topimage

2017-11

スポンサーサイト - --.--.-- --

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ラヴォイ・ジジェク/近代における《孤児》 - 2012.01.20 Fri

今日のコンピューター時代には、逆に”野生の思考”への回帰が見られると、スラヴォイ・ジジェクは書いています(『幻想の感染』198頁)。
スラヴォイ・ジジェクというのは、スロベニア出身のポスト構造主義系の思想家、哲学者、精神分析家です。パリ第8大で、ジャック・ラカンの娘婿にして正統後継者であるとされるジャック=アラン・ミレールのもとで精神分析を学び、博士号取得していまあす。現在はリュブリャナ大学社会学研究所教授です。

スラヴォイ・ジジェクは、彦坂尚嘉の言語判定法で顔を芸術分析すると、下記のようになります。

Slavoj-Zizek-300x300.jpg


彦坂尚嘉責任の[スラヴォイ・ジジェクの顔]に対する言語判定法による芸術分析

アヴァンギャルドでは無い。
インサイダーである。(ジャックラカンの顔の分析では、ラカンはアウトサイダーです。同様にフロイトもアウトサイダーです。ジジェクの顔がインサイダーであるということが、機械的に悪いことではありませんが、しかし精神分析というものの創立者とは違うということなのです。それはラカンの精神分析が自明化されているところにもっとも良く現れています。)
伝統的人物である。
現代アート的である。(つまり伝統的な面をもつ現代人)

《想像界》の眼で《超次元》~《第51200次元》の《デザイン的人格》
《想像界》の眼で《第8次元 信仰領域》の《デザイン的人格》
《想像界》の眼で《超次元》~《第51200次元》の《デザイン的人格》

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ジジェクは、難解で晦渋知られるラカンの思想を、映画やオペラを素材に語ることで、現代思想界の寵児となった人物です。しかし、ハリウッド映画を使って、あたかも人生そのものであるかのようにすり替えて語る手法は、人間の人生そのものの不可思議なとらえどころのない曖昧さの問題を捨象していて、疑問があります。特に《現実界》という用語の使用は、ラカンそのものと違うと言うだけではなくて、『「テロル」と戦争──〈現実界〉の砂漠へようこそ』では、むしろ日常用語に近い使用をしていて、私は間違いであると思っています。『幻想の感染』でも、「バイトーあるいはむしろデジタルな連なりーが、スクリーンの背後にある《現実界》である」という使用の仕方にも、通俗性があります。この通俗性はジジェクの顔の分析に現れるデザイン性と深く関わっています。Googleのようなポータブルサイトにおける《現実界》は、単なるデジタル記号ではありません。Googleの《現実界》というのは「人類が使うすべての情報を集め整理するという壮大な目的を持って設立された。独自のプログラムが、世界中のウェブサイトを巡回して情報を集め、検索用の索引を作り続けている」という、このミッションにあるのです。コンピューターというのは思考機械であって、物質や記号ではないのです。ジジェクのコンピューターの理解は世俗的で、通俗で、それ故に面白くわかりやすく見えるものなのです。実際のジジェクの思考は幻惑的であるだけでなくて、根本にデザイン的な不透明さがあるのです。それはラカンをはじめとした哲学をコピーすることを基盤に組み立てたデザイン的な思考そのもののもつ不透明性です。ですから、ジジェクの思想に対して「多産な業績の割にはワンパターンとの評もある」と言われるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界がある多層的人格。
絶対零度/固体/液体/気体/プラズマの2つの様態をもつ総合的な人格。

