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フクシマ・アート/八重洲ブックセンターのためのアジビラ - 2012.04.20 Fri

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 2011年の3.11東日本大震災は、福島原発事故という人災に波及することで、日本の歴史のなかでも、特筆すべき破綻状況を生み出した。あの地震においてすら、十分に予想して対策をしていれば、原発事故は起こさないでもすんだはずのものであった。
 
 この破綻は、第2次世界大戦による大日本帝国の敗戦によく似ている。日本の軍事力と、アメリカ合衆国の軍事力は、武器を生産するための鉄鋼生産量で比較すると3000倍も違っていた。この差を無視した日本の知性は、軍事論的には白痴であった。
 
 同様に、原子力発電の事故が、アメリカ合衆国のスリーマイル島原子力発電所事故と、ソヴィエトのチェルノブイリ原子力発電所事故の2つで起きていたにもかかわらず、「日本の原子力発電所は事故を起こさない」と信じて、まともなシュミレーションも対策もしなかった日本政府と電力会社各社と、それを信じた日本の大多数の大衆には、知性の面で決定的に欠けるものがあったと言わざるを得ない。この原発事故責任は大衆にもあったのである。


 福島原発の事故は、依然として終息していない。未来にわたって続く再度の大破綻の危険と放射能の流出は、日本の子供たちの健康を脅かし、日本の未来は絶望的な状況になっていると言わなければならない。健康被害は近い将来具体的な病と死となって現れてくる。
 
 こうした事態を前にして、日本のアーティストは、眼をそらすこと無く、新しい絶望の時代に対して確信を持って生き、制作をしていかなければならない。それは第2次世界大戦の戦時中に、優れた作品を制作した靉光や、麻生三郎、井上長三郎ら『新人画会』の系譜を生きることだ。
 
 時代的に困難なときほど、《真性の芸術》を作り出し得る。自前の金で、自分の良心をかけた新しい芸術を作る必要がある。日本人と日本社会のどうしようもない愚かさの外に出ることによって、優れた芸術が作り出せる。絶望の中でも、人間は生きなければならない。絶望の時代だからこそ《真性の芸術》を作り出し、人間の良心と知性を示す必要があるのだ。気が狂わないために、そして絶望して自殺しないために、芸術は一つの確信となって、生きる力をアーティストと、そして観客に与えてくれる。
 
 重要な事は、防波堤をつくり、地震を予想していながら、その想定が、自然の力の大きさを過小評価するものであったことだ。それは単純系科学の限界を示している。つまり日本は、《複雑系の科学》が予想する地震や山火事等の被害の大きさの限界の無さの想定を、無視して、古い単純系科学を信仰してきたのだ。
 
 自然物理科学の主導によって展開してきた単純系科学の還元主義の破綻として、今回の東日本大震災による日本の破綻がある。この破綻は単に科学的認識の問題だけでは無くて、日本の経済の破産にまで連続している愚かさの構造なのだ。トヨタや、ソニーや、パナソニックという日本の優良企業が業績を悪化させて、巨大な赤字企業に転落していることも含めて、日本の知性は、実は総崩れの崩壊に至っているのだ。


 同様の事は、実は日本の芸術にも、言えることなのである。「日本の常識は世界の非常識」と言うが、昨年の『美術手帖』五月号の『現代アートの巨匠』という特集号には、《サントーム/プラズマ》時代の作家たちが排除されていた。ジョセフ・コスースもいなければ、ロバート・メイプルソープも、シンディ・シャーマンも、そしてジェフ・クーンズも、ダミアン・ハーストも、村上隆も、奈良美智もいなかったのだ。
 
 日本の小さなローカルな美意識の中に凝り固まって、時代の様態が、プラズマ化し、人間精神のリテラシーの次元が《サントーム》に移行していることを、認識出来ないのである。ここ40年を超える美術の、《サントーム/プラズマ》化の歴史展開を、日本の美術のパリサイ人は、認識できなかったのである。
 
 したがって、この様な日本の遅れた状況の中で重要な事は、現代をコンピューターやインターネットのIT技術の発展と共に生きるアーティスト自らが、芸術の専門家として、この絶望の時代に、真に確信をもって、新しい情報化社会の複雑系の時代の芸術を語り、追究することなのだ。

 互いに互いの絆にすがりついて、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言って、そこに3.11東日本大震災というダンプカーが飛び込んできたのである。
 みんなで大政翼賛会で固まっていても戦争に負けたし、みんなで安全を信じていても原発事故は起きたのである。「みんなで渡れば怖くない」というのは、嘘である。みんなでいても、津波はやってきて、みんな死んだのである。
 
 『文藝春秋』が2回にわたって特集したように、日本は1978年のガイアナで起きた人民寺院事件のように集団自殺をしようとしている。「日本の自殺」は単なる比喩では無くて、現実に起きるのだ。2000年3月にウガンダで起きた終末教団事件は、日本の問題なのである。日本社会は、ギリシアのように緩慢な自殺をしようとしている。

 日本の現代美術が信じているマルセル・デュシャン以来のアートの《現実界》の時代は終わったのだ。デュシャンは、もはや古典に過ぎない。さらにポロック以来の《気体》の時代は日常世界になって、ポロックは、もはや日常であるに過ぎない。ポロックにも感動できない日本のアーティストは、退化した土人なのだ。
 
 今日の前衛の様態は《プラズマ》時代になっているのである。《プラズマ》時代の音楽であるラップの過激さを聞け!

 FUKUSHIMA ARTは、3.11東日本大震災以降の絶望状況を生きる芸術を、ジャック・ラカンが最晩年に語った《サントーム》の精神に見いだし、人類史700万年のさらなる新展開を、果敢に挑むところに成立するだろう。

  絶望するからこそ、《サントーム/プラズマ》化するアートは、暗い未来を生きる力となるだろう。

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New HIKOSAKA 彦坂尚嘉

Author:New HIKOSAKA 彦坂尚嘉
彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年6月26日 - )は、 美術家。立教大学大学院特任教授。日本建築学会会員。日本ラカン協会会員。気体分子ギャラリーを主催。

【著書/出版】『反覆/新興芸術の位相』(74年、田畑書店)、『死に対抗する力』(91年、ギャラリーKURANUKI)、『リノメランコリア』(94年、岡部版画工房)、共著『リベーションの現場』(05年、彰国社)、共著『メディアと精神科医』(05年、批評社)。共著編『皇居美術館空想』(08年9月朝日新聞社)。『彦坂尚嘉のエクリチュール』(08年、三和書籍)、共著『3・11万葉集 復活の塔』(2012年、彩流社)

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