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《想像界》について - 2012.01.28 Sat

《想像界》が基本か?

人間の心というのは、単に心というものではなくて、人間の脳の世界なのです。
人間は脳で外部を認識しているのですが、同時にそれは脳以外では認識することができないという限界の中に存在しているのです。

この当たり前のこと、つまり人間は脳を媒介しにして外部を認識しているだけなので、この媒介性の外部には出られない。このことを意識すると、手で触ろうが、眼で見ようが、結局は神経を介して刺激のパルスを受け取って判断しているのです。その判断には、神経を介しての刺激を受けて、その神経情報で外部を想像しているだけだと言えるのです。

神経情報で外部を想像しているだけですから、ですから普通の日常語で「現実」といっていることはすべてが、ラカンの用語で言うところの《想像界》に属しています。

《想像界》とは何なのか?

もともとはジャック・ラカンの用語です。彦坂尚嘉の用法は基本的にはラカンに沿っています。しかし彦坂尚嘉的に言えば、《想像界》というのは、脳によって外部を知覚することと、その知覚による判断の集積のすべてです。そこにはそうした判断の習慣化したものや、社会常識や、集団化された傾向なども入ります。これらすべてが《想像界》なので、広い領域であると言えます。

つまり人間は、《想像界》の内部に生まれるのです。
彦坂尚嘉の理論的な仮説では、この《想像界》は、テレビやコンピューターのモニターのようなものですが、
ラカンが指摘したのは、このモニターは鏡を見ているような鏡像の世界であるということです。

ここにラカンが指摘した重要な問題があります。

脳の中に映る神経情報のモニターには、自分自身の情報が十分に映らないのです。
巨大ロボットのガンダムのようなものに乗って、外部をモニタだけで見ていても、そこには肝心の自分自身の情報が不十分にしか映らない。

人間は他人の顔や姿は完全によく見えるのですが、自分自身は鏡に映さないと見えない。
鏡の像からの類推で、自分自身を想像の中で仮想としてイメージして、それを確かな自分自身として認識しようとしている。

つまり自己認識という基本そのものが鏡像に依拠しているために、
人間の脳神経の情報モニターというのは、こうした鏡像的な仮想性をもっている。
そのために妄想や、際限の疑心暗記などの心的世界の際限の無い闇が広がるのです。

この比喩を実際の自動車の運転に当てはめて考えてみても、
一台の小さな自動車を運転するだけでもフロントガラスから外部を見るだけでは足りなくて、バックミラーや2つのサイドミラーが必要です。つまり自動車の段階でも、外部を認識するためには鏡像が入ってくるのです。それでも死角はあります。

つまり神経からの情報をもって、脳が判断するのですが、その判断には想像による類推や偏見が入ってくる。今回の3.11東日本大震災でも、安全バイアスや、他人と一緒に行動しようとするバイアスなどの偏見による判断間違いによる死者が沢山出ています。つまり情報を正確に把握して、正しく認識し行動を起こせば、十分に津波から逃げる時間があったにもかかわらず、多くの人の脳が、正確な情報を把握しないでバイアス=偏見でゆがめてしまっているのです。このように、脳というのは、実に偏見や妄想、因習等々の間違った判断をするもので、それによって多くの人が現実に死んで滅亡するのです。

つまり脳というのは、入ってきた情報そのものの収集能力や情報の採取も不十分ですし、そしてそれを判断するのも、さまざまなバイアスやイデオロギー、思い込み、昔の記憶、無知、奇妙な欲望、恐れ、怯えなどに影響されて、判断を間違えるシステムなのです。その根底にあるのが、複数の心的な鏡が相互に映しあって超多層の世界をつくっているという《想像界》そのものの構造性にあるのです。

仏教が問題にした人間の苦というものは、人間の《想像界》が生み出す際限の無い妄想性と執着の世界でした。これをどのように克服するのか?

(以下は、ラカンが書いていない、彦坂のオリジナルの理論展開です。)

《象徴界》の出現

『美術の3万年』という本で、人類の初期の美術を言語判定法で見ていくと、
エジプト美術の成立前の原始美術は、《想像界》だけの美術で、《超次元》~《第6400次元》までの超多層性があります。なぜにこれほどの大きな数字が原始段階ででてくるのか?

