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マリネッティにある《ほんとうの詩》 - 2012.11.10 Sat



マリネッティにある《ほんとうの詩》

《アヴァンギャルドの停滞》というのは1975年以降の状況です。少なくとも1991年以降は《前衛の終焉》ということが大きな状況としてあったのです。

(こうしてライト・アートがはびこりはじめます。ロックは商業主義になって、ボストンが喝采を受け、U2が化粧品のような匂いになります。そして文学は消えて、ライト・ノベルとしての吉本ばなな、村上春樹が、世界的に注目を集めたのです。さらにライト・アートとしての奈良美智や、会田誠、草間弥生、村上隆が台頭して世界を制圧したのです。草間は、くだらないライト・アートでした。先日の国立国際での晩年の作品は原始美術でひどいものだとおもいますが、多くの人があれに現代美術のほんとうの姿をみるのです。時代は変わっていくのです。同時にそれは日本の美術館・美術界のライト化であったのです。その軽芸術時代の象徴的存在が金沢21世紀美術館でした。吐き気のするような作品に、人気が集中し、多くの観客を集めて、大成功したのです。しかし、それ以上にライト化したのは、日本の政治の軽薄化でした。ライトになることで、全体である日本が荒廃し、衰弱し、赤字になり、財政が破綻し、産業も負けるようになりました。新興衰退国へと転落していったのです。こうした亡国の政治家を選んでいったのは日本の大衆でした。大衆は《軽》が大好きで、亡国の道を選択したのです。軽カルチャーが栄えて、日本が沈没していくのです。)
 

        【続きは下記Read Moreをクリックして下さい】

 ところが、昨晩開かれた『音響詩フェスティヴァル』というのは、マリネッティ、フーゴー・バル、クルト・シュヴィッタース、MAVO、新国誠一・・・未来派、ダダに起源を持ち、音楽と文学を架橋するカッティング・エッジとして現在も先鋭的なアーティストを輩出する音響詩という評価のもとに、この滅びたり停滞したりしているはずの《前衛》を回顧しつつ、現在の音響詩を紹介しようという日本初の国際フェスティヴァルであったのです。つまり《前衛》の復権であったのです。しかし過去を回顧したときに、《前衛》は本当にすぐれていたのでしょうか?

(前衛の復権にしては、会場には気のせいか奇妙な薄暗さやマイナー性があったのです。戦闘的と言うよりは、伝統芸能化した《前衛詩》の会でありました。
 この日に欠けていたのは、今日の情報化社会の《詩》の姿が、あまり見えないことでした。もはや《詩》であるとは認識できないような電離した今日のプラズマ化した《詩》がないように思えました。実際にはあるので、明日というか、今日ですが、第2回目に期待したいと思います。)

 昨晩、かなりの人数を集めて開かれたそれは、まず、プラズマ以前の、古い音響詩の歴史的な展開を回顧する足立智美さんの良く準備されているレクチャーから始まりました。足立氏の歴史的視点に欠点があるとすれば、何故に《音響詩》とか、《視覚詩》とかいうものがダダの時期に出現したのか? それはホントにこの時期に出現したのか? その理由や出現の構造性についての言及が全くなかったことでした。

 この様な問いは、ある厳密さを伴わないと、議論そのものとしては難しいのです。美術史というものが常に贋作と隣り合い、真贋論争を前提にしているように、この音響詩も、《詩》という以上、《詩》というものの成立を問う《原-詩》という詩の原型的存在が人類史700万年の長い時間の大半に存在してきていたということを前提に考えなければ成りません。

 今、私はオットーランクの『文学作品と伝説における近親相姦モチーフ/文学的創作活動の心理学の基本的特徴』 (中央大学学術図書)を立教大学大学院で読んでいますが、人類史の中で、人類の経験は、いかにして言語を形成し、そして書き文字とした疎外化したのか? この人類の原始的な経験の蓄積とその軋轢こそが、《原-詩》の成立する構造なのです。その一つとしての近親相姦のモチーフの存在が、わかりやすい例としてあるのです。
 
 そうした原始的基盤の上に、文明の成立とともに成立する《詩》というものをしっかりと把握する必要がまずあるのです。《詩》とは何なのか?
 
 それは宗教の成立という《象徴界》の支配する時代に於いては、最高の芸術といて屹立していたのです。《詩》という芸術の核心を抜きにしては、王権も、宮廷も、文明の成立は無かったのです。

 この文明時代の《詩》の成立という長い時間を背景に、産業革命という人類文明の転換の中で《反-詩》《非-詩》《無-詩》というものが登場してくる。それがいわゆる前衛詩の登場なのです。そこには時代のエピステーメが、《象徴界》から《現実界》に移行すると言うことがありました。

 《現実界》の芸術として、ヴォイス・パフォーマンスや、音楽としての音響詩的なるもの、例えばクルト・シュヴィッタースの詩のような作品が登場してきます。それは一流のすぐれているものであったと言うことを私は認めるけれども、それは詩的ではあるけれども《真性の詩》ではない系譜のものであると、私には見えます。それは同時に足立智美さんのすぐれている一流の作品にも言えて、《原-詩》性を欠いている。むしろ音楽の系譜のすぐれた前衛的展開であるように見えます。
 
 私の議論は、あくまでも厳密な学問としての芸術を前提にしているもので、それは現実的では無くてファンタジーにすぎないとか、教条主義に過ぎないように思われるものなのです。しかしそういう厳密さを追究したのが、少なくともモダニズムの純粋主義であったこともまた事実です。モダニズムを前提に置くならば、厳密な意味での《詩》の展開としての音響詩と、それと類似している別の系譜・・・前衛音楽の系譜のものとは分けて見る必要があります。

 詩というものへの希求性のある近代詩、つまり新しい《現実界》を基底とした《原-詩》《詩》《反-詩》《非-詩》《無-詩》という展開性を持っているものとしては、足立さんが最初に取り上げていたイタリア未来派を代表するマリネッティの詩がすぐれています。音響詩としては未熟であったとしても、マリネッティにこそ、モダニズムの《現実界》の《詩》の原点の美しさがあるのです。それは同時にファシズムを生み出すものを背景にしていました。

 ファシズムとも無縁では無い形で、《現実界》化する文化のリテラシーの中で、音響詩/視覚詩の分裂は生まれたのではないでしょうか?
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New HIKOSAKA 彦坂尚嘉

Author:New HIKOSAKA 彦坂尚嘉
彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年6月26日 - )は、 美術家。立教大学大学院特任教授。日本建築学会会員。日本ラカン協会会員。気体分子ギャラリーを主催。

【著書/出版】『反覆/新興芸術の位相』(74年、田畑書店)、『死に対抗する力』(91年、ギャラリーKURANUKI)、『リノメランコリア』(94年、岡部版画工房)、共著『リベーションの現場』(05年、彰国社)、共著『メディアと精神科医』(05年、批評社)。共著編『皇居美術館空想』(08年9月朝日新聞社)。『彦坂尚嘉のエクリチュール』(08年、三和書籍)、共著『3・11万葉集 復活の塔』(2012年、彩流社)

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