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鑑賞構造の無い美術作品について - 2011.10.10 Mon

鑑賞構造の無い美術作品の時代

1
今日の高度消費社会の生活は物質的に満たされて、多くの人間は幸せになったと言えるかのようです。
生きることを喜びとして享受している人々が多くいます。

快感の追及こそが、人生の目的となっている人々。
東南アジアまで行って男を買って、快楽をえる女性たちはその代表と言えるでしょう。
中村うさぎの著作は、快楽を追求する赤裸々な私小説文学と言えます。
中村うさぎの異様に見える行動の根底には、しかし凡庸な者のうめきが響いています。
快感を追及する人々の奇妙な凡庸性と普遍性への信仰。
凡人であることこそが普遍なのだとする信念の強さが、快感をむさぼるのです。

眼で見る喜びや快感は、凡庸さの中にあると言えます。
住宅街の真ん中にひろがるなんでもない凡庸な公園の安楽性と平和。
退屈な平和。
無印良品の家具や小物を眺める喜びや、
IKEAの家具を買って、自室を飾り眺める喜びを肯定することこそが、今日の平凡な大衆の生活の中での喜びなのです。
デヴィッド・フィンチャー監督、ブラットピット主演の『ファイト・クラブ』の中にはIKEAの家具を集める話が出てきます。
そしてユニクロです。
ユニクロの服をながめてまんぞくするところにこそ、今日のアートの本質的な快楽と真実があるのです。

凡庸さこそに真実があって、この凡庸普遍主義を信じることが、今日のアートを成立させるのです。
昔は天才が芸術を作ったのですが、
今日の天才は草間弥生のような下品でどぎつい精神異常者なのです。
草間弥生のキッチュな絵画や彫刻には鑑賞構造はありません。
無印良品や、IKEAの安い家具には鑑賞構造はありません。
大衆向けの低価格のブランド品には鑑賞構造は無いのです。
ユニクロの服にも鑑賞構造はありません。
デシャンが鑑賞構造の無い大量生産品を愛でたように、鑑賞構造のないものを鑑賞することこそが今日の新しいアートの本質なのです。
鑑賞構造が形成されていないものだからこそ、凡庸普遍主義の喜びが存在しているのです。

芸術というものは、多くの人々に苦痛を与えてきました。
フランスの詩人のアラン・ジェフロワの『芸術の廃棄 』の主張は、美術評論家の峯村敏明によって翻訳されて日本に紹介されました(「芸術」をどうすべきか-芸術の廃棄から革命的個人主義へ アラン・ジュフロア 訳=峯村敏明 『デザイン批評』第9号 1969年6月)。

さらにブレーズ・ガランの『「芸術」からの解放』は小倉正史によって翻訳されて紹介されました。(「芸術」からの解放/アール・ソシオロジックとは何か? 青弓社 1997年)。

実はモダンアートの推進力として、《芸術の廃棄》の欲望は長い間潜在してきていたのですが、今日では、この芸術の廃棄と芸術からの解放の主張は成就して、芸術鑑賞構造の無い、デザイン化された美術作品を眺める喜びと快感が、日本社会の中で勝利を得て、日本社会の認知を得るようになったのです。

芸術は終わったのです。
ハインツ フリードリヒ+ ハンス・ゲオルク ガタマー (著)『芸術の終焉・芸術の未来』(勁草書房 1989年)

アーサー・C.ダント『ポスト歴史時代における芸術』

国安 洋著『「芸術」の終焉』( 春秋社 1991年)

これらの著作の主張を彦坂尚嘉的に集約すれば、
河川がながれるような液体様態の時代(近代社会)というものが終わって、そこでの芸術構造が終わったのです。

近代の芸術の主要構造は《超次元》?《第50次元》までのもので、ハイアートでした。それは第51次元から第100次元まである表現をキッチュとして分離して排除するシステムであったのです。このアヴァンギャルドとキッチュに2極構造が近代芸術の構造であったのであって、このハイアートの時代が、今日では終わったのです。終わったと言っても、骨董性を持っては残っています。

その結果としてさまざまな状況が生まれますが、
一つが鑑賞構造の喪失の一般化です。
しかしこうした鑑賞構造を喪失した美術品の愛好は、
今に始まったものではありません。
たとえば光琳模様は江戸庶民の愛したものですが、ここには鑑賞構造は無いのです。
もっと古いものとしては日本の仏画です。
日本の仏画はデザイン化していて、鑑賞構造はありません。

