが、近代という産業革命の生み出した人工システムの中枢であったのです。その自動車を運転する時に作動する教育システムこそが、近代の実践教育の一つのエッセンスとも言うべきものなのです。

●モダンアートの紋切り主義教育の美術制度内在化

これに似ていたのがニューヨーク近代美術館を司令塔として作動していた、
1975年以前の近現代の美術教育システムであったのです。

道路交通法の法規と同様に、ニューヨーク近代美術館のモダニズムの指導は、
何をやってはいけないという、禁止と、その禁止を実行するシステムでありました。
これは日本の1970年代の貸し画廊や美術評論家にも浸透していて、MOMAの出店のようにして、
価値観をアーティストに強いたのです。
つまりモダニズムというのは、こうした監視システムでもあったのです。
しかもそれは人間の中に有る下劣なものを排除するものでありました。


モダンニズム芸術というものは、事実を事実としては認識する事をしないで、
人間の下劣であるものを排除して、見ないようにしているという虚偽性をもったシステムでした。


一番代表なのは、イタリアのキリコの1910年からの形而上絵画を、ニューヨーク近代美術館は評価しながら、その後の1920年代からのキリコの古典絵画への回帰の展開を、ニューヨーク近代美術館は批判して認め無かった事です。私自身は、ミラノで開かれたキリコの大回顧展を見ているので、キリコが巨匠で、偉大である事がわかり、MOMAが批判した気持ちは分かるにしても、20世紀芸術の実際的な実践としては、その批判は間違いであったと思いました。実際キリコは、一番早いポスト・モダンのアーティストとしての高い評価がなされるようになります。つまりニューヨーク近代美術館というは、近代美術に固執した美術館でありモダニズムの牙城であって、ポスト・モダンへの視野の射程をもっていなかったのです。


モダニズム芸術は、人間性の中にある下劣なものを排除した高級芸術として、君臨していたのです。
お高くとまった芸術というのが、近現代芸術であったのです。彦坂尚嘉の『アートの格付け』では、《超次元》から《第50次元》までのものが、基本の高級芸術でした。《第51次元》から《第100次元》は、キッチュで、大衆用の下品な美術でした。このように2つに引き裂くのが、《近代》の特徴だったのです。
だから、この人間性の中に有るどうしようもなく下劣なものを、まるで無いかのように排除することが高級な芸術であるという錯誤が支配することになります。

こういう風につまらないものを創れば芸術になれるという、機械的な制作が可能なのが、
モダニズムのアートであったのです。
その中心的な方法が、紋切り主義でした。

紋切型というのは、ステレオタイプとか、テロタイプとも言いますが、印刷されたもののように同じ思考パターンをとることで、ものの見方も判で押したように同じ態度が多くの人に浸透している状態を言います。つまり一種の新興宗教のような状態に人々が陥っていて、多様性が失われた状態です。《モダンアート》というのは、その意味ではある種の新興宗教でありました。作品も類型的なものになったのです。ですから、美術作品をつくる作り方を、一義的に教える事は可能であったのです。たとえば一時期の韓国現代美術界に君臨していたエコールドソウルというグループは、様々な手法を使いながらも、全てミニマルペインティングの焼き直しという作品で、しかも全てが白っぽい悪品で統一されていました。
つまり紋切型で良ければ、美術教育は十分に可能なのです。

モダニズムというのは、その一直線上の歴史観や、アヴァンギャルドという軍事用語を重視した事においても、非常に強い紋切り性をもった洗脳システムを内在させた時代であったのです。そして1975年のアメリカのベトナム敗戦で、この紋切り教育内在型の美術の時代が終わったのです。

終わったと言っても、その影響や残存は依然強く残っています。終わると機械的に無くなるものではないのです。

●メソッドによる教育

エジプトのピラミッドの中の壁画が、5000年間同一のスタイルで描かれていたもの紋切型ではありますが、しかしそれはデザインにはなっていなくて、同一のグリッドシステムで描かれているのですが、にもかかわらず、作者の個性は出ていいて、言い換えれば私的な表現が、公的なグリッドシステムを介しながら成立していて、ニューヨーク近代美術館の学芸員ルービンが言うように、芸術になっていたのです。

