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フロイトと《孤児》性について(校正1) - 2012.01.05 Thu


ジャック・ラカンの心的な空間が、《孤児》であるという指摘を前回しました。
ラカンが高く評価したフロイトもまた、彦坂尚嘉の言語判定法によると、その心的な大きさは《孤児》であったのです。

ジークムント・フロイト
フロイトの心的空間の大きさは、彦坂尚嘉の言語判定法では《孤児》

《孤児》というのは、猿で言えば、《群れ》から脱落した「離れ猿」です。コリン・ウィルソン的に言えば『アウトサイダー』のことです。フロイトがアウトサイダーであったので、だから無意識を問題としたのです。

このフロイトと同じ1856年に生まれた人で見てみると、その一人がアメリカの28代大統領になったウッドロウ・ウィルソンです。ウッドロウ・ウィルソンの顔を言語判定法で見ると、《国民国家》の心的な大きさを示しています。逆に言うと《国民国家》の心的領野を持っている人は、このような顔をしているのです。
ウッドロウ・ウィルソン
アメリカ28代大統領ウッドロウ・ウィルソンの心的空間は《国民国家》

ウッドロウ・ウィルソンは連続2期を勤めた民主党大統領で、非常に優れた人でした。
政治学者でもあって、博士号を持つアメリカで唯一の大統領です。
進歩主義運動の指導者として1902年から10年までプリンストン大学の総長を務め、1911年から13年までニュージャージー州知事を務めた後、1912年の大統領選では、共和党はセオドア・ルーズベルトとウィリアム・ハワード・タフトの支持に分裂し、結果として民主党候補であったウィルソンが大統領に当選したのです。

フロイトとウッドロウ・ウィルソンを比べてみると、ウィルソンが聡明な知性のある広い視野の顔であるのに対して、フロイトの精神がおかしくて、異様な集中性をもっていて、意識の幅が狭い顔をしていることが見えると思うのですが、どうでしょうか。
フロイトとウッドロウ・ウィルソン
《孤児》             《国民国家》

ウッドロウ・ウィルソンの方が人間として健康です。フロイトは異常です。心的領域の大きさが《孤児》であるというのは、明らかに問題が有るのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

フロイトと同じ1856年に生まれたサー・ジョゼフ・ジョン・トムソンというイギリスの物理学者も、
《国民国家》の心的な大きさです。

サー・ジョゼフ・ジョン・トムソン
サー・ジョゼフ・ジョン・トムソンは《国民国家》


フロイトと同じ1856年に生まれた三省堂の創業者の亀井忠一の心的な大きさも《国民国家》です。

kamei_cyuichi.jpg
亀井忠一は《国民国家》


同じく浅井忠もフロイトと同じ年に生まれている画家ですが、《国民国家》の大きさの人格があります。

220px-Asai_chu.jpg
浅井忠は《国民国家》


つまりこの近代の国民国家に生まれた人々の多くは《国民国家》の心的な大きさであるはずなのですが、フロイトは《孤児》の心的大きさなのです。フロイトという人が、近代の国民国家の共同体から脱落して、精神に異常をきたしていたのです。だから、自分自身の異常性の克服として精神分析を発見し、推進したと言えると思います。

ジークムント・フロイト
フロイトの心的空間の大きさは、彦坂尚嘉の言語判定法では《孤児》


同じ年に生まれた精神分析者エミール=クレペリンの顔を見ても、この人も、彦坂尚嘉の言語判定法では《孤児》なのです。

エミール=クレペリン
精神分析者エミール=クレペリンの心的空間の大きさは《孤児》


フロイトと違う年に生まれていても、有名な精神分析家の顔を見ると、すべて言語判定法では《孤児》です。

カール・ロジャーズ
カール・ロジャーズは《孤児》

ユング
カール・ユングは《孤児》


アルフレッド・アドラー
アルフレッド・アドラーは《孤児》

ヴィルヘルム・ヴント
ヴィルヘルム・ヴントは《孤児》


メラニー・クライン
メラニー・クライン は《孤児》

Wilhelm-Reich1.jpg
ウイリヘルム・ライヒーは《孤児》

言い換えると、国民国家の時代に、この共同体の空間的な広がりから脱落した「離れ猿」のような人が、精神分析を始めていたと言うことになります。

つまり公的な世界よりも、私的な心理に注目するという形が、この精神分析の発生に見られるのです。

共同体の《国民国家》の空間から脱落してしまうと、さまざまな心的トラブルを生じるのです。フロイトの努力は真摯なものではありましたが、その原因は《孤児》という狭い心的領域そのものにあるのです。他の理由で探してみても、解決にならないのではないかと、私は思います。

しかしみんなと同じようにテレビドラマを見て、ラジオのつまらないディスクジョッキーを聞いていることに意味を見いださない人々が、出現してくるのです。多数派の感覚世界から脱落したときに出現してくるのが《孤児》の空間領域です。この《孤児》の心的領域は、内向的で、引きこもりであって、視野の狭さを含めて問題を多く抱えているものです。

繰り返すと、19世紀後半から20世紀にかけて、公共性と私的性が分裂していったのです。この事が同時に、モダンアートの発生に連動していくのです。


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● COMMENT ●

精神分析家と言えるかどうか分からないのですが、彦坂様が以前取り上げていた、
M.スコット・ペック医師の心的空間は《孤児》でしょうか?