脳内の心的な鏡は、4枚あって、相互に映し合っているので、まるで鏡地獄のような深さを持っているのです。
この4枚というのは、ラカンが言った《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の出現を美術史の中で検証しようとしているので、4枚ということになっただけです。もっと多いのかもしれないとも思います。

エジプト時代になって、定着して農業をはじめて、書き言葉(初期は石に彫ったもの)が出現します。石に彫った言葉として法律ができて、(モーゼの十戒は、石に彫ってあることば)、ここで初めて人間の《象徴界》が出現するのです。

エジプト美術を見ると、《象徴界》は《第1次元 社会的理性領域》だけの単層です。
つまり《想像界》の《超次元》~《第6400次元》という超多層性は、《第1次元 社会的理性領域》だけに圧縮されて《象徴界》という新しい鏡面が出現したのです。この鏡面が写しているのは、脳が見ている普通の外部世界では無くて、石に彫られた文字の世界なのです。

脳が、《想像界》だけで無くて、2つに分裂して、《想像界》の外部を持ったと言うことが重要です。これによって、《想像界》の妄想や過剰な執着に対して、別の思考方法が入って、この《想像界》の暴走を抑圧するようになるのです。


この石に彫られた文字の世界だけを見て考える脳の活動が《象徴界》なのですが、しかし、石に彫られた文字は、従来通りの《想像界》の眼でも見えます。この2重性が重要なのです。


彦坂尚嘉の言語判定法での測定で見ていると、《想像界》だけしか無い人々がかなりの量います。10人中6人から8人です。この多くの人は《想像界》の眼だけで文字を見ています。

この《想像界》だけの眼で文字を見ている人は、小説は読めるのですが、批評や哲学は読めないか、読むのが好きでは無い。さらには読んでも理解できない様です。

哲学の本を漫画で読みたいという人がいましたが、それは意味の無いことです。漫画というのは《想像界》を基盤にして成立しているので、《象徴界》の哲学を、《想像界》に転写してしまうと、重要な中心は消えてしまうのです。『ソフィーの世界』という1991年に出版されたファンタジー小説がありますが、これは哲学を少年少女に教えようという意図で書かれていますが、同様に《想像界》に翻訳してしまった「まがい物」です。哲学を小説や漫画にするというのは、《想像界》の中につくった「まがい物」、偽物なのです。哲学をイメージやストーリーの《想像界》に還元しては駄目なのです。


しかし駄目でも良いからまがい物で良いから分かりたいという人々がいます。つまり《象徴界》を理解できない人が、これを《想像界》で翻訳して、まがい物で満足するという代表品文化が生まれるのです。その最初が大乗仏教の成立です。教典として代表的なのは法華経なのです。今日で言えば幸福の科学の大川隆法の著作はまさに、《象徴界》を《想像界》に映し出して、まがい物を作り出しているのです。

まがい物や、代用品では駄目なのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし石に彫った文字そのものが、人間の話し言葉を道具として外部に出したまがい物の言語なのです。この言語の偽物性を告発したのが『老子』でした。ものが名付けられる以前の存在を《玄雌》と呼び、これが名付けられることによって、その本質が失われ、「鬼神が泣いた」と書いています。

つまり人間の文明の構築というのは、道具を作り出すことなのですが、道具というのは人間の身体性を外に出すことなのです。
たぶん、一番初期の道具というのは《石器》です。《石器》によって、切る、叩く、などして他に直接作用するものから始まったのですが、これは動物を殺すのに使った人間の爪や歯という身体を、道具として外部に出したものと考えられます。

道具はしかしカラスやチンパンジーも使うので、もともと生物の本能の発達の中から出てきていると言えます。人間特有と言われるのは、道具を創るための道具という第2次道具という工作機械をつくったのが、人間の独自性と言われます。ですから石器段階でも、石器を創るための石器というものが有ったのでは無いかと思います。