江戸時代の狩野派は、トレースシステムの粉本主義に陥って非創造的な、つならない美術を量産したと、私の教えられた美術教育の中では否定的に教えられたのです。確かに狩野派には《第8次元 信仰領域》のつまらない画家もたくさんいますが、しかし実際に狩野派の美術を見て行くと、その二代目の狩野元信は中国の画家を超える傑出した絵画を多く残していますし、彼が作動させた美術制作体制は、実際には多くのすぐれた画家と《超一流》の美術作品を大量に生み出したのです。つまり狩野元信のつくったものは《狩野メソッド》ともいうべき教育システムだったのです。この《狩野メソッド》から出現した彦坂尚嘉が評価する《超次元》の狩野派の画家は次のようです。

狩野元信
狩野永徳
狩野長信
狩野 山雪
狩野永納
久隅守景

つまり美術をアーティスト個人の個性の表出を第一義に押し出す前に、《狩野メソッド》のように伝統的な名品や筆法、構図法、色彩法をまず学ぶ事は重要なのです。こうした伝統の名品を参照する態度と、芸術グループとしての勢力保持と社会性の拡大、市場の拡大に努めることは、ただちに芸術的創造性を失っていくというものではないのです。《狩野メソッド》とも言うべき教育システムを形成した狩野派という日本美術史上最大の画家集団を、高く評価するというのが彦坂尚嘉の立場です。

念のために「メソッド」という言葉の意味を解説しておきます。メソッドというのは、日本語で言えば「方法」です。デカルトの『方法序説』というのは、「Discours de la mthode」です。バイオリンを子どもに教える「鈴木メソッド」が有名ですが、アメリカのバークリー音楽大学での教えられているジャズなどのポピュラー音楽の音楽理論やリディアン・クロマティック・コンセプトというマイルスデイビス、ジョンコルトレーン、ビルエバンスなど学んだ即興演奏における方法論は「バークリーメソッド」と言われます。

アメリカの法律教育というのは、アメリカの法律が日本のような成文法中心ではなくて、判例法の世界なので、具体的な事件とそこでの判決・事案・事象が大切なので、そこでの教育は「ケースメソッド」と言われます。

アメリカの経営学でも、理論よりも実践が重視されるので、実際のケースを学習する事を重視していて、米国のハーバード・ビジネス・スクールの「ケースメソッド」教育は有名です。

彦坂尚嘉が考える美術教育というのも、アメリカの法律や経営学と同様に、制作という実践が重視されるので、実は理論と言っても美学者が哲学として形成する芸術理論よりも、実際の美術作品の分析を重視しているので、基本的に《ケースメソッド》なのであります。つまり彦坂尚嘉の芸術理論も美術教育も、芸術鑑賞検定も、美学や哲学系のものではなくて、《ケースメソッド》系のものなので、そのことによる分かりやすさと、だから分かりにくいという面があります。そして先例とする《狩野メソッド》もまた、芸術理論であるというよりは《ケースメソッド》なのです。

●《第8次元 信仰領域》にこもる作家たち


狩野派の中にいた《第1次元 社会的理性領域》のアーティストたち、例えば狩野正信や、狩野松栄狩野探幽、狩野山楽や、狩野秀頼等々、は、社会的な評価を大きく獲得していました。

もう一面で、狩野派の《第8次元 信仰領域》の作家達も沢山います。この狩野派の《第8次元 信仰領域》の作家たちもまた同様の《狩野メソッド》の美術教育を受けているわけですから、教育内容というよりは、画家個人の資質や才能によって、同じ《狩野メソッド》の教育システムでも、《超次元》になる画家、《第1次元 社会的理性領域》の画家、《第8次元 信仰領域》の画家が生まれてくるわけです。

誰でも《超次元》のアーティストにするという教育システムはないのです。この個人差を事を乗り越える教育システムは無いと考えた方が良いのではないでしょうか。

個人差を乗り越える教育システムは無いのか?
誰もが《超一流》の絵画を描く事はできないのか?

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プロフィール

New HIKOSAKA 彦坂尚嘉

Author:New HIKOSAKA 彦坂尚嘉
彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年6月26日 - )は、 美術家。立教大学大学院特任教授。日本建築学会会員。日本ラカン協会会員。気体分子ギャラリーを主催。

【著書/出版】『反覆/新興芸術の位相』(74年、田畑書店)、『死に対抗する力』(91年、ギャラリーKURANUKI)、『リノメランコリア』(94年、岡部版画工房)、共著『リベーションの現場』(05年、彰国社)、共著『メディアと精神科医』(05年、批評社)。共著編『皇居美術館空想』(08年9月朝日新聞社)。『彦坂尚嘉のエクリチュール』(08年、三和書籍)、共著『3・11万葉集 復活の塔』(2012年、彩流社)

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