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風景写真/芸術とデザイン - 2012.04.14 Sat

村越ホンマ2
ホンマタカシ               村越 としや
《第6次元》デザイン写真        《第6次元》《真性の芸術



山方ホンマフ#12441;ロク#12441;540
ホンマタカシ               山方伸
《第6次元》デザイン写真    《超~50次元》《真性の芸術》        



糸崎公朗ホンマ540
ホンマタカシ               糸崎公朗
《第6次元》デザイン写真    《第1~50次元》《真性の芸術》





糸崎公朗さんは、今、TAPギャラリーで個展をやっています。

糸崎公朗さんの欲望は、TAPギャラリーを中心にして形成されている《村》の人々に認知されて、同じ村人の仲間に加わりたいと言うもののように、私からは見えていました。


【続きは下記Read Moreをクリックしてください。】 外部性


糸崎公朗さんのこれまでの写真は、彼の主張していた非人称芸術というもので、立体起こし写真のフォトモや、ホックニー的なツギラマ、そして昆虫写真というものでした。つまりTAPギャラリーにあつまるモノクロの風景写真愛好家たちの鑑賞芸術界の外部に、糸崎公朗さんはいたからです。

つまり、言い換えれば糸崎公朗さんは、自分の外部に興味をもって、それを理解しようとして、モノクロ風景写真の《鑑賞芸術》を2年間模倣して、その成果が、今回の個展になったのです。

私は、この自己の外部を学習するまなざしをもつ糸崎公朗さんを評価するのです。なぜなら、多くの人は自分の好きなものにしか興味を示さない自閉性の中に立て籠もっているからです。それに対して糸崎公朗さんは、自分の外部に開いていく精神があるのです。この外部性こそがレオナルド・ダ・ヴィンチ的な万能人を目指す芸術家精神につらなるものがあるのです。

自主ギャラリー

TAPギャラリーというのは写真家6人くらいの人々が運営している自主ギャラリーです。

作家の自主ギャラリーという意味では私が主催している気体分子ギャラリーと同じです。違いがあるとすれば、気体分子ギャラリーは作品を売っていこうという販売性を持つ商業主義があることです。それは昔のモネやセザンヌの印象派の運動が、実は株式会社の組織で、販売をする目的を持った職業美術家の芸術運動であったことの系譜につながるものだからです。日本で言えば狩野派のような画家集団です。私は狩野派2代目狩野元信を尊敬しています。彼らも商業主義があって、扇面を売って食べていました。売っていた扇面の絵などは、実はデザインでした。狩野永徳ブランドの屏風も見ていますが、これもデザインでした。デザインと芸術は、実は表裏一体のものなのです。

それに対してTAPギャラリーは、いわゆる職業写真家の系譜ではなくて、日本の戦前にある野島康三や安井 仲治らのアマチュア写真の系譜を引くように私には見える活動で、売るという商業主義性は弱くて、モノクロの風景写真を中心にした鑑賞写真を制作して、それを120人以内の人々程度に見てもらうことを目的にした、鑑賞集団であるようです。

村越としや

murakoshi_photo01.jpg


TAPギャラリーの代表的な写真家の一人が村越としや氏です。

村越 としや氏は、日本写真芸術専門学校を卒業している写真家で、森山大道の影響を受けています。

今日の風景写真の源流は、1960年代後半の風景写真である『provoke』(プロヴォーク)という写真集団の活動にあります。プロヴォークは、中平卓馬、高梨豊、多木浩二、岡田隆彦らによって創刊された写真同人誌で、1968年11月1日創刊。2号から森山大道も参加しています。

村越 としや氏は、その森山大道の助手を務めているのです。私事で恐縮ですが、私も実はプロヴォークの事務所であった多木浩二の事務所に居候していて、暗室も森山大道さんと一緒に使ったことがあるのです。写真の事を教えてくれたのも中平卓馬氏で、文章を書くデビューをさせてくれたのも中平氏でしたのでした。実は私はこの時期に、4×5のカメラの引き延ばし機を買って、写真をやろうとしていたのです。しかしあまりに変な写真だったらしくて不評すぎて、私は挫折したのです。というわけで、私が写真作品を作ったり論じたりするのは必然的なことですし、そして森山大道を介して私と村越としや氏は、まったく無関係というものでは無いのです。

