topimage

2017-09

スポンサーサイト - --.--.-- --

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

《孤児》化と、公共性の喪失 - 2011.12.27 Tue

このところ、笹山直規さんとメールのやりとりをしていて、死の問題や、自動車事故や航空機事故という問題を取り上げて描いている笹山さんの絵画の公共性の問題で、芸術の公共性を問題にする思考は飛躍的に厳密化が進んだのですが、しかしそれを多くの人に分かる文章や画像にしようとすると、なかなかわかりにくくて、できなくなっています。

笹山さんの取り上げる主題には公共性があるはずなのですが、作品そのものは、公共性が無いと、彦坂尚嘉の言語判定法では出ます。それはjenny savilleでも同様です。

わかりやすいところで書くと、笹山さんの絵画は一生懸命に描いておられるし、私は基本としてはその中の良い作品は評価しますが、空間が小さくて、彦坂尚嘉が言うところの《孤児》なのです。作品の実際の大きさではではなくて、作品を成立させている心の中の空間の大きさです。心的空間の大きさが、一番小さいものが《孤児》です。
 jenny savilleでも同様で、その作品の心的空間は《孤児》です。

ご参考までに彦坂が考える人間の心的空間をあげると、《孤児》、《群れ》、《村》、《古代帝国》、《近代国家》、《グローバル》、《宇宙》、宇宙ー外》と大きくなっていきます。

猿で考えると、普通には自然の猿は《群れ》を生きています。《群れ》から離れた孤独な猿が「離れ猿」です。ですから《孤児》と呼んでいる心的空間の大きさというのは「離れ猿」のそれとも考えられます。

《孤児》であるからといって悪いわけではありません。たとえば写真家の森山大道さんの空間の大きさは《孤児》です。もっとあげますと、ギュスターヴ・モローの絵画空間が《孤児》です。

日本の現代アーティストには《孤児》は多くて、やなぎみわ、会田誠、内藤礼、松井冬子、できやよい、小谷元彦、の作品の心的空間は《孤児》の小ささを示しています。

It君も《孤児》です。
最近発見したのは、谷川俊太郎の心的空間が《孤児》です。サトウハチロウという昔の詩人も《孤児》です。寺山修司も《孤児》です。角川春樹も《孤児》です。こういうと詩人はすべて《孤児》の心的空間に生きているように思われるかもしれませんが、そうではなくて茨城のり子や、八木重吉は《宇宙》の大きさがあります。私はこの《宇宙》規模の大きな心的空間を持つ表現者の方が好きです。

こう見ると、実は《孤児》の小さな空間性のアーティストと、前回の《公共性》の無いアーティストの名前が全く重なっていることに、気がつくでしょう。

簡単に言うと、心的な空間の大きさが小さいと、実は公共性が、本質的には成立していないと言えます。つまり公共性の成立自身が、近代の《国民国家》においてだからです。

奈良美智の作品の心的空間の大きさは《村》ですから、今日のアートの空間性では無くて、昔の古い農村の様な人間関係の中を生きている人の作品であると判断します。そういう意味では現代アートではないと私は考えますが、実はこの《孤児》《群れ》《村》という小さな空間への退化というのは、近代国家が終わって、グローバリゼーションでもって、私たちの空間が拡大したために起きているのです。束芋も《村》です。伊藤存も《村》です。

とは言っても、谷川俊太郎のデビューはグローバリゼーションの前ですから、《孤児》というのは、もっと前からあったと考えられます。しかし現在のグローバリゼーションによって、空間の拡大は、同時に空間の縮小化を招いているのです。