《シリアスな人格》である。《気晴らし人格》も同時にもっている。
《ハイアート的人格》と《ローアート的人格》の同時表示。

シニフィエとシニフィアンの両面をもつ人格。

理性脳と原始脳性の両面のある人格。

《透視的人格ではない》《原始平面的人格》
オプティカルイリュージョン的人格ではない。
【B級芸術】。A級人格では無い。

《原人格》が無い。
《人格》《反人格》《非人格》《無人格》《世間体の人格》《形骸》《炎上》《崩壊》の概念梯子がある。

《原-総合人格》ではない。
《総合人格》性はある。
ただし《反-総合人格》《非-総合人格》《無-総合人格》性は無い。

《原デザイン的人格》《デザイン人格》《非デザイン人格》《無デザイン人格》《世間体のデザイン人格》・・・の概念梯子がある。

《原大衆人格》《原イラストレーション的人格》《原シンボル的人格》の概念梯子が無い。

《原-装飾的人格》《装飾的人格》・・・の概念梯子が無い。。

《原-工芸的人格》《工芸的人格》が無い。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《真性の人格》ではない。《キッチュな人格》

人格の意識の大きさが《妖精》《孤児》《群れ》《村》《国民国家》ではないて、《グローバル》である。
しかし《地球のマグマ》や、《宇宙》、さらには《宇宙ー外》というものではない。

鑑賞構造がある思想家ではない。

情報量が1000である。
クリエイティヴではない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スラヴォイ・ジジェクが、今日のコンピューター時代には、逆に”野生の思考”への回帰が見られると書いているのは、
”野生の思考”というのは、具体的に「野蛮人」というような差別用語的な行為をしたり、
実際に入れ墨をしている人が増えているとか、ピアスを過剰に付けている人などには、こうした現象のことを言っています。
ホームレスの登場のこの範囲に入るわけであって、定住しないで野宿をしているというのは、未開段階への退行現象であると言えます。

しかし、何故にコンピューター時代には、「野生の思考」への回帰が生まれるのでしょうか?
その理由については、ジジェクは説明していません。

『野生の思考』というのは、フランスの文化人類学者のレヴィ・ストロースの著作の題名です。
1962年に発表されて大きな影響を与え、構造主義の勃興を生み出した名著であります。

私の言語判定法をつかって見えてくるものも、その多くは構造主義の構造の延長だと考えられます。
たとえば《超次元》~《第51200次元》までの階層というのも、実は《構造》なのです。

つまり彦坂尚嘉の芸術分析は、ジャック・ラカンの構造主義的な精神分析の延長性の上にあるものです。
それはですから『野生の思考』性をもっているのです。

レヴィ・ストロースというのは、ブラジルの先住民の研究を行い、さらにアメリカ先住民の神話の研究を行ったのです。友人にはシュルリアリズムのブルトンなどがいます。つまりブルトンなどのシュールリアリズムとは、構造主義は無縁の思想ではなかったのです。この場合、日本人が「シュルリアリズム」と聞くと、ダリやエルンストなどのイメージ主義のペンキ絵を思いますが、ブルトンが推し進めたのはアンドレ・マッソンの絵画であり、それがポロックの絵画を生み出していきます。

「野生の思考」というのは、文明以前の自然採取段階の”科学的な思考”とも言えるものです。それはブリコラージュと呼ばれる、ありあわせの材料を用いて、必要なものを作るような思考法です。比喩による思考方とも言えます。それは眼の前まえにある事柄を理解しようと努力する時に、その事柄と別の事柄との間にある関係、あるいは関係への関係に注目して、それと類似する関係性を有す別の事象群を連想して、その別のもの比喩とすることで、目の前の事象を再構成する思考方です。

Photshopのレンズ補正の機能を使って、画像に凸や凹のレンズ変形を与えることで、人格の大きさを画像化して、それに言語判定法で、言葉を対応させる。こうした手法は類似関係をつかった類比によって構造を析出して分析しようとするものです。


こうして、Photshopを操作して生まれる事象に異なる意味を与え、新しい「構造」を生み出せるのです。それは理論と仮説を通じて考える科学的思考と基本的に同質なもので、両者の相違について科学的思考が用いるものが「概念」であるのに対して、野生の思考が用いるものは「記号」であるとレヴィ・ストロースは考えました。私が言語判定法を使って用いるのは「言語」なのです。