さて、その村越 としや氏の写真を見てください。


anohik2.jpg



彦坂尚嘉責任の[村越としやの風景写真集『あめふり』]に対する言語判定法による芸術分析

1.基本的な性格

アヴァンギャルドな写真ではない。
伝統的な風景写真である。
クリエイティヴではない。
情報量が100ある。

鑑賞構造は《対話》がある。
《ハイアート》の写真である。。
《シリアス》な写真である。
《真性の芸術》である。


2,格付け

《サントーム》性は無い。
《現 実 界》の眼で《第6次元》の《真性の芸術》
《象 徴 界》の眼で《第6次元》の《真性の芸術》
《想 像 界》の眼で《第6次元》の《真性の芸術》

3,芸術概念の梯子

シニフィエ的な写真と、シニフィアン的写真の同時表示。

理性脳の写真と原始脳の写真の同時表示。

《透視画面》の写真である、


《原写真》《写真》《世間体の写真》の概念梯子がある。
しかし《反写真》《非写真》《無写真》の概念梯子は無い。
写真の形骸、炎上、崩壊という概念梯子も無い。

《原-デザイン》《原-イラストレーション》《原-装飾》《原-工芸》
《原大衆美術》《原-キッチュ》《原-シンボル》・・・の概念梯子が無い。


4,総合判断

○ 上中下で言うと、《上》の写真。
○ 《サントーム》の精神が無い。
○ 《固体》様態の写真である。
○ 《国民国家》の大きさの意識空間である。



村越としや氏のモノクロの風景写真は、《第6次元 自然領域》だけの写真ですが、《対話》の鑑賞構造をもった《真性の芸術》です。

多くの通俗写真が《想像界》だけの薄い作品であるのに対して、《想像界》《象徴界》《現実界》の3界を持った良い写真です。


空間の大きさは近代国家ですので、近代人なのですが、写真表現の様態は《固体》です。つまり前近代性があるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、こうした村越としやの風景写真には、典型的に《第6次元 自然領域》で芸術を成立させる構造があります。

その重要な要素はモノクロであることと、固体という前近代への追憶の構造です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、芸術とは何か?と言ったときに、鑑賞構造の問題が大きくあります。

写真には芸術として成立する鑑賞構造のある写真と、後でふれるホンマタカシの写真のようなデザインである写真があって、デザイン写真には、鑑賞構造が無いのです。

ホンマ タカシ
ホンマ タカシ「TOKYO SUBURBIA 東京郊外」は、デザイン写真で、そこには鑑賞構造が無い。鑑賞構造のない方が、直接性がある。つまり直接性の表現は、鑑賞構造が無い。
《鑑賞》という視覚は、見るものとの距離の自覚の上に成立する。



その鑑賞構造にはいろいろあって、《愛玩》《驚愕》《信仰》《瞑想》などあるのですが、その中心が《対話》の構造であって、村越の写真には、この《対話》という鑑賞構造の性格が強くあります。

その時に固体であることが重要な意味を持ってくるのです。《固体》と言っているのは、彦坂尚嘉の用語ですので分かりずらいですが、《前-近代》という意味です。この前近代性の表現における意味を分かりやすく言えば、骨董性です。

鑑賞というのは、ものを見るときの一つの態度なのですが、見るためには距離が必要で、その距離性を生み出すのに、モノクロというのは重要なのです。そしても一つが歴史的距離です。それが固体化の意味で、歴史的に古い前の時代のものであるという距離。骨董化するというのは、そういう距離の視点です。村越としや氏の写真には、もはや失われた過去の風景=骨董を見つめるような視線があるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