つまりグローバリゼーションで空間が拡大したときに、進歩があれば退化がある。空間が拡張すると、反動として空間の縮小が起きるという事態が起きているのです。

草間弥生の作品の心的な大きさは《近代国家》です、李禹煥、杉本博司、岡崎乾二郎も《近代国家》の大きさの心的空間です。

今日の私たちが生きている空間は、少なくとも《グローバル》な状況を生きているので、《グローバル》な空間性を有する作家を今日の同時代性のあるアーティストであると考えます。ですから、たとえばジェフ・クーンズ や、ダミアン・ハーストは、その作品空間が《グローバル》なので、今日のアーティストとして存在していると考えます。村上隆もO JUN も、《グローバル》です。だからから良いのですが、このグローバルの空間への膨張が同時に、《孤児》や《群れ》《村》への空間の縮小化をも、反動として生み出しているのです。


大きく言うと、ある時期から、現在の近代文明が変貌してきて、近代社会を形成してきていいた《公共性》というものが、グローバル化していく時代の中で衰弱してきて、べつのものに変貌してきたいるのです。そのことをとらえた本がネグリ/ハートの『帝国』という本が示しています。。それが「芸術」にも大きな影響を与え、「批評」も不要な状態になって来ているのです。
スポンサーサイト

● COMMENT ●

彦坂様

心的空間ですか、難しい問題ですね。
「離れ猿」というのは、確かに今の私そのものかもしれません。
群れの中で巧く生きていく事ができません。

作品が多くの人間に伝わる表現になっていない、という自覚はあります。取り扱う題材に社会性があっても、それを正しく理解できる人間が皆無なので一方的な表現にしかなっていません。その意味では「公共性が無い作品」という指摘は理解できます。

モノを観る視野の大きさも重要ですね。
宇宙の外とまでいかずとも、グローバルなレベルまでは視野を広げて作品を作っていかないと、時代に取り残されてしまいますね。もっと海外へ出向いて、色々と勉強しないといけませんね。

色々とご指摘頂きありがとうございます。


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://kb6400.blog38.fc2.com/tb.php/281-fc98a627
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

3.11万葉集 «  | BLOG TOP |  » 第49回「ラカンと美術読書会」のご案内

ブロマガ

月刊ブロマガ価格:¥ 6400

紹介文:

ブロマガ記事一覧

ブロマガを購入する

購入したコンテンツは、期限なしに閲覧いただけます。

プロフィール

New HIKOSAKA 彦坂尚嘉

Author:New HIKOSAKA 彦坂尚嘉
彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年6月26日 - )は、 美術家。立教大学大学院特任教授。日本建築学会会員。日本ラカン協会会員。気体分子ギャラリーを主催。

【著書/出版】『反覆/新興芸術の位相』(74年、田畑書店)、『死に対抗する力』(91年、ギャラリーKURANUKI)、『リノメランコリア』(94年、岡部版画工房)、共著『リベーションの現場』(05年、彰国社)、共著『メディアと精神科医』(05年、批評社)。共著編『皇居美術館空想』(08年9月朝日新聞社)。『彦坂尚嘉のエクリチュール』(08年、三和書籍)、共著『3・11万葉集 復活の塔』(2012年、彩流社)

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (85)
6次元アートの限界 (0)
ポストモダンのアメリカ美術 (11)
気体分子ギャラリー (34)
アートスタディーズ163万8400次元 (97)
映画 (31)
日記 (54)
音楽 (84)
海外の《超次元》アーティスト (4)
訃報 (4)
《第6400次元》真性の芸術 (5)
喜劇 (3)
彦坂尚嘉 の作品 (15)
状況と変動 (134)
告知 (81)
作品の発表 (6)
美術系ラジオ (33)
顔 (6)
人間の研究 (35)
芸術分析 (22)
皇居美術館 (0)
自殺 (2)
アニメーション (2)
味覚 (0)
歴史 (3)
復刻:『美術評論』 (1)
独裁者 (1)
第51200次元 (1)
建築系美術ラジオ/建築系美術ラジオ (3)
建築 (6)
美術テレビジョン (4)
オークション (53)
ギャラリーショップ (0)
ウェブショップ (1)
絵画論 (3)
固体の美術 (1)
特上のラップ (3)
異端美術研究会 (1)
アート論 (3)
反復-2007 (0)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。