フロイトやラカンの精神分析は、疑似科学だという批判を浴びせられました。彦坂尚嘉の芸術分析に関しても、同様の批判はありますが、科学的手法そのものが、人類史の中で違うリテラシーをとって現れてきているのであって、疑似科学だという批判は、必ずしも「だから駄目である」という結論にはならないのです。今日のアーティストやアートの芸術分析を、そのアーティストの人格の大きさを対象化して考えるというのは、極めて独創的な視点であり、その成果は、以後に述べるように興味深い者があります。

”野生の思考”への回帰という現象は美術作品にも顕著であって、1980年代にはいると具象への回帰として出現しています。
つまり抽象美術の時代が終わって、イラストまがいの作品が登場してくる背景にはコンピューターによるデジタル時代への移行が大きく関与していたと考えられます。

しかし作品上に現れてくるだけでは無くて、人間一人一人の自我の構造や大きさにも、このような野生時代への回帰が現れてきているのです。
つまり人格の大きさが、《国民国家》の大きさではなくて、《村》や《群れ》の大きさ、さらには《孤児》の大きさになってきていて、
かつての美術にあった公共性が失われてきているのです。

しかしこういう風に現在の状態だけを語って見ると見損なう問題が有ります。
つまりアーティストの人格が小さくなって、社会性や公共性を失ったのは、実はコンピューターが登場する前からあったのです。
このことを見ないと、現在を理解するのに不十分です。
次回はモダンアーティストの人格の大きさについて論じます。
スポンサーサイト

● COMMENT ●

モナリザの件

彦坂様のブログをここ2週間位拝読させていただいていますが、
まだ半分も目を通せていないことに正直驚いています。

自分は正直アートに理解のある人間だとは思っていないのですが、
モナリザの顔を見ると般若面を想起させてしまって
嫌悪感を抱いてしまいます。

もしかしてモナリザ像が超1流であることと般若面との類似には
関係があるのではないかと思いますが、彦坂様はどのように思われますか?


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://kb6400.blog38.fc2.com/tb.php/309-39884d07
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

《孤児》としての芥川賞受賞作家:田中慎弥 «  | BLOG TOP |  » ストライキ!/ウィキペディアの抗議行動

ブロマガ

月刊ブロマガ価格:¥ 6400

紹介文:

ブロマガ記事一覧

ブロマガを購入する

購入したコンテンツは、期限なしに閲覧いただけます。

プロフィール

New HIKOSAKA 彦坂尚嘉

Author:New HIKOSAKA 彦坂尚嘉
彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年6月26日 - )は、 美術家。立教大学大学院特任教授。日本建築学会会員。日本ラカン協会会員。気体分子ギャラリーを主催。

【著書/出版】『反覆/新興芸術の位相』(74年、田畑書店)、『死に対抗する力』(91年、ギャラリーKURANUKI)、『リノメランコリア』(94年、岡部版画工房)、共著『リベーションの現場』(05年、彰国社)、共著『メディアと精神科医』(05年、批評社)。共著編『皇居美術館空想』(08年9月朝日新聞社)。『彦坂尚嘉のエクリチュール』(08年、三和書籍)、共著『3・11万葉集 復活の塔』(2012年、彩流社)

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (85)
6次元アートの限界 (0)
ポストモダンのアメリカ美術 (11)
気体分子ギャラリー (34)
アートスタディーズ163万8400次元 (97)
映画 (31)
日記 (54)
音楽 (84)
海外の《超次元》アーティスト (4)
訃報 (4)
《第6400次元》真性の芸術 (5)
喜劇 (3)
彦坂尚嘉 の作品 (15)
状況と変動 (134)
告知 (81)
作品の発表 (6)
美術系ラジオ (33)
顔 (6)
人間の研究 (35)
芸術分析 (22)
皇居美術館 (0)
自殺 (2)
アニメーション (2)
味覚 (0)
歴史 (3)
復刻:『美術評論』 (1)
独裁者 (1)
第51200次元 (1)
建築系美術ラジオ/建築系美術ラジオ (3)
建築 (6)
美術テレビジョン (4)
オークション (53)
ギャラリーショップ (0)
ウェブショップ (1)
絵画論 (3)
固体の美術 (1)
特上のラップ (3)
異端美術研究会 (1)
アート論 (3)
反復-2007 (0)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。