糸崎公朗が、理解できなかったのが、こうしたモノクロ写真にあつまる人々の《群れ》であったのです。ここには《真性の芸術》を鑑賞する鑑賞集団が成立していたのですが、そのこと、つまりモノクロ写真というものがもつ、鑑賞の深い喜びがあるのですが、糸崎公朗にはそれが分からなかったように、彦坂尚嘉には見えました。


糸崎公朗はこれを模倣しようとしました。

山方伸

n32.jpg


糸崎公朗氏が直接にお手本にしたのは、TAPギャラリーの同人ではないのですが山方伸という写真家です。
山方伸は1973年うまれ、高知大学理学部生物学科卒業の写真家です。

山方伸は、2006年に『コニカミノルタフォトプレミオ大賞』を受賞しているのですが、
糸崎公朗もまた、2000年に『コニカフォトプレミオ大賞』を受賞しているのです。
それもあって交流もあり、近親感と同時に分からなさがあったようです。


bf282.jpg


彦坂尚嘉責任の[山方伸の写真]に対する言語判定法による芸術分析

1.基本的な性格

アヴァンギャルドな写真ではない。
伝統的な風景写真である。
クリエイティヴではない。
情報量が100ある。

鑑賞構造は《対話》がある。
《ハイアート》の写真である。。
《シリアス》な写真である。
《真性の芸術》である。

2,格付け

《サントーム》は無い。
《現 実 界》の眼で《超次元》~《第50次元》の《真性の芸術》
《象 徴 界》の眼で《超次元》~《第50次元》の《真性の芸術》
《想 像 界》の眼で《超次元》~《第50次元》の《真性の芸術》


3,芸術概念の梯子

シニフィエ的な写真と、シニフィアン的写真の同時表示。

理性脳の写真と原始脳の写真の同時表示。

《透視画面》の写真である、


《原写真》《写真》《反写真》《非写真》《無写真》《世間体の写真》写真の形骸、炎上、崩壊という概念梯子がある。

《原-デザイン》《原-イラストレーション》《原-装飾》《原-工芸》
《原大衆美術》《原-キッチュ》《原-シンボル》・・・の概念梯子が無い。


4,総合判断

○ 上中下で言うと、《特上》の写真。
○ 《サントーム》の精神が無い。
○ 《気体》様態の写真である。
○ 《近代国家》の意識空間である。


山方伸の写真は、村越とはちがって、固体では無くて、気体性をもっています。つまり骨董写真ではありません。

モノクロ写真といっても、《第6次元 自然領域》だけのものでは無くて《超次元》~《第50次元》あって、これは近代芸術のハイアートの構造なのです。

しかも村越が《原写真》《写真》は有るけれども、《反写真》《非写真》《無写真》というメタ構造を持っていなかったのに対して、山方伸は、《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》《形骸》《炎上》《崩壊》の全概念梯子をもっているのです。

糸崎公朗がこの山方伸の写真を模倣しようとして2年間も格闘しているのですが、その中心にあるのが、なんであるのかと考えれば、一つはモノクロという事だと思います。もう一つは、山方伸がもつ《反芸術》《非芸術》《無芸術》というメタ構造ではないでしょうか。言い換えると、モダンアートの写真がもっていたメタ構造の厚みです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
モノクロ

まず、モノクロですが、人間が距離をもって外部世界をみるというのが、ギリシア的に言えば《テオリア》という視覚です。このときに、感覚がもつ享楽性を否定しようとして色彩の官能性の否定をするのです。東洋の水墨画が典型的ですが、西欧でもレオナルド・ダ・ヴィンチは、同様に色彩の官能性を否定して、色彩を抑制して使用することの重要性を主張しました。人間が生きるときに、知覚の官能性を抑制しようとすることは、重要な事なのですが、この抑制性を追究する禁欲主義が芸術の根底にあるのです。

人間が、外部世界を見るときに、知覚で見るのですから、知覚の喜びというものが有るのですが、知覚の喜びを追究すると、距離がとれなくなるのです。知覚の官能性に溺れて、享楽主義をとると、《真性の芸術》というのは、分からなくなります。
つまり距離を持って見ると言うことは、知覚の直接性から距離をとると言うことなのです。その方法の一つが色彩を抑制した水墨画やモノクロ写真であって、鑑賞芸術の基本的スタイルや構造を作ってきているのです。