つまりこともと、芸術には《真性の芸術》と《偽の芸術》があったのです。
そして芸術の代用品である《偽の芸術》には鑑賞構造は無かったのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「芸術を鑑賞する」という言葉がありましたが、
今日では、「鑑賞」という言葉を使わなくなってきています。
つまり、かならずしも鑑賞するという特別なものではなくて、普通の意味での「見る」とか、
「ながめる」、さらには「観察する」というような見方は一般化してきたのです。

これに対応する形で、作品の方も、長谷川祐子氏が主張巣量にデザイン化してきているというのが、
今日の日本の現代アート/現代美術の姿であります。

2

つまりかつては芸術鑑賞という見方があって、
これに対応するものとして、芸術作品には「鑑賞構造」がありました。
鑑賞構造の無いものは、芸術作品ではありませんでした。
ところが今日では、鑑賞構造を持たない美術作品があふれ、
それらがアートとして社会的に認知されているのです。

社会的認知こそが、アートであることの主眼であるとすれば、
今日のデザイン化したアート作品は、正当性を持つものであると言えます。

つまり社会的に認知されるかされないかが、美術作品の善し悪しを決めるという事になります。

そうすると戦後の日本社会の中で、有名であった東山魁夷や、政治的力をもった平山郁夫の絵画は、
優れた芸術であることになります。

東山魁夷の最も有名な作品である『道』という作品には、多くの人が考えるのとは逆に、
彦坂尚嘉の芸術分析では鑑賞構造はありません。
同様に平山郁夫の『入涅槃幻想』という代表作にも、鑑賞構造はありません。

つまり鑑賞構造の無いデザイン化した作品が社会的に有名になり、
日本社会に芸術として認知されるという現象は、
今日の長谷川祐子氏が主張する以前の、日本の戦後から始まっている現象であるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3,

人間が生きることはたいへんであって、
決して人生は快楽追求の場ではありません。
人生の本質は《苦》なのです。

人生の本質は《苦》だからこそ、芸術が成立するのです。
そして鑑賞構造の無いものは、芸術作品ではありません。
その意味では、日本の日本画の多くや、現代美術/現代アートの多くが芸術では無いのです。

鑑賞構造を実際につくる基本は、まずは《対話》です。
『美術の3万年』という本を見ている限りですが、
人類の歴史の中で最初に出てくるのは《対話》という鑑賞構造です。

この後に《驚愕》という大きなモニュメンタルな美術の鑑賞構造が出現するとともに、
《愛玩》という小さな美術の鑑賞構造が出ています。

こうした人類史の原初構造として出てくる芸術作品の鑑賞構造は、
今日においても重要なものであるのです。

人間が生きることは《苦》なのです。
この《苦》に耐え続けて生きるためには、芸術が必要なのです。
逆に言えば、生きることが《苦》では無い人々には、芸術はいらなくてデザインで十分なのです。
《偽の芸術》が跋扈する理由はいろいろあるにしても、一つの大きな理由は、快感を追及することだけを肯定する人々が増えたことです。

しかし人生には不安と苦痛がつきまといます。
そこに鑑賞構造の必要性があるのです。

芸術の鑑賞構造というものは、芸術を成立させる要諦であります。
その根源にはラカンのいう鏡像性があるのです。
それゆえに、原初に出現した《超次元》?《第6400次元》の芸術には、
《対話》という鑑賞構造があるのです。

芸術作品との《対話》を介して、人間は自らの人生の《苦》を対象化し、耐えるのです。

全世界に眼を開き、全領域を受け入れて、すぐれた芸術作品を見ていけば、
近代特有のハイアートの芸術制度が終わってもなお、
気体状態やプラズマ状態の芸術が、新しく生まれています。
今日においても優れた芸術作品は作られ、それらには鑑賞構造があるのです。

全人類史においては、芸術はどこかで制作され、そして芸術の鑑賞構造は成立し続けているのです。
人間の人生が《苦》であるかぎり、
芸術の成立の根拠は、時代や地域差を超えた普遍的なものなのです。
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New HIKOSAKA 彦坂尚嘉

Author:New HIKOSAKA 彦坂尚嘉
彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年6月26日 - )は、 美術家。立教大学大学院特任教授。日本建築学会会員。日本ラカン協会会員。気体分子ギャラリーを主催。

【著書/出版】『反覆/新興芸術の位相』(74年、田畑書店)、『死に対抗する力』(91年、ギャラリーKURANUKI)、『リノメランコリア』(94年、岡部版画工房)、共著『リベーションの現場』(05年、彰国社)、共著『メディアと精神科医』(05年、批評社)。共著編『皇居美術館空想』(08年9月朝日新聞社)。『彦坂尚嘉のエクリチュール』(08年、三和書籍)、共著『3・11万葉集 復活の塔』(2012年、彩流社)

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