「平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学」と「愛すること、生きること」を読んだのですが、
「愛すること、生きること」の中で、《孤児》のカール・ユングを肯定的に引用していたことを、このブログ記事を読んで思い出したのです。

非常に感動した本なのですが、もしペックも《孤児》であるとしたら、その意見は矮小で問題のある物なのでしょうか?それとも、《孤児》であっても優れた指摘をしているということもありうるのでしょうか?

つまらない質問ですが、何かお答えいただければ幸いです。

Re: タイトルなし

> 精神分析家と言えるかどうか分からないのですが、彦坂様が以前取り上げていた、
> M.スコット・ペック医師の心的空間は《孤児》でしょうか?
>
> 「平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学」と「愛すること、生きること」を読んだのですが、
> 「愛すること、生きること」の中で、《孤児》のカール・ユングを肯定的に引用していたことを、このブログ記事を読んで思い出したのです。
>

佐伯様、

コメントありがとうございます。
たいへ良いご指摘ですので、ブログの方で、取り上げさせていただきます。
> 非常に感動した本なのですが、もしペックも《孤児》であるとしたら、その意見は矮小で問題のある物なのでしょうか?それとも、《孤児》であっても優れた指摘をしているということもありうるのでしょうか?
>
> つまらない質問ですが、何かお答えいただければ幸いです。

ちょっとした疑問なのですが…

《孤児》はアウトサイダーとのことですが、以前YouTubeの動画で「美術家はアウトサイダーだ」という趣旨の事を仰っていた様に思います。
それならば《孤児》型と《宇宙》型のアウトサイダーとがいるのでしょうか?
また、社会の外部(或は辺境)に在っても意識空間の広いものは『公共性』を保ちうるのでしょうか。

お時間のある時にでもご回答頂けるとありがたいです。

Re: ちょっとした疑問なのですが…

莖 様

コメントありがとうございます。
まず、ご質問の《宇宙》型の人物として、押井守がいます。

押井の場合に、《公共性》やアウトサイダー性はどうなのでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
wikiによると、次のようにあります。

>押井は自らを「娯楽作品をつくる商業監督である」と語っているが、一方で「自分の作品の客は1万人程度でいいと思っている」、「1本の映画を100万人が1回観るのも、1万人が100回観るのも同じ」といった発言[2]があることから大衆・万人に受け入れられる作品づくりにはあまり興味がない模様である[3]。また、それに関連して「自分が普通の映画を撮ったところでなんら存在意義が無く、映画を発明するのが自分の役割」として、特に実写作品では実験的側面が強い傾向にある。

上の文章の註の(2)(3)は次の様に書かれています。

>(2)発言の真意は「映画は公開された時に勝負が終わる訳ではなく、むしろその後の方が重要」という考えによる。
>(3) 書籍『押井守全仕事』において、押井のアニメ業界での師匠であるアニメ監督の鳥海永行や、身内とでも言うべきほどに近しい北久保弘之から、こうした姿勢に苦言を呈されてもいる。また、作画監督の黄瀬和哉からは宮崎駿の『千と千尋の神隠し』の試写の後「あんたにはああいう映画は作れない」、『イノセンス』制作後のインタビューで「たけしでさえ『座頭市』を撮ったのに…」とのコメントがあった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彦坂的に解釈すれば、押井守氏は、世間体や、社会の自然的な態度に対しては外部に立っていますが、歴世的な評価視点があって、歴史的公共性とも言うべき創造史への参画の意識が強くあると思います。つまりアウトサイダーなのですが、同時により長期な視点からの文化の公共性の意識があると思います。

「美術家はアウトサイダーだ」というのは、厳密にはインサイダーのアーティストも沢山いることを認めた上でのものです。2種類の美術家がいると思いますが、創造的で独創的な美術家というのは、社会との距離の意識の上に成立するものだと思います。


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New HIKOSAKA 彦坂尚嘉

Author:New HIKOSAKA 彦坂尚嘉
彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年6月26日 - )は、 美術家。立教大学大学院特任教授。日本建築学会会員。日本ラカン協会会員。気体分子ギャラリーを主催。

【著書/出版】『反覆/新興芸術の位相』(74年、田畑書店)、『死に対抗する力』(91年、ギャラリーKURANUKI)、『リノメランコリア』(94年、岡部版画工房)、共著『リベーションの現場』(05年、彰国社)、共著『メディアと精神科医』(05年、批評社)。共著編『皇居美術館空想』(08年9月朝日新聞社)。『彦坂尚嘉のエクリチュール』(08年、三和書籍)、共著『3・11万葉集 復活の塔』(2012年、彩流社)

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