糸崎公朗氏がモノクロ写真を理解できないと感じたのは、この知覚の抑制という構造そのもののであったのかもしれません。視覚の禁欲主義が理解できなかったのです。

《反芸術》《非芸術》《無芸術》というメタ構造


しかしもう一つ、山方伸氏の写真にある《反芸術》《非芸術》《無芸術》というメタ構造の面です。分かりやすく言えば、普通のきれいな絵はがきのような鑑賞構造の絵柄ではない、つまらない風景、芸術鑑賞するにあたいしないような風景を撮影するという態度への疑問であったように、私には思えます。

《芸術》というものを成立させるものは、《芸術》の内在性では無くて、その外部にあるものであるという構造が存在します。つまり《反芸術》《非芸術》《無芸術》というのは、その外部性なのです。
つまり絵に描いたような芸術的なるものの、外部にでないと、芸術は成立しないという、奇妙な外部化の精神の運動が、モダンアートにはあったのです。

《芸術》の外部に出ないと、《芸術》が成立しないというこの奇妙な外部性と、糸崎公朗は格闘したのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ホンマタカシ

さて、ネガデスこと笹山直規は次の様にTwitterしてくれました。

笹山直規 ‏ ‪@negaDEATH13‬

フレーム付きで2万円ですか、これまた恐ろしい破格ですね。近い年代の写真家だと、ホンマタカシの10分の1くらいの価格かな。


さて、このホンマタカシの風景写真を見てみましょう。

item20040p1.jpg

ホンマタカシは、1962年生まれ、日本大学藝術学部写真学科の出身。
1984年 に広告制作会社ライト・パブリシティに入社しています。この広告制作として写真を撮り始めていると言う性格が、彼の写真のデザイン的性格を決定しているところがあります。


彦坂尚嘉責任の[ホンマタカシの風景写真]に対する言語判定法による芸術分析

1.基本的な性格

アヴァンギャルドな写真ではない。
伝統的な風景写真でもない。
クリエイティヴではない。
情報量が100ある。

鑑賞構造が無い。
《ローアート》の写真である。
《気晴らしアート》の写真である。
《デザイン》である。


2,格付け

《サントーム》は無い。
《現 実 界》の眼で《第6次元》のデザイン
《象 徴 界》の眼で《第6次元》のデザイン
《想 像 界》の眼で《第6次元》のデザイン

3,芸術概念の梯子

シニフィエだけの写真である。シニフィアン的写真性が無い。

理性脳の写真である。原始脳の写真性が無い。

《原始平面》の写真である、


《原写真》《写真》《反写真》《非写真》《無写真》の概念梯子が無い。
《世間体の写真》性はある。

《原-デザイン》《原-イラストレーション》《原-装飾》《原-工芸》
《原大衆美術》《原-キッチュ》《原-シンボル》・・・の概念梯子が有る。


4,総合判断

○ 上中下で言うと、《下》の写真。
○ 《サントーム》の精神が無い。
○ 《液体》様態の写真である。
○ 《国民国家》の大きさの意識空間である。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
村越 としやもホンマタカシも両方とも《第6次元 自然領域》の写真です。
ここで大きく違うのは、《真性の芸術》であることとデザインです。
もう一つが、液体と固体という違いです。

村越ホンマ2
ホンマタカシ               村越 としや
《第6次元》のデザイン写真  《第6次元》の《真性の芸術

液体写真              固体写真

山方伸とホンマタカシを比較すると、《第6次元》のデザインと《超次元》~《第50次元》の《真性の芸術》の対比が見えます。それと気体写真と液体写真の違いです。

山方ホンマフ#12441;ロク#12441;540
ホンマタカシ               山方伸
《第6次元》デザイン写真 《超~50次元》《真性の芸術》
 
 
液体写真            気体写真


写真というものも、実は、いろいろあるのです。
最近の大きな傾向はホンマタカシのような、デザイン写真が大きく台頭したことです。1980年代のアメリカの写真にも、デザイン写真が大幅に増えています。

なぜにこの様な傾向が生まれたのでしょうか?

