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非人称芸術と、芸術 - 2012.02.05 Sun

糸崎公朗さんからのコメントに対して、お答えします。

タイトルなし
コメントが遅くなって申し訳ありません。

ぼくの最近の反省点は、彦坂さんとのおつきあいも長いのに、ブログを最初からキチンと読もうと思ってなかったことです。
過去のブログには、既にさまざまな自分にとっての「答え」が提示してあり、あらためて驚いてしまいます。
その中で、乗り越えなければならない大きな問題に<去勢>があるのですが、これがなかなか難しいことが、今回の記事でも自覚されました。

先日は、こちらの記事に紹介されてました、沼正三『家畜人ヤプー』を読みました。
http://kb6400.blog38.fc2.com/blog-entry-314.html
『家畜人ヤプー』は石森正太郎が劇画化したこともあって、「未来の人類文明は白人が支配階級、黒人は奴隷、日本人は家畜=ヤプー、と言う階級社会になっている。未来の日本人は人間以下の家畜で、さらに家畜以下の道具としても使役されるため、さまざまにグロテスクな姿に改造されている・・・」という概要だけは知ってました。

しかし実際に小説を読んで驚いたのは、「犬」や「乗り物」や「便所」などの各用途に特化され改造されたヤプーには、それぞれ明白な意識や知性が備わっている、と設定されてたことです。
ぼくは「人間としての扱いを受けないヤプーは、人間としての意識も剥奪されているのだろう」と勝手にイメージしてたのですが、実際は違っていたのです。

例えば「便所」として使われるヤプーは、自分を使用する白人を<神>と崇める神学大系の中にあり、特に白人貴族に使われるエリートの「便所」ヤプーは、自分が「極楽浄土」にいることを自覚しています。
さらにそのようなエリートの「便所」ヤプーは、「便所」となるための大学院で博士号を取得し、人体(神としての白人)の健康と排泄物についての膨大な知識を有し、高いプライドを持っています。
だから「便所」という、人間としてこれ以下はない境遇にあっても、彼らの中では惨めな思いは微塵もなく、充実と満足と幸福とに満たされているのです。

それは「犬」や「乗り物」や「家具」などあらゆるヤプーも同じであって、だから彼らの境遇に対し「開放」や「革命」はあり得ません。
ヤプーに対し、本来の人間に、本来の日本人に、戻るように仕向けたとしても、意味が伝わらないし迷惑がられるだけなのです。

**

これを自分に置き換えて考えると、「ヤプー」として育ってしまった自分が、彦坂さんの「開放」の呼びかけに反応できないのも、むべなるかなと思います。

>ですからIT君が非人称芸術を主張してきたことを含めて、それは筋の通ったものであって、それで良いと思うのです。

つまり自分は「非人称芸術」に特化して飼育され、改造されたヤプーであって、そこから「開放」されるということは、自分の全存在を否定することになります。
それは「便所」ヤプーも同じであって、「便所」がいかに汚く惨めな境遇であっても、彼の主観では「大切な自分」であり、それを捨てたら「自分が無くなってしまう」わけです。

しかし客観的に見れば、「便所」というのは最大限に汚いものであることは明らかで、人間が「便所」そのものになるなどもってのほかです。
同じように客観的に見れば、すなわち彦坂さんが過去のブログで書かれてた「無知のヴェール」を通し、「非人称芸術に固執する」という自分の立場を離れた視点で判断すると、ぼく自身の思いつきでしかない「芸術とは何か?」と、彦坂さんが学問的に構築された「芸術とは何か?」では、比較にならないくらいの歴然とした差があって、何に従い、何を捨てるべきかはもはや明確になります。

また、たとえ「便所」ヤプーがその境遇から精神的に、肉体的に開放さたとしても、「およそ人間らしからぬ生き方」をしてきた彼とすれば、「正常な人間らしさ」をほとんどゼロから構築する必要があり、これも大変なことです。
同じように、ぼくがこれまで「芸術」と信じてきたものは、「およそ芸術らしからぬもの」であって、だからぼくはこれまでも「芸術家ではなかった」のであり、「芸術家としての自分」をゼロから構築する必要があるわけです。

というふうに<去勢>の問題を捉えてみたのですが、いかがでしょうか?
幸田文『あとみよそわか』は昨日図書館で借りて読みました。


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● COMMENT ●

すいません、以下、数日前に投稿したつもりが反映されてませんでした。
再投稿しますので、よろしくお願いします。

****

コメントを取り上げていただきまして、ありがとうございます。

当初、会員制ページとしてアップしていただきましたが、どういうわけか自分のパソコンからはログインできず、普通の記事として再アップしていただきました。
ケータイからはログインできるのですが、他のみなさんはどうなんでしょう?

さて、ぼくの例えが分かりにくかったせいで、どうも誤解があるようです。

つまりぼくとしては「非人称芸術」の説明として『家畜人ヤプー』を挙げたわけではありませんので、彦坂さんが解説されたように非人称芸術=自然性というのは十分に同意できます。

しかし、ぼくがコメントで主張したかったのは、自分自身の「排他性」の問題で、それをラカン的な≪去勢≫や、≪万能感≫の克服として、捉えていることです。
それは、彦坂さんがおっしゃる≪第8次元・信仰領域≫の問題で、自分自身が「自分を教祖と崇める自分教の信者」というマッチポンプ的な状況に自足していたことに、あらためて気付いたのです。
この自分の状況を、例えとして理解するのに『家畜人ヤプー』が役に立ったのですが、説明としては迂回しすぎて誤解を招いてしまいました。

しかし、あらためて、彦坂さんの「非人称芸術」は興味深かったです。
彦坂さんは「芸術とは滅多にない貴重なものだ」というふうにおっしゃってましたが、世にあふれる「芸術」と名が付くものの大半が実は「非人称芸術」であるなら、「芸術とは非人称芸術ではないものである」という定義も成り立ちますね。
例えば、若くして優れた芸術を生み出すアーティストの大半が、ほどなくして≪6次元≫≪8次元≫に転落しますが、それははじめにあって芸術を成立させていた「人称性」が抜けて、「非人称芸術」に転落する、と言うことなのでしょうか?
するとぼくの課題は、あらためて「人称性」を獲得することで、だとすればこれは≪象徴界≫の獲得の問題でもあり、なかなか難しいと言えるかもしれません。


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New HIKOSAKA 彦坂尚嘉

Author:New HIKOSAKA 彦坂尚嘉
彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年6月26日 - )は、 美術家。立教大学大学院特任教授。日本建築学会会員。日本ラカン協会会員。気体分子ギャラリーを主催。

【著書/出版】『反覆/新興芸術の位相』(74年、田畑書店)、『死に対抗する力』(91年、ギャラリーKURANUKI)、『リノメランコリア』(94年、岡部版画工房)、共著『リベーションの現場』(05年、彰国社)、共著『メディアと精神科医』(05年、批評社)。共著編『皇居美術館空想』(08年9月朝日新聞社)。『彦坂尚嘉のエクリチュール』(08年、三和書籍)、共著『3・11万葉集 復活の塔』(2012年、彩流社)

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