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「棕櫚の日曜日」制作のきっかけ /矢内 靖史個展の告知 - 2012.12.28 Fri

 『福島民友』という新聞を、私は南相馬の壁画を描いている時に見て、非常にきれいな新聞だと思いました。何紙かの地元新聞の中でも美しさが傑出していたのです。相馬の図書館に行って、昨年の3.11からの新聞を1ヶ月分だけですが、全部見ました。彩流社から『3.11万葉集・復活の塔』を本年3月に出版するときに『福島民友』の紙面を収録したかったのですが著作権や経費などの諸事情で出来ませんでした。

 そういう経緯で『福島民友』に興味をもっているなかで、矢内 靖史さんという『福島民友』のカメラマンを知り合いました。糸崎公朗さん
つながりだったのです。糸崎公朗さんの昆虫仲間でありました。福島にお伺いして、お宅にも泊めていただきました。


【続きは下記Read Moreをクリックしてください。】

 その矢内 靖史さんの被災した現地の風景写真と、糸崎公朗さんの放射能のグラフ写真、そして彦坂尚嘉の被災写真のPhotshopによる加工作品の展覧会を企画して、福島県立美術館にプレゼンテーションしたのですが、まだ結論を出していただいていません。推察するところ、糸崎公朗さんや私の作品が深刻すぎるのかもしれません。もう少し時間がたてば可能になるかもしれないので、根気よく100年覚悟で待ちたいと思います。原発処理が集結した時には展覧会も実現できるでしょう。

八重洲ブックセンターや、日本ラカン協会での展示をしてきたのですが、この度、矢内 靖史さんの個展が銀座ニコンサロンでの個展が実現しました。糸崎公朗さんも私も、展示のお手伝いもするつもりなので、見ていただければと思います。

さて、矢内さんのテーマはユニークで、シュロ(棕櫚)と原子力発電所の奇妙な《夢》の関係です。

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「棕櫚の日曜日」制作のきっかけ

福島民友新聞社 矢内靖史

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 震災から1年が経ったころ、わたしは不眠に悩まされていた。夜中に何度も目が覚め、夜明け前に目が覚めるとそれから眠れなくなった。それならば、起きて散歩でもしようと考えた。体が疲れれば、そのうち眠りも深くなるだろうと。

 散歩は、午前5時ごろに家を出て3時間ほど歩いた。歩き出す方向は、その日の気分次第。午前8時ごろに家に戻って朝食を食べ、会社に出勤するという具合だ。
福島市に住んで20年になるが、家の近所でも、今まで足を踏み入れたことがない路地も数多く、まるで見知らぬ街をさまよっている気分になった。休日は、特に遠くまで足を運んだ。春は自然も変化が早く、毎日が新鮮だった。

 いつも首からコンパクトデジカメをぶら下げ、気になるものや風景をスナップした。初めは、特にテーマがあったわけではない。しかし、次第に被写体に共通するものが出てきた。その一つにシュロがある。

 シュロ(ワシュロ)はヤシ科の常緑樹で、九州南部に自生するが日本各地で庭木として植えられている。しかし、流行したのは60年代ごろと思われ、現在、新しい家に植えられることはあまりない。散歩中に見たシュロが植えられている家は古く、廃屋も多かった。

 自宅の近くにある信夫山では、野生化しているシュロも目に付いた。庭に植えられたシュロの実を鳥が食べ、その糞に含まれた実が発芽したのだ。
 シュロの野生化は、それほど珍しいことではなく、関東以南なら、ごく当たり前に確認できる(これらのシュロは、野良猫ならぬ「野良棕櫚」と言うらしい)。福島県のような東北地方でも冬を越すことができるのは、やはり地球温暖化の影響なのだろう。

 シュロは、その姿から南国をイメージさせる。しかし、散歩中に目にするシュロが植えられた家は古びた日本家屋やアパートのことも多く、景観としてはアンバランスな気もした。シュロのある風景は、時代から取り残されたようで、その奇妙さが、レンズを向けるきっかけになったのかもしれない。

 では、シュロはなぜ流行したのか、その背景はと考え、とりあえずインターネットで調べてみた。すると、同じような疑問を感じた人がいた。

「棕櫚(しゅろ)の木ブームは、どのように起きたのでしょうか?」と題する次のような質問があった。
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住宅街を歩くと、どんなショボイうちでも、棕櫚の木が植えてあるうちがタクサンあります。いつごろ、どうして、この「棕櫚の木ブーム」は起きたのでしょうか?
また、それを解説してある本・サイトなどはあるでしょうか?
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そして、その問いに答える形で次のような回答があった。

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棕櫚って、ハワイっぽいですよね。
つまり、「トリスを飲んでハワイへ行こう」の時代の
名残だろうと思います。
常磐ハワイアンセンター(今のスパリゾートハワイアンズ)も
新婚旅行のメッカだったんですよ。憧れのハワイ航路。
庭木や街路樹は流行に左右されやすいですから。
「どんなショボイうちでも」って言うのは、
その頃建築された家か、もしくはその頃家を建てた年齢層が
昭和30年代くらいに勢いのあった人たちか。
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というものだった。