デザイン写真と言っても、実はホンマタカシのような《第6次元 自然領域》のデザイン写真なのです。これは昔は、文字どおりデザインだったのですが、時代がかわって、どうもデザイン性の中心が《第401次元~800次元》に移行したようなのです。この領域を分かりやすく言うと、赤城乳業株式会社がつくっている氷菓子の『ガリガリ君』が《第401次元~800次元》なのです。

garigari.jpg

つまり時代がコンピューターとインターネットによる情報革命の結果、社会のレベルが、かつての物質社会から情報化社会に変わったのです。その変化の中で、デザインの中心部分が《第401次元~800次元》というバーチャルな偽物の代用品性の強いものに移ったために、かつての物質社会のデザイン領域の《第6次元 自然領域》で液体の様態の表現が、骨董品化したのです。

骨董趣味というものは、実は、ニセの鑑賞構造なのです。時代が変わって古くなると、古くなったものを鑑賞して眺めるという追憶が成立するのです。この追憶性が、芸術の鑑賞構造と似ているので、ニセの鑑賞構造が成立するのです。そのために写真は《第6次元 自然領域》の液体デザインが主流の時代になったのです。

さて、そういうわけで、最後に糸崎公朗さんの写真とホンマ氏の写真を比較して終わることにしましょう。


糸崎公朗ホンマ540
ホンマタカシ               糸崎公朗
《第6次元》のデザイン写真    《第1~50次元》の《真性の芸術》

液体写真            気体写真



糸崎公朗氏が山方伸氏のモノクロ写真を模倣するという今回の2年間のプロジェクトは、成功したとおもいます。しかし山方伸氏の方が、レベルが高いのです。《超次元》まであります。

模倣によっては、実は山方伸氏を乗り越えることができないのです。模倣の否定というのは、芸術に限らず、重要な課題なのです。

糸崎公朗さんは、非人称芸術の系譜のために、どうしても模本の連鎖を前提にしているのです。なぜなら非人称芸術というものは、民衆芸術に見られる構造であって、模倣の連鎖の中で動いていくからです。模倣は重要な活動なのですが、同時に突然変異による飛躍を追わないと、お手本を乗り越えることはできません。

別の角度から言うと、現代は、様態論的にはプラズマに移行しているのであって、プラズマ写真を撮らない限り、は、骨董になってしまいます。

精神的には《サントーム》アートに移行する以外に、先人を乗り越えることができません。

表現の前衛生の希求というのは、今日でも実は作動し続けているのであって、これから眼をそらせば、凡庸に転落するのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


SATTAさんから次の様なコメントをいただきました。


> 額に入っているのとそうでないのとではプリントした人が違うんですか。

プリントしたのは、両方とも糸崎公朗さんです。しかしTAPギャラリーに展示している作品の後に、気体分子ギャラリーのオークションの作品は、新たに制作されたので、作品的には深化しています。詳しくは、気体分子ギャラリーの記事や、オークションサイトの芸術分析を見ていただきたく思います。進化していく以外に、アーティストの行く道は無いと思っています。


              
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プロフィール

New HIKOSAKA 彦坂尚嘉

Author:New HIKOSAKA 彦坂尚嘉
彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年6月26日 - )は、 美術家。立教大学大学院特任教授。日本建築学会会員。日本ラカン協会会員。気体分子ギャラリーを主催。

【著書/出版】『反覆/新興芸術の位相』(74年、田畑書店)、『死に対抗する力』(91年、ギャラリーKURANUKI)、『リノメランコリア』(94年、岡部版画工房)、共著『リベーションの現場』(05年、彰国社)、共著『メディアと精神科医』(05年、批評社)。共著編『皇居美術館空想』(08年9月朝日新聞社)。『彦坂尚嘉のエクリチュール』(08年、三和書籍)、共著『3・11万葉集 復活の塔』(2012年、彩流社)

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