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2つのロボットアニメ/機動警察パトレイバーとトランスフォーマー - 2011.08.23 Tue

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今日『芸術』という言葉は死語になったようにも思いますが、《近代》という時代の芸術を彦坂尚嘉の言語判定法で測定を繰り返していくと《超次元》から《第50次元》までに限定されたハイアート性を示しているのです。つまり人間の理性性だけで、芸術を成立させているというものです。

一方で人間社会の中で生産される社会的通念に適応した通俗性を持つ作品は《キッチュ》と呼ばれたのです。この《キッチュ》性を持つ表現を、彦坂尚嘉の言語判定法で測定すると、《第51次元》から《第100次元》までの『アートの格付け』を持っていました。つまり世間体芸術とも言うべき表現は、理性性ではなくて、直接的な性的な生物的了解の上に成立するものであったのです。

つまり問題は17世紀から18世紀の啓蒙主義の成立そのものにあったのです。理性による思考こそが普遍であるというという主張が主流になった時代に、芸術は、理性領域に限定されてハイアートとして成立したのです。それが『アートの格付け』で言えば《超次元》から《第50次元》までの表現に限定されたものなのです。

彦坂尚嘉が問題にする《原-芸術》《芸術》《反-芸術》《非-芸術》《無-芸術》《世間体のアート》《芸術の形骸》《芸術の炎上》《芸術の崩壊》という芸術概念の梯子というものも、この理性主義の産物であると言えます。

こうした理性主義の芸術概念の梯子というものは、彦坂尚嘉の言語判定法では、普通には世間的には芸術とはみなさないような押井守監督のロボット漫画のテレビアニメにおいても、そこに芸術が存際している作品もあるという主張になります。

もちろんこういう主張は日本の社会常識では相手にされないような意見であると思いますが・・・。
その芸術概念の梯子があるテレビアニメが『機動警察パトレイバー』でありました。



このテレビアニメは、何よりも非実体的であることで驚かされたのですが、この非実態性ということと理性主義の位相をもつ芸術概念の梯子は、関連性があるのです。パトレイバーは、ロボットアニメとしては、極めて理性主義の立場で作られています。つまり「リアルロボット系」というもので、トランスフォーマーのような異世界からやって来た様な巨大ロボットものではなく、現実の20世紀中に存在した技術からさして遠くない世代の工業生産品としてのロボットデザイン追求されているのです。そしてトランスフォーマーのような宇宙からやってきた巨大ロボットが悪と戦う戦争といった《非-日常性》ではなく、現実の日本人のリアルライフに、自然に巨大ロボットが溶け込んだ情景描写理性的に行われ、それが、強いリアリティをもっているのが『機動警察パトレイバー』というアニメーションであったのです。

このテレビアニメ『機動警察パトレイバー』は、大変すぐれたアニメーションで、《原-アニメーション》《原-映画》という性格を持っています。しかし反面《キッチュ》性や、「大衆芸術」という性格を持っていないという判断を、彦坂尚嘉の言語判定法では示します。とは言っても《世間体TVアニメーション》という性格は持っています。



しかし芸術であり、しかも《超次元》から《第6400次元》まであるというこの希有のテレビアニメは、52話の予定が47話で放送中止になってしまったのです。その芸術アニメ性は、たとえば次のYouTube画像でも理解できると思うのですが。




さて、こうした押井守のロボットアニメと比較したいのは、トランスフォーマーの初期のテレビアニメ『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』です。これが放送されたのは日本では、1985年-86年にかけてでした。『機動警察パトレイバー』のテレビ版は、1989年~1990年ですので、トランスフォーマーを踏まえての発展形態であったとみることは出来ます。







『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』は、彦坂尚嘉の『アートの格付け』では《第6次元 自然領域》です。ここには芸術性はないのです。さきほど芸術概念の梯子というのは理性主義の産物であると言いましたが、この『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』には理性主義はなくて、荒唐無稽な《非-理性》的な物語性なのです。そこには直接性があって《キッチュ》なのです。まさに真性の大衆芸術なのです。

このテレビアニメには《原-芸術》がないだけではなくて、《原-アニメーション》《原-映画》もありません。


こうした《キッチュ》な、非-理性的な原作を踏まえて、実写映画をつくるのが、ベイ監督に与えられた任務であったのです。こうした時に、《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》といった芸術概念の梯子を使う事はできないのです。つまり荒唐無稽な非理性的な物語の原作において、実写映画はいかなる基盤において可能なのか、しかも理性=芸術を使わないで、しかし非理性的な映画ではなくて、理性的な映画を作り得るのか?

ベイ監督の追求は、《原-映画》というものの徹底的な追求を合理的理性的に追いかける事で、このことを、つまり理性=芸術の存在しない事を置き換えたのです。つまり《原-映画》の追求は理性的なものであるのです。この《原-映画》の理性的追求は、荒唐無稽な《キッチュ》を原作にしつつも、高度な表現を理性的に展開することを可能にしたのです。

ふたたび、ベイ監督の『トランスフォーマー』を見てください。




ここには荒唐無稽な物語が、巨額の資金を投入して造り出された理性的な映像制作によるバーチャルリアリズムとして成立しているのです。

私が興味を惹かれるのは、芸術という理性主義を放棄してもなお、映画製作には《原-映画》の追求として理性の展開が可能であるという事です。推定ですが700億円もの資金を投入して作られる映画制作が、理性的に行われない限りは無理なのです。
さて、では《原-映画》とは何か?



さて、美術の話をしましょう。ベイ監督のような、新しい表現が成立するとすれば、同じようにして、《原-美術》の追求と展開においては、芸術を放棄し得るかもしれない。では、《原-美術》の追求とは何か?

それは明日の講義のテーマであるという事になります。
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New HIKOSAKA 彦坂尚嘉

Author:New HIKOSAKA 彦坂尚嘉
彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年6月26日 - )は、 美術家。立教大学大学院特任教授。日本建築学会会員。日本ラカン協会会員。気体分子ギャラリーを主催。

【著書/出版】『反覆/新興芸術の位相』(74年、田畑書店)、『死に対抗する力』(91年、ギャラリーKURANUKI)、『リノメランコリア』(94年、岡部版画工房)、共著『リベーションの現場』(05年、彰国社)、共著『メディアと精神科医』(05年、批評社)。共著編『皇居美術館空想』(08年9月朝日新聞社)。『彦坂尚嘉のエクリチュール』(08年、三和書籍)、共著『3・11万葉集 復活の塔』(2012年、彩流社)

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