道具をつくるための道具という2重性こそが、人間の文化の基本なのです。

言語でも同様な事が言えて、言葉を生み出すための言葉というものがあります。

さらには、芸術作品を生み出すための芸術作品というものがあります。

具体例としては、近代建築を作り出した一人であるコルビジェというのは、どういうふうにすれば近代建築が建つかというお手本を作る作業をしました。つまり近代建築を作るための近代建築という2重性が、コルビジェの建築であったのです。

この事は、モダンアートの印象派、キュビズム、未来派、ダダイズム等々にしても、皆同様で、どうしたら印象派の絵画が作れるか、どうしたらダダイズムの美術がつくれるか、というノウハウのハウツー本のような歴史が、モダンアートの歴史であったのです。

閑話休題。話を石器に戻します。しかし彦坂尚嘉の言語判定法ですと、この石器というものが、《想像界》だけの制作物であると判定されます。彦坂尚嘉の言語判定法では、原始時代のあらゆる制作物のは《想像界》の産物であるという特徴があるのです。

そこで《象徴界》が外化するのです。この石に彫った言葉というとロゼッタストーンなどが有名ですが、石に彫った言葉の存在性と、巨石文化や、後のピラミッドの建設、さらにはローマ帝国のローマの都市や建築と連続しているものなのです。文字はこうしたローマ帝国の建築に彫られていて、そこには大文字しか無いのです。小文字というのは、文字が紙に書かれるようになってからなのです。つまり書き文字とこうした巨大な石の建築物は深い関係があって、書き文字のこうした人工環境の構築を理解しない人は、《象徴界》が理解できないのです。

《象徴界》の言語というのは、言葉による建築なのです。この場合、建築という意味は、自然では無い人工環境という意味で、それはイタリアなどに見られる都市国家というものです。つまり建築や《象徴界》の言語そのものが、つまり自然環境の代用品なのであり、人工的なまがい物なのです。しかしそのまがい物が、人間の文明的な進化へと展開していることが重要です。

そのまがい物としての《象徴界》を、再度、《想像界》に押し戻して、《象徴界》のまがい物を《想像界》で作り直すというのは、実は退化ということなのです。つまりまがい物には、文明の進化としてのまがい物=道具1と、退化としてのまがい物=道具2があるのです。両方ともまがい物であり、偽物ですから、まがい物を創ることが悪とは言えません。しかも退化としてのまがい物というのは、既知の中に差異回収することなので、安心できるし、多くの人が歓迎するので、良いこととして評価される傾向が強いのです。特に後ろを向いている社会になってしまった日本には、この傾向が強くあります。


つまり理論的な文章を読むためには、石に彫られた文字を、きちんと読んでいって、この石に彫られた文字が、実はエジプト文明をつくっていくと言うこと。今日でも、文字が文明を創っていくことを理解する人々が、《象徴界》の精神を持っているのです。それだから《象徴界》の精神のある人は、本を読むことで、書き文字を介して世界を理解することを重要だと知っている人です。


それに対して《想像界》だけの人は、直に現実世界に接触していることが、重要な人々です。それこそ、町歩きしたり、フィールドワークを終始する人たちです。
もともと原始社会では、《想像界》だけの人間だけがいたので、《想像界》だけの人というのは今日の野蛮人なのです。

《象徴界》の人々が、人間の文明の初期に少人数ですが現れるのですが、そのすべてでは無いでしょうが、一つのグループが集団が小乗仏教(上座部仏教)です。ここでは戒律遵守が主張されるのですが、やや乱暴に言えば、つまり石に彫られた戒律を重視することで社会を形成しようとする官僚集団が、《象徴界》の実態として生まれるのです。わかりやすく言えば、文字だけを読んで、現実を判断する人々です。つまり現実を見ても判断ができなくて、文字を見て初めて分かる。こうした人々が現実に存在しています。つまり現実の代用物である文字だけになってしまった人々が、文字にとらわれて集団で生きるようになったのです。