 この回答は納得できる部分が多かった。わたしは1964(昭和39)年の生まれで、小さい頃の記憶はあいまいだが、なんとなくその時代の雰囲気を振り返ることはできる。
 調べると「トリスを飲んで、ハワイへ行こう!!」は、1961(昭和36)年の放送だった。常磐ハワイアンセンターが開業したのは1966(昭和41)年。その2年後には年間入場人員140万人を突破、新婚旅行のメッカとしてもブームは一時代を築いた。福島県のいわき市にあるスパリゾートハワイアンズ周辺は、現在も長いシュロ並木が続き、南国気分を演出している。
 1966(昭和41)年はウルトラマンシリーズが始まった年でもある。高度成長期に位置する1960年代の日本は、東京オリンピックの開催やベトナム戦争、大阪万博などによる特需に沸いた。そして、1968(昭和43)年には国民総生産(GNP)が資本主義国家の中で第2位になった。

 原発の建設もそのような時代に計画された。福島県が原子力発電所誘致計画を発表したのは、1960(昭和35)年。1967(昭和42)年には、福島第一原発一号機の建設が本格的に始まり、1971(昭和46)年には、営業運転を開始する。

 現在、原発事故によって警戒区域になっている双葉町の商店街入り口には、「原子力明るい未来のエネルギー」という標語が書かれたゲートがあり、マスコミなどで何度も紹介されている。もちろん、皮肉としてだ。ほかにも警戒区域内には、「原子力 、正しい理解で豊かなくらし」「原子力 豊かな社会とまちづくり」「原子力 郷土の発展、豊かな未来」といった標語が書かれた看板が数多くあり、当時、原子力に未来を託した原発立地町の夢が読み取れる。

 60年代は、冷戦構造による科学技術の競争の時代でもある。国民の多くは、科学の進歩が「明るい未来と豊かな生活」をもたらすと信じていた。
 わたしが小学生のころ、未来の都市をテーマに絵を描いて賞をもらった記憶がある。その絵は、まさに巨大なビルディングの間をリニアモーターカーが走り、ロボットがさまざまな場所で作業をする光景だった。

 散歩をしながら出会う、古びた家の庭先で手入れもされず放置されたシュロは、そんな時代の「夢の名残」のように見えた。野生化するシュロは、原発事故で野生化してしまった放射性物質とも重なった。
もちろん、シュロに対する思いは、個人的な感傷によるところが大きい。シュロが全国的に広がったのは、観賞用にあっただけではなく、シュロ縄への利用など、古くは産業として栄えていたことも無視できない。

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 こんばんは。

 今回の作品を撮影するきっかけなどを、文章にまとめたテキストの件なのですが、結局、まとまりませんでした。。
 忙しかったこともありますが、それより、考え自体がまとまらず、しかも思った以上に長いテキストになりそうなためです。
申し訳ありません。

 ただ、昨日もメールに書きましたように、不完全ですが一応、送ります。
 それなりのイメージはつかめると思うので。
 ざっくり書いただけなので、文章としてまとまりを書いた部分(特に後半)も多いですが、お許しください。

 あと、これから書く予定の作品解説の補足もしておきます。
 いちいち書かなくても、糸崎さんや彦坂さんなら見れば大体分かると思いますが。

 やたらと地面を撮るのは、やはり地面に落ちた放射性物質を意識するからです。
 事故後、以前より地面を意識することが多くなりました。
つい、放射性物質のたまった場所などを意識してしまいます。
ローアングルの虫の目線は、ご存じのように原発事故以前から意識しています。
 放射能で汚染された福島に生きるのはヒトばかりではありません。

 除染風景に関しては、やや社会性を意識して撮ってはいますが、今の福島にとってそれほど特殊な光景ではありません。
 現在の福島は、どこをどう撮っても社会性を帯びてしまうのです。

 家の敷地の一角にブルーシートに包まれてて置かれている除去物は、いつ引き取ってもらえるのか、いまだに分からない状況です。
 ただ、線量はそれほど高いわけではないので、最終処分場に送られるようなレベルのものではありません。

 わたしが福島市の除染作業に感じるイメージは、潔癖性の人物が、体に付いた汚れを過剰なまでに気にして、血がにじむまで体をこすっているようなものです。
 木がすべて切られ、丸坊主になった庭などを見ると、過剰なものを感じてしまいます。
 もちろん、現在の福島市に除染が必要ないとは思っていません。
 ただ、至る所がブルーシート覆われた福島市をイメージすると、悪い冗談のようにも思えるのです。

 棕櫚の日曜日というのは、キリスト教で復活祭の1週間前の日曜日のことです。
 キリストが受難直前の、エルサレム入城の際、シュロ(正確にはナツメヤシ)の葉を路に敷き、また手にとって迎えた記念日です。
福島もこらからも受難の日々は続きますが、必ず復活するという思いからタイトルにしました。

 と、思いついたことをズラズラ書いてみました。
 乱筆、乱文、スミマセン。。

 それでは、明日、参加はできませんが、日本ラカン協会での展示の成功をお祈りしています。

矢内
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New HIKOSAKA 彦坂尚嘉

Author:New HIKOSAKA 彦坂尚嘉
彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年6月26日 - )は、 美術家。立教大学大学院特任教授。日本建築学会会員。日本ラカン協会会員。気体分子ギャラリーを主催。

【著書/出版】『反覆/新興芸術の位相』(74年、田畑書店)、『死に対抗する力』(91年、ギャラリーKURANUKI)、『リノメランコリア』(94年、岡部版画工房)、共著『リベーションの現場』(05年、彰国社)、共著『メディアと精神科医』(05年、批評社)。共著編『皇居美術館空想』(08年9月朝日新聞社)。『彦坂尚嘉のエクリチュール』(08年、三和書籍)、共著『3・11万葉集 復活の塔』(2012年、彩流社)

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