文字であることだけで閉じると、文字だから勝手に書けることがあります。その書けることで暴走していくと、書いたという文字だけのバーチャル世界が、逆に現実を新たにとらえるきっかけになる。これが中世の神学であるのです。この文字だけの世界を読めない人がいると言うことは書きましたが、それは詩として文字を読んでいないからです。詩といっても谷川俊太郎のような《第3次元 コミュニケーション領域》の分かりやすいものでは無くて、難解な現代詩です。現代詩の面白さは、文字で書けることの極限を乗り越えた執筆だからです。文字だけだから可能な世界。それが《象徴界》の世界であります。

こうして学問の名にかこつけて、文字だけに溺れていって、現実を直視できない「おたく」が多く出現したのが仏教僧の世界でした。その文字馬鹿を否定したのが、禅宗だったのです。不立文字を主張する。つまり書き文字を否定し、文字を破壊する。教典を否定し、学問僧を否定し、頭を殴る。谷底に高僧を蹴落とす。こういう否定によって出現したのが《現実界》であったのです。

つまり《現実界》というのは、日常用語の「現実」という意味では無くて、書き文字という聖書や仏教経典を書いてきた文字を否定して出現するものです。
書き文字の否定という意味では、数学に基礎を置いて、数式で世界を対象化しようとして近代自然物理学が出現して、《現実界》が出現するのです。近代科学の基本は、こうして数学に還元された《現実界》の展開された領域でした。美術もまた《科学美術》《数学美術》が出現してきます。しかしこれらは、必ずしも《現実界》の美術では無かったのです。

《科学美術》としては、葛飾北斎、クールベ、モネ、セザンヌ、ゴッホ、未来派、ジャスパー・ジョーンズ
《数学美術》としてはスーラー、マレーヴィチ、モンドリアン、ジャッド、ジャスパー・ジョーンズ、セラ、フランク・ステラの「ブラック・ペインティング」、ロバート・マンゴールド
《情報美術》としてはデュシャン、コスース、シンディ・シャーマン、

スーラーは《想像界》の美術。

葛飾北斎、、クールベ、モネ、セザンヌ、ゴッホ、未来派は、モンドリアン、マレーヴィチ、コスース、シンディ・シャーマン、ジャッドは《象徴界》の美術。

デュシャン、ジャスパー・ジョーンズ、セラ、フランク・ステラの「ブラック・ペインティング」、ロバート・マンゴールドは《現実界》の美術。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、このタイトルは《想像界》についてなので、《想像界》の話でまとめます。

フランク・ステラは、ブラック・ペインティングで登場しますが、これは数学美術で、しかも《現実界》の美術でした。
しかしその後レリーフに展開して、装飾美術に退化します。それは同時に《想像界》の美術への退化であったのです。
今日どれほど評判になろうとも、装飾美術への退化や、《想像界》の美術への退化は駄目なのです。

そういう中で、議論は宗達や、フリップ・タフなどの装飾の肯定と否定の同時表示をもった作品をめぐる評価の問題になりますが、それを、私は『3・11万葉集』の本で書きました。まあ、装飾の問題は難しいです。《想像界》も、錯綜しているので、むずかしいのです。
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Re: タイトルなし

ヤスミツ様

お返事遅れてすみません。

> 「鏡に映った錯覚の世界」
> が想像界。
> 「鏡の中と外があるという錯覚の世界」
> が象徴界。
> 「鏡の世界は錯覚」というのが現実界。
> でよろしいですか。

お答えが難しいので、お返事が遅れました。
ブログを別に立ててお答えします。

彦坂尚嘉


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New HIKOSAKA 彦坂尚嘉

Author:New HIKOSAKA 彦坂尚嘉
彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年6月26日 - )は、 美術家。立教大学大学院特任教授。日本建築学会会員。日本ラカン協会会員。気体分子ギャラリーを主催。

【著書/出版】『反覆/新興芸術の位相』(74年、田畑書店)、『死に対抗する力』(91年、ギャラリーKURANUKI)、『リノメランコリア』(94年、岡部版画工房)、共著『リベーションの現場』(05年、彰国社)、共著『メディアと精神科医』(05年、批評社)。共著編『皇居美術館空想』(08年9月朝日新聞社)。『彦坂尚嘉のエクリチュール』(08年、三和書籍)、共著『3・11万葉集 復活の塔』(2012年、彩流社)

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